第11話 あたしは…

 〇ひがし 朝子あさこ


 あたしは…

 あれからchoconに顔を出す事はなかった。

 気になるなら行かなきゃいい。

 あたしは、あたしの生活を毎日きちんとしていればいいだけ。

 あずきで働いて、映と小さな幸せを作る。


 それだけ。



 八月になって、両親に結婚の許しをもらおうと思ったけど、海くんの状況が…何だか劣悪らしくて…

 頼むから、もう少し我慢して欲しい。と…両親に言われた。


 海くんの状況が劣悪なのって…あたしのせいなの?


 そう言いたくなった。


 あたしは、海くんが幸せにならなきゃ…結婚もできないの?


 言いたい事はたくさんあったけど…

 ずっと大切に育てられて…両親や二階堂を裏切ったのは、あたしだ。

 映には…謝るしかなかった。

 だけど…


「まだ、たった一年だもんな。焦るこたないさ。」


 映は…笑ってくれた。


「だいたい、華月と詩生なんていつから付き合ってんだ?俺らよりずっと我慢強いよな。」


「…そっか…大先輩がいた…」


 そうだよ…

 お兄ちゃんと咲華さんだって…結婚の話が進んでない。

 咲華さんに…逃げられちゃわないかな…



 あたしが映の顔を見上げると。


「だいじょーぶ。俺達は何があっても、ずっと一緒。」


 そう言って…手を繋いでくれた。


 …うん。

 あたし達…ずっと一緒だよ…。


 小さなことは、気にしない。

 うん。


 千世子さんの事も…気にしない。



 気にしないと言い聞かせながらも、どこかにずっと引っ掛かってはいた。

 でも千世子さん自体に会う事もないし…あたしは彼女の存在を忘れる事にした。

 付き合いがなければ、いいだけの話だ。



 あたしと映は何の問題もなく。

 穏やかに…生活していた…はずだった。

 映の体調管理にも気を配っていたつもりだし…

 お互いの事も、色々話していたつもり…だった。



 だけど…11月のある日。



「朝子ちゃん。」


 早番で、あずきから帰ると…部屋の前であたしを待ってたのは…


「…華月ちゃん…と…」


 華月ちゃんと、彼氏の…詩生くん。


「…どうしたの?」


 二人の険しい顔を見て、あたしは胸騒ぎを覚えた。


「映は?」


「え?」


「今日、事務所来てねーんだ。」


「え…そんな…」


 あたしが出かける時は、まだ部屋に居たけど…

 9時には出かけるって言ってた。


「連絡取れないし…」


 あたしは部屋のカギを開けて、中に入る。

 すると…

 映はそこにいなくて。

 テーブルの上に、映の携帯と。


『悪い。しばらく一人で考えたい事がある』


 書き置きが…残されてた。




「いったい…何があったの?」


 華月ちゃんにそう聞かれても…聞きたいのはあたしだった。

 今朝まで本当に普通だったのに…

 普段と何も変わらなかったのに…


 一人で考えたい事って何?

 あたしとじゃ考えられないの?



 あたしが無言のまま考え込んでると。


「何か聞いてた?」


 詩生くんに目を見て言われて…あたしは小さく首を横に振った。


 何も…

 何も聞いてない…



「何か不満があるとか、そういう話は?」


「…本当に何も聞いてないんです…あたしには仕事は…楽しくやってるとしか…」


「……」



 携帯を置いてまで出て行くなんて…

 どこへ行ったの?

