第4話


 とても長い、しかしとても短い、夢を見ていた気がする。

 目が覚めた感覚はする。思考は出来る。だが視界は開けない。身体は動かない。意識だけが中空に漂っているような、不思議な気分。

 ゆっくりと、夢を見る前の記憶が、掘り起こされていく。ぼんやりとしていた頭が、徐々に冴えていく。

 どうやら、私は寿命を迎えるところだった、と、思う。最後は仕事をしていた覚えがあるので、脳梗塞か脳出血やらで倒れたのだろう。いや、こうして意識が戻ったのだ、一先ず原因はいい。

 だとすると先程の夢は走馬灯か。そして、何らかの理由でこうしてまた意識を取り戻した、と考えるのが妥当なところ、だが。

 色々なことを思い出していくに連れ、頭部に、胸部に、腹部に、全身に、痛みが生じていく。それはじわじわと広がり、私のあらゆる部位を苛んでくる。

 多少痛みには強い方だと思っていたものの、次第に大きくなる疼痛は今までに体験したことがないほどに激烈で、とてもではないが耐えられる代物ではない。無意識に、勝手に身体は捻れ、口は呻き声を発しようとする、いや、した。

 しかし、声は上げられず、指の末端に至るまで何一つ随意に動かせない。刺激に対して、何の反応も返すことが出来ない。

 これは。

「父は、父は助かるんですか⁉︎」

 突然聴覚が回復し、娘らしき人物の、聞きなれない悲鳴のような声が感じ取れた。

 次いで機器が稼働する音、二、三の人が駆け回る足音。誰か、私に気付いてはくれないものか。そこに居るのは私の後輩であろう、早く診断を。

「……取り敢えず生きてはいる、というところです。なんとか蘇生には成功しましたが、ここからは良くてこのまま、植物状態、でしょう」

 何を、言っているんだ。

 遷延性意識障害とは違う、私は自分自身や周囲を認識出来ている。どういうことだ。私の意識が戻る前に判別をしてしまったというのか。

 これは閉じ込め症候群、違う、眼球ですら随意に動かせない。完全閉じ込め症候群、だ。意識があるにも関わらず、誰にもそのことが認知されず、気が狂うような虚無に囚われるという、悪夢のような症例だ。

 どうすればいい。どうすれば、私は意識があると伝えることが出来る。どうすれば、強くなっていくこの地獄のような痛みから解放してくれる。

 いや、生き延びることを考えなくても良い。このまま死なせてくれても、私は楽になれる。そして私はその旨を家族には既に伝え「植物状態、でも」て、ある、はず、だけれども。

「良いんですか?   自力で生きられなくなったら殺してくれと伝えてあると聞いてますが」

 そう、そのはずだ。

 そう考えた。

 そう伝えた。

 私は、そう願った。

「……はい」

 まさか。

   話し合っただろう。止めて欲しいと言っておいただろう。

   この苦しみから解き放ってくれ。


   これ以上は。



   頼むから、止めてくれ――








「父を、生かしてください」














 人は時として、善いことをする。


 そして人は、自分で善いと思っていることをする。


 人は、善いことをしている自分が好きだから。


 善いことの内容など関係ない。


 何故なら。


 善いこと、それ自体を。想っているからに他なるまい。


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善かれと想って 菱河一色 @calsium1

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