12-見つけた

 見つけた。ようやく、ようやく見つけた。

 背中を丸めてそばをすする男の横に、何食わぬ顔をして立ってみる。食券を出さない俺を立ち食いそばの店主は怪訝な顔で見る。男はまだ、俺に気づかない。

「……うまいか」

 俺が声をかけると、男は面倒くさそうにちらりとこちらを睨みつけた。そばをすする動作に戻りかけて、ぴた、と動きが止まる。

「11年ぶり、か?」

 俺はニヤリと笑ってみせた。う、ともあ、ともつかないうめき声を出し、男は突然、脱兎のごとく店を飛び出した。

「逃げんな、待てコラぁッ!」

 安っぽいアロハシャツの背中を追う。こいつのせいで、蘇生してからの4年間、俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ。


 俺が死んでも生き返ると知って、話を持ちかけてきたのは向こうだった。火葬せず遺体を引き取って俺のアパートに安置する、蘇生までの家賃と生命保険の半額を口座に振り込む、これが条件だったはずだ。生き返ってみれば無縁仏の合祀場で、完全に骨にされた俺は他の遺骨と混ぜられて7年以上死んだままだった。着る服もなく墓から這い出した俺を見つけてしまった住職の腰の治療費も請求したいところだが、それより約束の金がビタ一文振り込まれていないのは納得がいかない。これじゃ犬死にもいいところだ。アパートはとっくに引き払われていたし、口座の持ち主だと証明するのにも随分時間がかかった。

 エスカレーターを駆け上がろうとして転んだ男の襟首をつかむ。男はまるで咬みつかれたかのようにぎゃあっと声を上げた。

「約束が違うよなぁおい? 保険金はどこ行った。ナチ式の本場の拷問、味わってみるか? ぁあッ!?」

 ナチの拷問は受けた側だが、少しくらい凄んでみせてもバチは当たらないはずだ。男は俺の顔を凝視し、小さな声でばけもの、とつぶやくと、食ったばかりのそばを吐き、ぐったりと全身の力を抜いて失禁してしまった。汚ねぇ。


 気を失った男を担いで病院を聞くふりをして改札を出、人通りの少ない裏通りに座らせて顔をはたいてやった。ひゃ、と男が情けない声を出す。俺は自販機で適当に買ったカルピスウォーターの缶を差し出した。

「説明してもらえるよな?」

「ほ、本当に、生き返るんだな……」

 残念ながら、な。震える手で缶を開けて一気に飲み干す男を見下ろしながら、俺は小さくため息をついた。俺だって、好きで化け物やってるわけじゃない。

「し、仕方なかったんだ。自殺で保険が降りるのは加入してから1年経ってからだって言われて、鉄道会社にはあとで賠償請求するって言われて。だから、知人に見間違えたってことにして……。お、俺だって大損だったんだよ!」

 どうやら嘘ではなさそうだが、本当だとしたらこんなにばかばかしい話もない。保険周りの詐欺なら任せとけ、とか何とか自信満々だった気がするが、詐欺にあったのは俺のほうだったか。

「……で? 電車でぺしゃんこになった挙句、無一文にされて日雇いで食いつないできた俺に言うことはそれだけか?」

 う、と言葉を詰まらせ、男は尻のポケットから財布を出した。札入れの中身を全部、俺に差し出す。

「3万、か。11年で3万って、お前さ」

 ばかばかしすぎて受け取る気にもならないが、明日の寝床にも困る身だ。当座の生活費に、もらっておくことにする。


 これ以上相手にしても時間の無駄だろう。4年分の徒労感が全身にのしかかってきた。まだ震えている男をもう一度だけ見下ろす。唾のひとつも吐きかけてやりたいが、無意味だ。俺は、無言で踵を返した。

「あ」

「あ」

 電柱の影から声が上がって、慌てた顔が引っ込んた。思わず俺まで声を上げたが、制服のスカートが完全にはみ出している。中学生、いや、高校生か。たぶん、いや絶対、勘違いされてるだろうな。

 歩み寄ったら逃げられるだろうと思ったが、意外なことに彼女は動かなかった。ペプシの缶を温めるように両手で握り締めたまま、じっとこちらを見ている。

「カツアゲ、じゃねぇぞ?」

 こくこく、と必死でうなずく。こいつ、絶対信じてないだろ。

「見てたのか」

 びくん、と過剰な反応が返ってきた。困ったな、警察でも呼ばれたら厄介だ。怯えた人間が集団や組織を動かすとどれだけ怖いかは、文字通り骨身に染みて知っている。しばらく考えあぐねて言葉を探していると、驚いたことに彼女のほうから手の中の缶を差し出してきた。

「あ……あのっ、よかったら、ペプシ……飲みませんか……?」

 こんな出会い方をした相手と、これからおよそ60年、添い遂げることになるんだから、何年生きても人間ってのは分からないもんだ。受け取った缶は生ぬるくなりかけていて、その中途半端な温度は、俺の戸惑いそのものだった。

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