第12話

 夕食を買うために、俺たちは途中でコンビニに寄ることにした。特に食いたい料理はないけれど、とりあえず俺は唐揚げ弁当を手に取った。澄美は何にしよっかと迷っていたが、最後にはハンバーグ弁当にした。

「由美さんの分、何にする?」

「適当にすれば? ああ、これいいかも」

「それって、由美さんが嫌いなやつじゃん」

 由美さんは辛いものに苦手なのに、澄美は辛口カレーライスを手に取って見せた。

「これがいいのよ。ほら、あいついつも偏食はダメって言うのに自分が苦手な食べ物は食べないんだよね」

「やっぱり却下」

 カレーライスを俺は棚に戻して、由美さんが好きそうな野菜たっぷり弁当を取る。まとめてレジでお会計を済ませ、また帰路につく。

 家に帰ったのは十分後のことだ。各自の部屋で着替えてから、俺たちはリビングで食事する。たまに黙ったり他愛のない話をしたり笑ったりしているうちに、食事は終わった。

 その後、澄美は自分の部屋に戻った。片づけもせずに去っていった彼女に、俺はぶつぶつとつぶやきながら、自分の弁当とまとめて片づける。ゴミの分別をしているうちに、俺はシンクに置きっぱなしの汚れた食器を発見した。

 今日朝で使ったやつだ。

「由美さん、今日も会社へ急いだのか」

 朝の食器洗いはいつも由美さんがやっている。だけど、会社のことで急がなければならない場合、このまま食器を置きっぱなしにするのはたまにある。

 このまま放置するのもよくないので、俺は自分で洗おうと決めた。洗い始めたところで、ちょうどドアの開け閉めの音が聞こえた。

 由美さんが戻ってきただろうと思った途端に、彼女の姿が見えてきた。

「ただいま」

「お帰り、由美さん」

 由美さんはバックとかの手荷物を椅子に置いてから、視線を俺の方に向けた。目が合ったところで、由美さんは優しい表情を見せる。

「あら、ありがと。やはりソウくんはいい子ね」

「そんなことないですよ」

 考えるより先に、俺はこうして返事をした。

「謙遜しなくてもいいって」

 由美さんは嬉しそうに笑い、また言い添える。

 そこまで言われると俺は照れ隠しに苦笑した。そうしかできなかった。いい子って言われても実感はあまりない。そもそも本当に俺はいい子だろうかと自分にも分からない。

 そう考えると、由美さんはいつの間にか近寄ってきた。何かを見極めるように、彼女は俺を見つめていた。少し緊張してくる。

「ソウくんって、結婚したらいい夫になるでしょ、必ず嫁さんを幸せにするって」

「……えっ! そんなことはっ」

「あるわよ」

 俺の返事を遮った由美さんは言い続ける。

「ソウくんはさ、結構かっこういいし、性格も優しい。何より、家事する男って滅多に多くないわね」

「……家事するのって、あくまで私の責任ですよ」

「あら、かっこういいとか優しいとかは否定しないんだ」

 由美さんはイタズラっぽく笑いかける。いつものことだが、会話のペースは完全に彼女に握られている。

「いやいやいや、だから違うって」

 とは言え、俺は最低限の抵抗をする。手をひらひらと否定したら、手袋に着いたしずくを不意に床に落としてしまった。

「ご、ごめんなさい」

 由美さんの足を汚さなかったけれど、俺は慌ててスポンジで汚れた床をこする。

 由美さんはまるで面白いものを見つけたようにまた笑みをこぼす。自分の口に手を当て、もう一つの手をひらひらと振っている。

「こちらこそ、ごめんね。ついからかいたくなっちゃって」

 そこまで笑われるとこちらもちょっと気まずくなった。自分では見られないけれど、耳が真っ赤になったかもしれない。

 由美さんが笑い止むまで数秒がかかった。さっきの笑顔が一転して、今度は真剣なトーンで俺に語り掛ける。

「でもね、私の言うことは事実だよ。もっと自信を持ってもいいって」

「……え?」

 俺が頭を傾げると、由美さんは俺の手の上に手を置いた。

 汚れてしまいます、とは言えずに、俺はただ言葉を待っていた。

「……心配だったでしょ。和音のことが」

「……うん」

 図星だ。

 和音のことはとても心配している。

 けれど、ちょっとだけ違う気もする。

「和音のことなら心配いらないわ。それは保護者である私の責任だもの。ソウくんは今勉強に専念していなさい。そう言えば三者面談はいつだっけ。進路決めたらぜひ教えて……」

 とても大事な話のはずなのに、俺は由美さんの言うことを聞き流していた。耳に入らなかったのだ。

 和音が回復したのは喜ばしいことに違いない。しかし俺は素直に喜べない。その理由はなぜなのか俺にはまだいちいち把握できていないけれど、由美さんの言葉のおかけで少しだけが分かった。

 俺はとても心配だ。

 すごく不安で焦りを感じるくらいに。

 だけど、これは和音の体調に対する心配なのか、それとも他の何かに対する心配なのか……。

 もう少しでこの気持ちの正体に気づくはずだったけれど、由美さんの声につられて我に返った。

「ソウくん」

「由美……さん?」

 由美さんは俺の頭をポンポンして、またいつもの優しい眼差しを見せかけていた。

「大丈夫よ」

「……だい……じょうぶ?」

「そう、きっと大丈夫なのよ。だって由美さんは見てるもの。ソウくんは成長してるって」

「それはどういう意味ですか」

 由美さんはたまに複雑な話をする。いや、多分本当は複雑な話ではなく、俺には由美さんの言葉を理解できる賢さがないだけかもしれない。

 けれど、由美さんはきっとちゃんと説明してくれるはずだ。

「だから、もっと自信を持ってもいいって」

「うん、分かった」

 また同じ言葉を言った由美さんに、今度は相槌を打った。

 もちろんのことだか、自信は持った方がいいと、俺もそう思う。けれど、どうしてその流れでこの話になっているのは分からない。分かったのは由美さんが俺を励まそうとしているだけだ。

「あら、まったく分かってない顔をしてるのね」

 由美さんの見通しだ。

「……すいません」

「いいわ。謝らなくても。ただソウくんに分かってほしいわ。ソウくんは自分の思ったより優秀だって。ソウくんがどんな選択をしても由美さんは応援する。和音のことも、進路のことも。だから自分を信じなさい。なぜなら由美さんは信じているから」

 年齢にふさわしくないかもしれないけど、由美さんはⅤサインをして見せた。

 それを見て俺は笑うのをこらえてもう少しで噴き出すところだった。

 やっぱり由美さんの見通しだ。

 でも、信じているのか……。

 さすが親子というべきなのか、澄美も同じことを言っていた。

 ただ、由美さんにも澄美にもまだ知らないでしょう。俺は進路先を未だに決めていないことと、たった一人の女の子で進路調査票の提出を後回しにしていることを。そして、俺は和音にどんな感情を抱えているのかも、彼女たちはまだ知らない。

「それでね、そんな成長してるソウくんに一つ頼みがあるんだけど。このボトルを開けてくれない? 蓋が固くて」

「はい、よろこんで。開けました」

「ありがと。やはり男って力強いよね。よしよし」

「あの、由美さん。何してるんですか」

「ナデナデしたかっただけです」


 ボトルを受け取った後に、由美さんは空いた手を俺の頭をナデナデしてきた。

 そしてちょうどこのタイミングで、澄美がリビングに戻ってきた。


「お風呂上がったよ……で、何いちゃいちゃしてんのよっ!」

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