蛇足の様な終わり

「……クソが」


 俺は自分以外生徒のいない教室で机の上を睨んでいた。

 机の上には十数分前に教師が置いていったプリントが真っ白な状態で残っていて、黒板には三十分に解答なんて書いてあった。


「まさかお前が真面目に補習に来るとはな。……なんかあったか?」


「うるせぇ、話しかけるな」


 あぁそうだよ。俺はテストを受けた。結果は全教科赤点ギリギリ超えれなかった。数ある教科は平常点とかでギリギリ赤点を超えさせていた。

 きっと誰もが俺と二人っきりで補習をしたくなかったに違いない。他の教科がどうだかは知らないが、俺のクラスは成績が良かったらしく赤点回避出来なかったのは俺以外にはいなかったらしい。

 赤点を取った時点で俺は補習に出る可能性がある。そして俺以外に居ない。ならば少しでも負担を減らす為に誰もが俺の点数に平常点を足して回避させて来た。……コイツを除いて。


「三十分になったがどうする?採点するか?」


「……一問も解けてねぇよ」


 コイツは俺のクラス担任。俺があの女と出会った日に突っかかってきた教師。コイツだけは俺に平常点を与えてギリギリ赤点回避をさせなかった。


「はぁ、それじゃあ一つずつやっていくから答えてみろ」


 教師は俺に背を向けてチョークを走らせた。


「……なぁ、なんかあったのか?」


「あぁ?」


「何、いつも遅刻に居眠り、校則違反のオンパレードだったお前が急に授業を受けるからどうしたのかとな?」


「……知るかよ」


 ふと浮かんだのがあの白い女だった。浮かんだと同時に頭を振った。

 ……馬鹿らしい。俺はあの女の為に授業を受けたって言いたいのか?あり得ない。


『……君は本当に優しい男だね』


 あの女の言葉が浮かんだ。


『なんたって私は写真写りが悪いからね』


 あの女の苦笑いが浮かんだ。


『少し寂しいな』


「……ッチ!」


「ど、どうした?」


「うるせぇ!……何でもねぇよ」


 イライラしていた。これは煙草を吸ってないからだろうか?ポケットに手を入れてこっそり煙草の本数を数えた。

 五本。確かに箱に五本入っていた。この時俺は安堵の溜息吐いた。そして何故安堵したのか疑問に思うと、チャイムが鳴った。


「ん?チャイムが鳴ったし休憩するか。どうする?十分後にするか?一時間後にするか?」


「……一時間後」


「なら一時間後に教室に来い。俺は職員室にいるからな」


 俺以外補習が無いからって適当すぎじゃないか?俺に背を向けて教室から出て行く教師を見送ると俺は鞄を担いであの部屋に向かった。


「……煙草を吸いに行くだけだ」


 誰に向けて呟いたのか。口から溜息が溢れた。


 *


「……やぁ真斗君。終業式ぶり」


 女はその部屋にいた。机に広げられたノートと参考書、勉強に飽きたのか手にはいつものインスタントカメラ『カシャ!』……。


「ごめんごめん」


 その全くもって反省していない顔も見慣れた。


「いや、気にしてねぇよ」


 いつもの様に窓を開けてタバコに火をつけた。煙を肺いっぱいに満たし、口から溢れた煙は外から入った風に掻き消される。

 ……イライラする。

 いつもならタバコを吸って少ししたら落ち着いたのに全然気分が良くならない。視界に入る女は姿勢を正さずカメラをいじくりまわしている。


「真斗君、補習なんだ?」


「何だよ?」


「ふふっ、何でもないよ」


 何でもないなら言うなよ。2本目のタバコに火をつけた。やはりイライラが収まらない。

 どうやらこのイライラの原因はタバコのニコチン不足ではないらしい。では何か?吸い始めたばかりのタバコを握り潰し、携帯灰皿に捨てる。


「おや?タバコ、もう良いのかな?」


「タバコを吸ってもイライラが収まらないからな。なんかある」


「なんかって何さ?」


「知るかよ」


 くそッ。余計にイライラしてきた。どんなに考えてもイライラが収まらない。

 タバコを見た。原因はコイツじゃない。ポケットに突っ込んだ。

 部屋を見渡した。何度も見慣れた部屋だ。狭い部屋だからどこに何が入っているか何となくは知っている。壁の写真だって日に日に枚数が増えていく。……全部この女が撮ったものだ。


