俺の入院日記 その8

 消灯・・・・懐かしいねぇ。こんな体験を味わうのは、自衛隊時代以来だ。


 午後9時、一斉に病棟内の灯りが消えた。


 俺はベッドの中で、眠るともなくゴロゴロしていた。


 当たり前だろう。


 探偵になってからこっち、


『宵っ張りの朝寝坊』を決め込み続けてきた俺が、そう簡単に寝られるわけがない。


それから1時間くらい経ったろうか?


ほんの少しとろとろしかけた、その時である。


病室のドアが開き、誰かの押し殺したような声が聞こえた。


 薄目を開けてみると、誰かが中に入ってくるのが分かった。


 気配の主は、俺の足元を通り過ぎ、隣の壮太に声をかけている。


 壮太が声に促されてベッドから身体を起こした。


 俺はわざと寝息を立てて、二人が通り過ぎるのを待つ。


 二人が出てゆくと、俺はゆっくり身体を起こし、立ち上がった。


 どうやら彼らは、俺達の病室から少し先にある、浴室の手前の、洗濯室兼脱衣場


に入っていったようだ。


 俺はスリッパを履かず裸足で廊下を歩いて行った。


 春先とはいえ、リノリウムの床は流石にまだ冷たい。


 耳をこらすと、脱衣場の中で、数人の喋る声が聞こえた。


 声の主はあの髭面の大男と、それからあと二人は消灯前に喫煙所にいた、目つきの悪い二人組だ。


(おい、あれだけシメてやったのにまだ懲りねぇのかよ?)


(ぼ、僕は何もしてません・・・・)


(とぼけんじゃねぇよ!)一人が後ろから壮太を羽交い絞めにし、一人が腹を思い切り蹴飛ばした。 


 くぐもったようなうめき声を出して、前のめりに倒れた。


 すると、二人は構わずに彼の背中と言わず頭と言わず、足で踏んづける。


(ちょっとやめろ)


 あの髭面が声を発した。


(お前よう・・・・今度またみつきさんになれなれしくしてみろ。これくらいじゃすまねぇからな)


(やっぱりな・・・・)


 俺は思った。


 どうせ何となく予想はついたが・・・・。


 そこで一つわざと大きな音を立てて咳ばらいをした。


『だ、誰だ?!』


 俺は寝ぼけ眼をこする仕草をしながら脱衣場に入って、


『ああ、すまん。ここトイレじゃなかったか・・・・何しろ昨日入院したばっかりなもんだから』


『トイレならあっちだよ。なにねぼけやがんだ!』


『でも、何やってたんだ?あんたら?あれ?』


 俺は壮太に目を止めると、彼を助け起こした。


『中村君じゃないか?こんな夜中に一体何を?』


『・・・・おい、行くぞ・・・・』


 不機嫌そうな顔をして髭が二人に促すと、二人も『ちっ』と舌を鳴らし

脱衣場を出て行った。


 三人が行ってしまうと、壮太はリノリウムの床に伏して、しばらく声を殺して泣きだした。


 俺は何も言わずに彼の肩に手を貸す。


 壮太はべそをかきながら捉まると、ゆっくりと立ち上がった。


 何か聞いてみたかったが、俺は何も話しかけなかった。


 部屋に戻り、それぞれのベッドに別れようとした時、


『あの、乾さん・・・・』


 壮太が言った。


『今日見たこと、誰にも話さないでください・・・・お願いします』


『しかし、話さなかったら、また同じ目に遭うんじゃないのか?』


『話したってどうせ解決しやしません・・・・』


『すると、君の手の傷や青あざもやっぱり?』


 自嘲気味にそんな言葉を吐き出し、彼は自分のベッドに潜り込んだ。


 釈然としないが、俺もベッドに潜り込む。


 これまでいじめの現場には何度もお目にかかってきたが、まさか本当にこんな病院で目の当たりにするとは思ってもみなかった。









 


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