いつか出逢ったあなた 33rd

ヒカリ

第1話 あたしは東朝子、もうすぐ22歳。

 〇東 朝子 


 あたしはひがし朝子あさこ、もうすぐ22歳。


 許嫁だったうみくんと、結婚…するはずだったけど。

 彼とは残念ながら破局。

 なぜかは…今はまだ、あまり思い出したくない。



 前向きに歩いてるつもりだけど…

 やっぱり…まだ胸が痛い。


 小さな頃から、海くんが結婚相手と思っていたあたしは…

 他の男性には目もくれず。

 ひたすら…海くんを想っていた。


 はずだった。



 …はずだった…って言うのは…

 あたしは世間知らずで。

 ちゃんとした恋と言う物が…よく分かってなかったから。


 もしかしたら…

 海くんに抱いていたのは、恋への憧れで。

 ホンモノじゃなかったんじゃ…とも思う。



 そうでも思ってないと…やってられない。

 …それが本音かも。



 彼はずっと、紅美くみちゃんが好きだった。

 彼のイトコである…紅美ちゃんを。



 何も知らなかったあたしは…

 すごく…苦しい想いをしたけど…



 ……もう、いいのよ、朝子。

 うん。



 あたしは、婚約を破棄して。

 二階堂を出た。



 世間知らずのあたしが一人暮らしをして、自分探しを始めるなんて。

 あたし自身が…

 一番驚いてる。



 そのキッカケを作ってくれたのは…


 彼…だった。



 * * *


「朝子ちゃん、休憩入っていいよ。」


「あ、はい。」


 仕事は…毎日とても楽しい。

 それは、得意分野だから…って事もあるのかな。

 決まった事をしてるだけだから、簡単って言えばそうなんだけど。



 あたしの仕事先は…飲食店。

 それも…

 紅美ちゃんに連れて来てもらった『あずき』の厨房だ。



 紅美ちゃんから。


「ここは何食べても美味しいんだよ。」


 って言われて、あたしは天丼を食べた。

 もう…一口で、その味に魅了された。


 桜花の幼稚舎を勧められてたけど、あたしの『あずき』で働きたいって願望は日に日に増して…

 …あたしは『あずき』に足を運んだ。


「募集はしてないんだよね~…」


 と、渋るご主人を、一週間通って説得して。

 何とか…働かせてもらえる事になった。


 あずきは朝から昼の部と、夕方から夜の部があって。

 8時から14時のシフトと、17時から、夜はお酒も出るから少し遅めの1時まで。

 あたしは一切接客なしの、ひたすら厨房…しかも人から見えない位置での作業。

 その辺は…おかみさんにお願いすると、快く聞き入れてもらえた。


 …顔の傷を見られたくないので…なんて…

 こんなので優遇されるなんて、どうかしてると思うけど…

 まずは、ただ働く事だけ。

 それで自信をつけたかった。


 そして…おかみさんには、もう一つお願いした。


 ここに連れて来てくれた紅美ちゃんにさえも。

 あたしがここで働いてる事は、秘密にして欲しい…と。


 正直、誰にも知られたくなかった。

 あたしが作ろうとしてる、小さな外の世界。

 まずは…本当に、自分の中で大切に育てていきたいと思ってたから。



 時々、紅美ちゃんがバンドの人達と来てたようだけど、厨房の奥にいるあたしは会う事もなくて。

 常連である、あたしの兄と、彼女の咲華さくかさんが来て。

 おかみさんが『お兄さん来てるよ』って教えてくれる事もあったけど。

 それも…会う事はなかった。


 仕事中だし。


 唯一、あたしがここで働いてる事を知ってる兄は。

 本当に誰にも言わずにいてくれてるみたいで。

 あたしの小さな世界は、静かに…

 ゆっくりとではあるけど。

 育ち始めていた。



 * * *



「……」


 あたしは携帯を片手に、かなり…悩んでた。


『動きがあったら連絡して。』


 そう…言われてたからだ。


 誰に…かと言うと…

 あずま えいさん…



 先月、音楽事務所『ビートランド』で大イベントが開催された。

 あたしは、そのチケットを東さんにもらって…観に行った。

 そこで、紅美ちゃんの歌を聴いた。

 キラキラしてる彼女を見て…憎しみが、どうでも良くなった。


 …そりゃあ少しは…悔しかったけど…

 会って話して…

 紅美ちゃんには、海くんと向き合って欲しいって言った。


 …うん。

 これは、本心。

 だって、気持ちを残すのは…辛いよ…



 ピン


 手に持ってた携帯から、少し高い音が鳴って。

 あたしは少し背筋が伸びた。


 え…え?