 誰とも連絡を取りたくないって事なんだろうけど…

 これは…あたし、ちょっとへこんじゃうよ…



 落ち込んでるあたしに気付いた華月ちゃんが。


「…もうっ、映ったら仕方ないわね。朝子ちゃんほったらかして出掛けちゃうなんて。」


 わざと…明るい口調で言ってくれた。


「朝子ちゃん、一人で寂しかったら、うちに泊まりにおいでよ。」


「…ありがとう…でも、もしかしたら…映がふらっと帰ってくるかもしれないし…」


 一人で考えたい…


 それなら、一日じゃ帰って来ない気もするけど…待っていたい。

 何か…きっと何かあるんだ…

 急に一人で考えたいって思った事…


 …だけど…

 せめて、何か…一言…

 相談してくれたって良かったのに…



 結局…映からは二日後に…電話があった。

 …アメリカから。


『DANGERのデビューライヴ見に来た。』


 と…。



「…あたしも行きたかったな…」


 なるべく明るい声で言いたかったけど、結局暗い声になった。


『ほんとだな…悪い。』


「…スケジュール…詰まってたのに、大丈夫なの?」


『…誰か来たのか?』


「…詩生くん…」


『…帰って話す。』


 その言葉に…あたしは悲しくなってしまって。


「…行く前に聞きたかった。」


 それだけ言うと、電話を切った。



 …映には色々あるんだ。

 理解しなきゃいけない。

 分かってる。

 ううん…分かってない。


 あたしは、映が好きなだけ。

 一緒にいたいだけ。

 映の事、誰よりも知っていたいだけ。


 だけど…映は、あたしにそれを求めてない。


 海くんも、そうだった。

 あたしには、何も言わない。


 あたしは…相談をする価値もない女なんだ…。



 一週間後、映はたくさんのお土産を買って帰って。

 丸一日…事務所に缶詰状態で、話し合いをして…そこで、DEEBEEを脱退したいと言ったそうだ。


 メンバーのみんなからは引き留められたみたいだけど、映の気持ちは変わらなくて。

 そこに…一人だけ…

 DEEBEEのプロデューサーのハリーだけが、映の脱退に賛成していた。


 そして、映は…

 華月ちゃんのお父さんのバンドに入りたい。と、申し出て。

 事務所の中の雰囲気が、あまり…良くないらしい。



 そりゃ…そうだよね。

 ずっと一緒にやって来たメンバーがいるのに…そこを辞めて、大御所のバンドに入りたいって…


 ただ、華月ちゃんのお父さんのバンドには、映のお父さんもいて。

 ベーシスト東映を迎える事自体は、賛成なんだけど…DEEBEEのこれからを考えると、一つ返事は出来ない。

 と、渋られているようだった。



「次は朝子も一緒に行こう。」


 映は…

 アメリカでDANGER…紅美ちゃんのバンドのライヴを見て。

 かなり刺激を受けたものの…

 内緒で行ったから、誰にも声をかけなかったと言った。

 そして、一人でぶらぶらしながら色々考えた、と。


 次は一緒に行こう。と言われても…何の言葉も出なかった。

 静かに笑うだけで…うん。とは…言えなかった。



 12月に入って、映は正式にDEEBEEを脱退した。

 しばらくは、どのバンドにも属さない。

 一人で練習する。と言っては、毎日事務所に行った。

 もしかしたら、風当りも強かったのかもしれない。

 だけど…何の相談もされなかったあたしには、どんなフォローをしていいかも分からず…


 今まで通り…

 あずきに行って、帰って…

 ボンヤリと…映の帰りを待って…


 少しずつ…

 また、顔を隠すようになった。



 自信がなくなったのだと思う。

 小さなことかもしれない。

 男の人には色々あるんだ。

 そう思えばいいだけの話なのに。


 あたしは…必要とされていない気がして。


 映が…

 海くんと同じに思えて…


 少しずつ、映に…心を閉ざし始めてしまった。




 〇あずま えい


 Live aliveの映像を見た。

 自分の中では封印していたが…見たくなった。

 見て…自分の気持ちを抑えられなくなった。


 ハリーに言われたからじゃない。

 俺自身の…気持ちだ。



 なぜ封印していたか。


 それは…Live aliveは…ノンくんに刺激されて、もっと上に行きたい。そういう気持ちを持った瞬間だったからだ。

 そして、それを本気で望むと…

 俺は…DEEBEEより、F'sに…


 F'sで…自分の力を試したい。

 いや、自分を生かしたい。


 だが、ずっと一緒にやって来た仲間を…裏切る事になる。


 俺は一人…悶々と思い悩んだ。

 俺が抜けた後は?

