俺の入院日記 その5

 俺が入ったのは、二人部屋だった。

 

 二人部屋というのは個室ほどではないにしろ、


『差額ベッド代』というのがとられる。


 額は1日五千円だ。


 大部屋、つまり六人部屋はそれがないから、後は入院費だけである。


 貧乏な探偵の俺としては、腹が痛むところだが、まあ、仕事を成し遂げれば、必要経費で何とかなる。そう言い聞かせた。


 しかし、運がいいことに俺の相部屋になったのは、依頼人の息子、

つまりは『中村壮太君』だったのだ。


 彼は俺が入院した時、まだ午後1時だというのに、ベッドに入って毛布を頭からかぶって寝ていた。


 話しかけようかとも思ったが、止めておいた。


 部屋の作りは真ん中に間仕切りがあり、俺は空いている方、つまりは出入り口側のベッドに収まった。

 

 ベッドが一つと、サイドテーブル、


 それから作り付けの小型の物入れ兼クローゼットがあるだけの、至ってシンプルなものだった。


 俺は荷物をしまうと、サイドテーブルの上に、一冊の月刊誌を置いた。


 声優の専門誌である。


 勘違いするなよ。


 俺はアニメにも、声優にも、格別興味がある訳じゃない。


 これもつまりは釣り針に付けた『餌』みたいなもんだ。


 俺は雑誌を手に取り、ぱらぱらとめくっていた。


 隣で気配がする。


『彼』が起き上がった。


 トイレにでも行くんだろう。


 俺は知らんふりをして雑誌を読んでいた。


 俺の前、ベッドの裾の方を横切った時、ちらっとこっちを見た。


『あ、あの、声優に興味があるんですか?』


 案の定、彼は声をかけてきた。細く、おどおどした声だ。


『あ、ああ、いい歳をしてって思うだろ?こう見えても横川めぐちゃんのファンでね』


『横川めぐ』っていうのは、最近アニメ好きの若者の間で一番人気の若手女性声優(どうも「声優」って表現はあまり好きになれんな。)らしく、俺もここへ来る前に予備知識として彼女の出たアニメのDVDを見たし、CDも聴いてきた。


『本当?実は僕もなんです。』


 彼の顔が輝いた。


 俺たちは自己紹介をしあい、そして暫くアニメの話題で盛り上がった。


 どうやらここにはアニメの話題が通じる人間が他にいなかったようだ。


 話のついでに、俺が『まだ入ったばかりで何も中の事は分からないんだ』


 と、俺が言うと、また暗い顔に戻り、


『特に覚えることなんかありませんよ。言われるとおりにやってればいいんです』


 と答えた。


 ちらり、と俺は彼の方を見た。


 えんじ色の半袖Tシャツからのぞくひじから先には、いくつかの傷跡と、青あざが出来ていた。


 勿論、それについては俺も深く聞かなかった。


 まず何よりも信頼を得ることが肝心だ。


 彼はトイレに行き、そして戻ってくると、自分のベッドから横川めぐの写真集と、何枚かのCDを持って戻ってきた。


 写真集の表にはサインがしてある。


 テレビ局に勤めていた時、偶然彼女に会ったときにサインして貰ったのだという。


『その後上司にひどく叱られましたけどね』


 また彼は寂しそうに笑った。


 やがて学校の始業ベルのようなチャイムの音がして、夕食を告げるアナウンスが入った。


 腕時計をちらりと見ると、まだ4時半を少し回ったところだ。


 病院の夕食は早いと聞いていたが、いつの間にこんなに時間が経っていたんだろう。


『ここのこと、何にも分からないでしょう?いいから僕についてきてください』


 彼は椅子から立ち上がった。




 


 



 


 

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