「……あ?」


「どうしたんだい?」


 何かが引っかかった。壁一面に貼り付けられた写真の数々。その写真にはどれも誰かしら写っていた。そしてその写真を大きく分けると、この部屋の写真。そしてこの部屋の窓から見える景色の2つしか無い。

 いや、確かにこれらの写真は女が撮った写真だ。壁に飾る様なものだ。ここから撮った写真しかなくてもおかしくない。

 俺は女が写真を保存したアルバムを引っ張り出した。目眩がする程の写真の枚数、それを数倍にする全く同じアルバム。

 ……その全てのアルバムの写真はやはりこの部屋の写真と窓からの写真の2種類しか無かった。更に言えば、アルバムの中で部屋の写真は数える程しか無かった。


「……なぁ、何でここにある写真は窓からの写真しか無いんだ?」


「それはここで撮った写真は壁に。壁に貼れなくなったらアルバムに。アルバムが窓からの写真で一杯になるのは当然でしょ?」


「ここ以外の写真を撮らないのかよ?」


「……」


 何と無く疑問だった。女は証明するために写真を撮っていると言った。そんなのに意味があるのか?ただ単に外に出てないだけなのでは?

 女を見た。真っ白な肌・髪・瞳。アルビノ、病気の一種。まさかそれのせいで外に出るのが辛いのか?妥協してここで写真を撮っているのでは?


「……クッ!」


 イライラが募る。なぜ俺はこの女をここまで気にかけているんだ?

 別にこの女と付き合ってるわけでも付き合いたいわけでもない。一発ヤッてすらもいないしヤろうとも思わない。

 じゃあ何だ?俺はこの女を可哀想だと思っているのか?同情でもしているのか?

 違う違う違う!


「……真斗君?」


「……なぁ、お前は誰だ?」


 俺に心配そうな顔を見せた女は、問いにキョトンとした表情を見せた。


「……私は春原小春。君の1つ上の先輩だよ」


「他には?」


「他?えっと、アルビノツルペタ少女?」


「他に」


「え〜?写真を撮ることが趣味みたいな事ぐらい?」


「他に!!」


「ヒッ!」


 思わず声を荒げてしまった。怯える女が目の前に立っている。勿論怯えてるのは俺のせいだ。だけど俺は何か知りたかった。その何かが分からないけどその何かを。


「……何かお前に無いのか?やりたい事や見たいものとか。お前を見てると……なんつ〜か、モヤっとするんだ」


「モヤっとって。私に恋した?」


「それは無い」


「即答だね。……そっか」


 女は目を閉じ、ブツブツと何かを呟いた。


「……何か見たいかな」


「何かって何だよ?」


「何かだよ。……私はこの体だからあまりふらついたことが無いから。どこか、此処じゃない景色を見たいかな。例えば……海とか?」


 それがこの女の望みなのか。


「……行くぞ」


「は?ちょ!どうしたの?」


「行くんだろ?海を見に」


「ま、待ちなよ!今日はまだ補習が残っているし私は受験生だぞ!?」


「知るかサボれ」


「サボれって……全く君は」


 女の腕は細く、今にも折れてしまいそうだった。俺が女を引っ張る。女は口ではあれこれ言うが、逃げようとか抵抗しようとかはせず、素直に俺についてきた。


「抵抗とかしないのかよ?」


「したって掴まれているから逃げられないし、腕力的に無理だよ」


「そうかよ。……ほら、コイツも持って行くぞ」


 女から手を離し、机の上のカメラを放り投げた。女はそれを両手でキャッチし、壊れていないか確認して後をついてくる。


「逃げないのかよ?」


「え?あぁ、うん。……まぁ良いかなって」


「そうかよ」


「そうだよ」


 *



「ちょ!!速い速い!」


「しっかり掴まってろ」


 国道をバイクで疾走する。制服は脱いで教室にメモ書きと一緒に置いてきた。女はバイクを初めて見た表情を見せながらも後ろに乗った。

 夏休みに入ったという事か、すれ違う車には夫婦や子供を載せていたのが大半だった。


「おい、落ちてないか?」


「大丈夫だけど危ないって!」


「そんだけ余裕があるなら問題無いな」


 ……俺は何をしているんだ?