 それに、F'sのメンバーも…俺を受け入れてくれるとは限らない。

 脱退して、F'sに受け入れられなかったら…?



 なかなか踏ん切りがつかなかった俺は…急遽、渡米する事にした。

 DANGERのデビューライヴが見たかったからだ。

 だが、行くとなると…スケジュールをいくつか飛ばす事になる。


 …どうする?


 悩んだのは一瞬だった。

 デビューライヴは一度きりだ。

 あいつらの成長を見ない手はない。


 みんなに迷惑をかける事を承知で…俺は飛行機に乗った。

 …朝子にも何も言わずに。



 ライヴは…信じられないぐらいの刺激を受けた。

 そして、勇気をもらえた。

 帰ったらみんなに土下座をするしかない。

 それでも、俺の気持ちは固まった。



 帰国してその足で事務所に行き、スケジュールに穴をあけた事を…メンバーに土下座し。

 関係者にも、頭を下げて回った。

 上の人達には一喝されたが…俺にとって、それだけの事だった。と理解もしてくれていた。


 だが…問題は…

 バンドより、朝子の方だったかもしれない。


 あきらかに、笑顔が減った。

 そして…やたら遅番ばかりを入れるようになった。

 そうすると…自然とすれ違う事が増えて。

 気が付いたら、一緒に食うのは朝飯だけ…

 そんな生活になり始めていた。



 男には色々あるんだ。

 そう言った所で…朝子は理解できないかもしれない。

 …女にだって色々あるよな…


 だけど朝子には相談できなかった。

 俺が全ての朝子に相談した所で、したいようにやればいいと言われるに違いないと踏んだからだ。


 そんな意見は欲しくなかった。

 俺が欲しかったのは…

 決断できるインパクトだ。


 そのために、DANGERの音を選んだのは間違いなかった。



 〇ひがし 朝子あさこ


 あずきのご主人がぎっくり腰をされたとの事で、あたしの遅番が増えた。

 増えたと言うか、ほぼ遅番。

 それに伴って…映との時間が減った。

 気付いたら、一緒の食事は朝食だけ。


 最初はその事に焦りを感じたけど…やがてそれにも慣れてしまった。


 だって…

 映は、あたしの事…要らないんだよね…?


