第二話

「スケートリンクに行きたい?」

幼稚園の頃、文は父に頼んでみたことがあった。

テレビではフィギュアスケートの日本選手がスピンを決めたところだった。

「パパも一度行ったことあるけど、大して楽しいもんじゃなかったなぁ。」

炬燵で文を膝に乗せていた父は、しかめ面になった。

「ああいう競技場と違って遊技場は人がいっぱい来るから、自由に滑れないんだよ。

 ぶつからないように気を使わなきゃならないからね。

文みたいな素人がカッコつけたがるから、

無理に競技のマネやって周りの人間にぶつかったりぶつかりそうになったり」

「ママも文には早いと思うわ。こけたらどうすんのよ?」

なので文は別の場所を提案してみた。

「んーじゃあ、スキーやりたい。ケイ君行ったことあるんだって!」

「ケイ君?あぁ、あんたのクラスで一番大きい子ね。

 でも滑り台とはワケが違うんでしょ?」

高所恐怖症の母は父に振ってみた。

「あれ凄い高い所からダーーって滑るから怖いぞ?」

「じゃあ横から棒持ってあげたらええやん。」

お手洗いから戻ってきた祖母が割り込んで、

片手でストックを握る真似をして見せた。

「違うのよお義母さん、スキーって自分一人であの棒操って滑るモンなのよ。」

「スキー場も人が大勢来るから、避けながら行くの難しいぞ。」

「大体滑り切った後でどうやって登るのよ?急な坂なんでしょ?」

「リフトっていうのに乗ればいいんだけど、足浮くから小さい子はなぁ」

「ひえっ、考えただけで眩暈しそうやわ!」

「もういい」

祖母まで両親に同調したような物言いになったので、文は炬燵に潜った。

テレビの間近に顔を出すと、ロシアの選手の出番になっていた。



「文ちゃん、お腹空いてないかな?」

そうサイコースに呼び掛けられるまで忘れる程、文はスケートに夢中になっていた。

そこで壁に手を付き立ち止まると、

青白いペンギンが足元に腹這いで滑り込んできた。

サイコースと同じく赤目のそいつは前肢で文の脛をペシペシと軽く叩き、

ある扉をもう片方の前肢で示した。

「可愛い!」

「行ってごらん。」

文は青白ペンギンと扉の方へ滑っていくと、

もう二羽が両開きのそれを開けてくれた。

そこで文は歓声を上げた。そこは真っ青な食堂だった。

氷かガラスでできた大きな食卓の上だけがマカロンや果物、

クリーム等で飾られたケーキやパフェで色鮮やかだった。

その周りを青白ペンギンだけじゃなく白熊やセイウチ、アザラシ等が

四方の扉から集まってきた。皆何故か目が赤かった。

文を連れてきたペンギンは食卓の一番奥へ行ってそこの椅子をポンポン叩いた。

「ほら、文ちゃん。」

サイコースに手を引かれて文はその席に着き、彼は向かって右側に座った。

彼の向かいだけが空いていた。

「今日は文ちゃんの誕生日だからね、どうぞ召し上がれ。」

「本当に食べていいの?どれでも?」

と言いつつ文は食卓に並べられている先割れスプーンに手をかけて

チラとすぐ近くにある苺の沢山載ったホールケーキに目をやった。

サイコースが笑顔で頷くや否や、彼女はケーキを一さじ掬って口に入れた。

「あんまーい!」

満面の笑みになって文はその一口をじっくり味わい、

さらにもう一口掬って頬張った。

動物達も手近な菓子にありついた。ただサイコースだけは嬉しそうに、

文が食事する様を眺めていた。

「私ね、ケーキ丸ごと食べてみたかったんだ!」

「うん」

「でもね、食べ過ぎたら、虫歯になるし、豚になるよってね、お母さん言うの。

 朝ごはんも、お昼も、晩ごはんも、ケーキだったらいいのになって、思ってた。」

「うんうん」

文は周りの動物を見回した。

「こういう風にね、ぬいぐるみと一緒にね、テーブル囲んでね、

 おやつ食べてみたかったの。

 でも〝おぎょーぎ〟っていうのがね、悪くなるって、

 そんでもう小学生だから、お人形連れ回しちゃだめって、言うんだよ。

 ひどいよね!」

ご馳走を咀嚼しながら文が喋る内容を、サイコースは頷きながら聞いていた。

「そうかそうか」

いつの間にか文はケーキを三ホール、パフェを五杯も平らげていた。

「お兄さんも食べたら?おいしいよ!」

「私は文ちゃんの喜ぶ顔が見られれば、それでいいんだ。」

構わず文は切り分けられたチェリーパイを一口スプーンで切って、

サイコースに差し出した。

「すごく甘いけどね、酸っぱくておいしいの!」

「そんなに言うのなら、お言葉に甘えようか。」

意外にも素直に彼は文のスプーンを口に入れた。

「うん、おいしいね。」

「ねっ、サクランボがお兄さんの目みたいで綺麗だし」

ふと文は視界の隅に、青色のアイスがあるのに気付いた。

あれどんな味かなと思っていたら、白熊がその器を手に取った。

すると隣に座っていた小熊までそれに手を伸ばしたので、

大きい方は小熊に譲ってあげた。

この二匹の白熊が親子なんじゃないかと思うと、文の目に涙が浮かんだ。

「文ちゃんどうしたんだい?欲しいのが取られてしまったのかな?」

「ううん」

文はナプキンで顔全体を拭って、もう一度白熊親子に目を向けた。

小熊は親熊に一口あげていた。

それからずっと口を開かない文を見かねたのか、サイコースは小さく咳払いをした。

「文ちゃんちょっと来てくれるかな?」

見たくもないのに見入ってしまっていたので、文はこれ幸いと彼の手をとった。

「君に見せたいものがあるんだ。」

少し眠たくなってきた文の手を引いて、サイコースは食堂を抜けた。

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