『朝子ちゃん、元気?あれからどうしてるかと思って』


「あ…」


 あたしが悩んでるのを、見てたかのように。

 東さんからのメール。


 元々…あたしは携帯を持ってなかった。

 狭い世界でしか生きてなかったあたしに、それは全然必要のない物で…

 持ってる人達は特殊な人間。ぐらいに思ってたかもしれない。


 だけど、一人暮らしをするにあたって…

 両親からも兄からも、持っておけと言われた。


 そんなわけで、携帯には登録件数が少ない。

 だから当然…連絡も少ないわけで…

 だからって言うわけじゃないけど…

 東さんからのメール、ちょっと嬉しい。



『こんにちは。はい、元気です。実は一人暮らしを始めました。これから色々成長していきたいと思います。』


 送信した後で、あっ。と思い出して。


『東さんも、お元気ですか?』


 と、送った。


 しばらく返信はなくて。

 あたしは、すぐに返信があるものだと思ってた自分に苦笑いしながら、携帯をテーブルに置いた。


 …さ、アイロンかけて…


 ピン


「……」


 その音を待ってる自分がいた。

 本当は飛びつくようにして見たいクセに、わざとゆっくり携帯を手にする。


『朝子、元気?仕事は慣れた?落ち着いたらご飯行かない?それか、朝子んちで作ってくれてもいいよ^^』


 …メールは、泉ちゃんからだった。

 ちょっとガッカリしなが…ううん!!

 ガッカリなんてしてない!!

 あたしの事、心配してくれてるんだもん!!