 そう思い始めると、右手の指輪が空しく思えてきた。


 あたし達、こんなので結婚なんてして大丈夫なのかな…

 まあ…全然話も進まないし…

 もしかしたら、やめろって事だったのかも…なんて…



 とにかく。

 マイナスなあたしが出始めた。


 映は海くんと一緒。

 そう思ってからと言う物…

 あたしは、映に背中を向けて眠るようになった。



「朝子ちゃん。」


 早番の、ある日。

 あずきを出て歩いてると、声を掛けられた。

 振り向くと…


「…わたるさん…」


「やあ、元気?」


 久しぶりに会う、二階堂 渉さん。


「はい…え?どうしてここに?」


「うん。ちょっと朝子ちゃんに話があって。時間ある?」


「はい…」



 渉さんに連れられて、『カナール』に。



「今、彼氏と暮らしてるんだってね。」


「…誰に?」


 泉ちゃんと空ちゃんには…言ってないんだけど…

 華月ちゃんにも一応口止めしてるから、漏れるとしたら…


「志麻。」


 やっぱり…お兄ちゃんか…



「…空ちゃんにも秘密にしたままで…ごめんなさい。」


「言いにくい気持ちは分かるから。俺も空には言ってないよ。」


 渉さんの言葉に、あたしは少しだけホッとした。

 海くんとの婚約を破棄してすぐに…外の人と同棲なんて。

 両親は、あたしがいつか別れる事を願っているのか…誰にもあたしの近況を話していないらしい。



「…結婚が決まったら…言おうと思ってたんだけど…」


「…進まない?」


「親が…会わない内から嫌がって…」


「…二階堂の古い習慣を重んじて来た人達には、戸惑いが大きいんだろうね。」


 親の気持ちも分かるけど…二階堂を変えたいと動いている頭を始め、海くんやお兄ちゃん…

 対立しなきゃいいけど…



「何か悩みでもある?」


 突然そう言われて、ハッと顔を上げる。


「そ…そんな顔してますか?」


「うん。」


「…あたし…」


 あたしは渉さんに、映が海くんと同じで…

 あたしに何も話してくれない事。

 それで自分に自信が持てなくなった事を打ち明けた。


 最初は…あんなに上手くいってたのに…



「…朝子ちゃん。」


「はい…」


「ちょっと厳しい事を言うけど、いいかな。」


「……」


 今厳しい事言われると…ちょっと…心が折れそうだな…

 そう思って返事が出来ずにいると。


「傷付くのが怖いから、自分から先に悪い方へ悪い方へ考えてるね?」


 渉さんは、あたしの顔を覗き込んだ。


「……」


 そ…う…だよね…


「今も、俺が厳しい事言うって言ったら、返事も出来なくなった。朝子ちゃん、海との時も、今の彼との事も…全部相手が悪かったかな?」


「…違います…あたしが…」


「ほら。あたしが、って。そうじゃないんだよ。」


「……」


 渉さんは指を組んで。


「結婚も恋愛も二人でする事だよ。片方だけが悪いなんて、よっぽどの事がない限りないさ。」


「じゃあ…あたしがよっぽどの…」


「朝子ちゃんは、まだまだ世の中を知らない。」


「……」


「だから、海も彼も、朝子ちゃんに『話さなかった』んじゃなくて、『話せなかった』んじゃないかな。」


 …話せなかった…


「それは、あたしが…」


「弱いから。」


「……」


「傷付けられるより先に自分で傷付けたり、仕方ないって片付けてたりしてない?」


「…して…る…」


 だって。


 だって…



「朝子ちゃん。」


 渉さんはあたしの顎を持ち上げて。


「ちゃんと、俺の目見て。」


 低い声で言った。


「せっかく外に出たのに、外でも二階堂のままでいていいのかい?」


「…二階堂のまま…」


「何のために外に出た?」


 あたしの目から、涙がこぼれた。


 あたし…

 変わりたかった。

 キラキラした紅美ちゃんが眩しかった。

 憧れた。

 二階堂から出たら…あたしもキラキラできるんだ…なんて。

 簡単に、そう思ってしまってたかもしれない。


 映と恋をして。

 不安な事もあったけど…映はずっとあたしのそばにいるって約束してくれて。

 なのに、あたしは映の事を信じる事が出来なくて…



「…朝子ちゃん。」


「…あたし…どうしたら…こんな自分から…」


「……」


 渉さんはあたしの顎から手を離して、そっと頭を撫でてくれた。


「…俺ね、来月からアメリカに単身赴任するんだ。」


「…え?」


「有望過ぎて、スカウトされた。」


「アメリカ…」


 あたしには…いい思い出がない。

 怪我をしたアメリカ。

 海くんとの辛い生活をしたアメリカ。

 映が…黙って行ってしまったアメリカ。



「もし。」


「……」


「もし、顔の傷を治す気になったら…おいで。」


「…え…」


「治るよ。」


「……」


「その傷は、もう持ってても…無意味じゃないかな?」


 あたしは…渉さんの言葉を心の中で繰り返した。


 その傷は…持ってても無意味…



 どうしてあたし…ずっと持ってるの?

 この傷で、海くんを縛り付けた。

 だけど、もう海くんとは終わった。

 じゃあ…どうして?


 それは…


 この傷があるんだから、仕方がない。

 この傷のせいだから、仕方がない。


 …どこかで…

 この傷に甘えていたのかもしれない…



「…わた…」


「……」


「先生。」


「…ん?」


 あたしは涙をぬぐう。


「少し…時間をください。」


「…もちろん。」


「でも…」


「……」


「あたし、治します。」


「…朝子ちゃん…」


「治しに…行きます…。」


 あたしの言葉に、渉さん…先生は。


「うん。待ってるよ。」


 優しい…

 今日一番優しい顔で…そう言ってくれた…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る