 俺がこの女と出会ったのなんて数ヶ月も経っていない。なのに何で俺はこの女に願いを聞いたり、それを叶えさせようとしてバイクを走らせているんだ?

 それだけじゃない。いつも遅刻したり早退って言ってバックレる事も多くて教科書ノートだなんてほぼ新品同然だ。それなのに最近の俺は遅刻する事は減ったし、バックレる事も無くなった。教科書やノートだってまだまだ真新しい感じはするが使用感は確実に出ていた。

 禁止されているバイク通学はしている。飲酒喫煙は見えないところでやっている。喧嘩だって時折やっている。

 まだまだ不良のレッテルを貼っているのに、何故今になって真面目になろうとしているのか。

 ……馬鹿馬鹿しい。俺は不良だ。今回だってただの気まぐれに違いな「止まって!!」

 女からの声にブレーキをかける。


「どうした!?」


「……真斗君。アレは何だ?」


 アレ?視線を向けて俺は自分に対して小さくため息を吐いた。


「……アレが海だよ」


「アレが……海」


 どうやら俺がごちゃごちゃ考えているうちにもくてきちに着いてしまったらしい。バイクを再び走らせ、海に近い駐輪場に停める。


「すごい。すごいすごい!」


 一足先に行ってた女はまさに大はしゃぎ。天気は快晴。昼過ぎで遠くに見える砂浜には地元民か観光の奴らが楽しそうにしているのが見えた。


「真斗君。コレが海なんだね」


「落ちるなよ?」


「あぁそこまでマヌケじゃないよ」


 ガキみたいにはしゃいでいる奴のセリフじゃないな。女の近くまで向かうもはしゃいでいるせいか、あっちこっちを走り回っていた。

 コンクリートの高台から下を除けば複数人で散歩できるぐらいの砂浜。高台から砂浜まではそこまで高さがあるわけではないが、落ちたら怪我は免れない。


「おい、写真撮らないのか?」


「え?」


「写真だよ写真。誰かの証明写真じゃなくて偶には景色を撮ったらどうだよ?」


「……う、うん」


 写真を撮るという発想が無かったのか、女は心底驚いた表情を見せながらも、手元のカメラを海に向け『カシャ!』シャッターを切った。


「……お、おぉ!真斗君真斗君!凄いぞ!」


 カメラから吐き出された写真は青い海と青い空の微妙に違うが青い一色だった。写真なんて撮れれば良いと思っている俺としては青しかなくて面白くもないと思ったが、目の前の白い女がはしゃいで写真を撮っている姿を見て息を吐いた。


「なぁ」


「何だい真斗君!」


「……体大丈夫か?」


「あぁ問題ないとも!まぁ長時間は辛いが後少しなら問題無いよ!」


 ひたすらシャッターを切る女は出て来る写真を見てまた笑う。……こんな笑い方もできたのかコイツ。

 こんな事を言ったらきっと「私に惚れたな?」とか言いそうだな。


「……にしても本当にガキみたいにはしゃいで写真を撮っているな」


 本当に歳上か?疑問に浮かんだが、今に始まった話ではないか。

 俺は徐に手元にあるバイクの鍵と財布以外の持ち物であるスマホを取り出した。写真のフォルダーには大した画像は入ってはいない。見直す事は無いかもしれないがまぁ記念に。

 携帯のカメラを開き女に向ける。画面一杯に写るはしゃぎながら写真を撮る女の姿。


「ガソリン代ぐらいにはなるか」


『カシャ』


 携帯からとても質素で静かなシャッター音が聞こえた。



『ガシャン!』


 同時に鈍く重々しい何かが落ちた音が耳に入ってきた。

 何事だ?そう思い顔を上げると女の姿が消えていた。先程まで写真を撮っていた姿はそこには無く、いた所の足下には地面に叩きつけられたのか、女の持っていたカメラが落ちていた。


「……おい?」


 一瞬思考が止まり、急速に回転する。


「おい!」


 走り出していた。俺の視界に映るのは高台の範囲。勿論女の姿は無い。なら答えは1つしかない。


「おい!大丈夫か!」


 高台から下の砂浜を覗き込んだ。脳裏をよぎったのは白い女が自分の血で赤く染まった姿。あんな細腕をしていたのだ。落ちて無事なわけがない。

 ……しかし、現実は俺の予想を裏切るような景色を見せた。


「い、いねぇ?」


 砂浜に女の姿は無かった。白い肌や髪をしているから白い砂浜と同化しているのでは?なんて事は無い。女の倒れた姿は無いし、地面に落ちた時に出来た痕すら無い。

 なら海に?

 ……いや、それは無い。高台から海に落ちるにはかれなりの距離がある。それでこそ、俺みたいな体格の良い男が助走をつけて飛ばないとまず届かない。

 視界のどこにも見当たらない。


「……ッチ!……おい小春!何処だ!どこ行った!」


 俺は女の名前を叫んだ。初めて会ってから一度だって呼んだ事の無かった名を叫んだ。


「小春!おい!どこ行きやがった!小春!」


 しかし返事はない。あの女らしき姿も見えない。どこか見落としたのか?そう思った時、ポケットから携帯が落ちた。しっかり奥に差し込んでいなかったためだろう。あまりにも慌てていたためか画面もつきっぱなしでカメラのアプリが開きっぱなしになっていた。


「……ん?何だこりゃ?」


 撮影画面、その画面隅にある最後に撮った写真のデータ。それを開くと目を疑った。確かに撮ったハズの女の姿が消えていた。写ってたのは高台と海と空、そして地面に落ちる瞬間のカメラだけだった。


「……何なんだよ。何者なんだよアイツ」


 結局、女は見つからなかった。近場にいた人に聞き込みもして見たが誰もが知らぬ存ぜぬ。

 俺が何の成果も得られず、その場を離れようとしたのは陽が完全に落ち切って真っ暗になった頃だった。




「……アルビノの生徒?いや、この学校には居なかったハズだが?」


 後日、補習で学校に来た際に教師から聞いた答えだ。色々と文句は言われたがそこまで深く言ってこなかった。

 3年の担任達にもアルビノの生徒がいなかったかと聞いてみたものの、誰一人としてあの女の事を知らなかった。


「……」


 校舎の隅にある実験教室の一角。俺がいつもタバコを吸いに来て、いつもあの女がいたあの教室。扉は簡単に開いた。いつもの様に奥に向かう途中に女の指定席に目を向けた。そこには女の姿は無い。壁一面には女の撮った写真が1つも残っていなかった。何となく手に取ったアルバムを開くと、全ての写真が劣化していて見ることもできなかった。

 ここにあの女がいた証拠が沢山あったはずなのに何もかもが無くなっていた。

 ポケットから煙草を取り出して火を付けた。口に含むと煙が肺を満たし、吐き出せば風に掻き消された。

 鞄から女の持っていたカメラを取り出す。大分古い物だったのか、あの時落ちたせいで完全に壊れていて何処のカメラ屋も修復不可能だと匙を投げていた。

 結局、カメラとしては使い物にはならないが、元の形だけには直すことが出来たらしい。


『お客様、形だけの修復は完了しました。……それとなんですが、修復する際にカメラの内部から写真が一枚入っていました』


 骨董屋から受け取った写真の入った封筒。中を開いて取り出して中身を確認すると、咥えていた煙草を落としそうになる。


「……何が三年生だ。何歳鯖を読んでんだよ?」


 写真に写っていたのはどこかの木の門の前に立って着物を着たあの女の姿だった。

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