『泉ちゃん、あたしは元気です。二階堂の皆さんは元気ですか?仕事は、何とかついていけてるよ。いつか、ご飯しようね。うちでも外でもいいよ^^』


 送信。



 ピン


 泉ちゃんからの返信が来た。

 早いなあ。


 …と思ったら…


 東さん。


『俺は元気。急で悪いけど、明日仕事何時まで?会えないかな。』


 その文字を見て。

 あたしは…顔が赤くなるのが分かった。





「急にごめん。」


「いえ…早番だったので。」


 昨日メールで会えないかと聞かれて…

 今日は早番で14時までだったあたしは。

 一度帰ってシャワーをして。

 お化粧も…ちゃんとして…

 服も…ちょっと、色々悩んだりして…


 …楽しかった。

 ウキウキしてる自分に気付いて。



 待ち合わせたのは…あたしには初対面のつもりしかないけど…

 東さんが言う『再会したベンチ』でだった。



「モノトーンが好き?」


「え?」


「いつも黒とグレー着てるから。」


「あ…に…似合わない…?」


「いや?似合うけど、俺的には朝子ちゃんはパステルカラーだなって思って。」


 パステルカラー…


「…あたし、あまり明るいイメージじゃないでしょ…?」


「自分で決めてるだけじゃ?」


「……」


 東さんはあたしをじっと見て。


「色々勉強するって言ってたっけな。ついでに冒険もしてみよーぜ。」


 そう言って…


「えっ…」


 手を取られた。


「なっ…」


「男と手を繋いだことがないわけじゃないよな?」


「……」


 ないかも…。

 あたしが無言でそう訴えると。


「…マジで?」


 東さんは目を丸くした。


「…そんな経験もなくて…悪かったですね…」


 つい、嫌味っぽい言い方になった。

 だって…

 あたしぐらいの歳の女が、みんな普通に恋愛して来たって決めつけてる…

 そっちの方が、どうなのよ。

 どうせあたしは…


 何だか、ウキウキしてたのがバカらしくて、悔しい気持ちが湧いた。

 ああ…

 あたし、こういう所もちっちゃいよね…



「ごめんごめん。朝子ちゃん可愛いから、絶対モテるって思ってるからさ…」


 東さんが、空いた方の手で頭を掻きながら言った。


「…え?」


「じゃ、俺が朝子ちゃんと手を繋いだ最初の男ってわけだ。」


 東さんはギュッとあたしの手を握ると。


「今日は、こうしてていーか?」


 もう…

 絶対、嫌って言えないような…

 笑顔を見せた。



「…そう言えば、初めてじゃなかったです。」


 あたしが小さくそう言うと。


「ほら、やっぱあるだろ?」


 東さんは笑ったけど。


「…先月の…イベントの時、東さんに…」


「…あ、あれかよ…」


 帰るって言ったあたしに、東さんは最後まで見て帰れ。って。

 あたしの手を取って…客席まで…。


 たかが、連れ戻されるための行為だったのに。

 あたしは、かなりドキドキした。



「…じゃ、これが正式に…初めての手繋ぎって事で。」


 まるで…中学生みたい。

 内心そう思いながらも…

 あたしは、東さんの言葉に…

 少しだけ、笑顔で応えた。




『朝子ちゃん可愛いから…』


 東さんの言葉が、頭の中でグルグルと…


 ああ、やだ…

 あんなの…社交辞令だよ…

 だって…

 こんな、酷い傷が残ってるのに…

 モテるわけないもん…



「…朝子ちゃん、顔に出過ぎ。」


「…え?」


「俺が言ったの、嘘って思ってんだろ?」


「え…あ…だ…だって…」


 次の瞬間…


「…あ…東さん…?」


 いきなり…抱きしめられた。


 な…

 ななな…

 なんで…!?


「…朝子ちゃん。」


「…は……い…」


「君は何か理由があって、自分に自信が持てないんだろうけどさ。」


「……」


「俺は、初めて会った時から…ずっと朝子ちゃんに惹かれて…忘れられなくて…」


「……」


「今、こうしてるだけで…すっげー癒されてるんだぜ?」


 …癒されてる?

 あたしに?

 抱きしめられた事にも驚いてるけど…

 あたしに癒されてるって言われて…

 言葉が出なくなった。


 ただ…

 心臓は…

 かなり、うるさい。



「あたしの事知らないクセに、って言われるかもしれないけどさ。」


 …まさに…浮かんだ言葉ではあるけど…


「俺、朝子ちゃんの事、好きなんだよね。」


「……」


「今まで気持ちを言わずに後悔してばっかだったから…早めに言う事にした。」


「…で…でも…早過ぎない…かな…」


「ははっ。早過ぎか。俺、焦ってんだろーな。」


「…焦る?どう…して?」


 緊張して…

 言葉が、ちゃんと出て来ない。


「さっきも言ったけど、朝子ちゃん可愛いから。」


「可愛くなんか…」


「可愛いよ。」


「……」


「もし…俺を受け入れてくれる気になったら…付き合ってくれないかな。」


 何なんだろ…この展開。

 あたし、先月婚約破棄したばかりなのに…

 もう、違う男の人に抱きしめられて、ドキドキしてる…



 だけど…

 抱きしめられるのって…安心する。

 特に…自信のないあたしは…



「…あたし…」


 東さんの胸で、小さく言う。


「うん。」


「…自分に自信がないので…告白されても…騙されてるんじゃないかとか…」


「ま、仕方ないよな。まだ朝子ちゃんにとっては『会うのは三度目の男』だもんな。」


 う…

 そ…そうなのよね…

 だけど…


「そうだけど…こうして抱きしめられるのは…なんだか…安心します…」


 あたしは、素直な気持ちを口にしてみた。


 こんな展開…嘘でしょ⁉︎って思う反面…

 この腕の温もり…

 憧れてたものだ。



「……」


 東さんは、あたしを抱きしめる手に…少し力を入れた。


「そんな風に言ってくれて…サンキュ。」


 耳元で…東さんの声。


 ああ…ドキドキする…

 あたし、根が軽いのかな…

 だけど…

 東さんを、もっと知りたい。

 そう思ってるあたしもいる。


「……」


 顔を上げると…至近距離で目が合った。

 もう…心臓がおかしくなりそう…


「…いいの?」


 目を逸らさないあたしに、東さんが言った。


「…え?」


「そんな目で見てたら…キスするよ。」


「あ…」


 慌ててうつむこうとしたけど…


「もうダメ。」


 東さんはそう言うと、あたしの顎を持ち上げて…


「我慢の足りねー男でごめん。」


 少しだけおどけた口調でそう言って…

 あたしに、キスをした…。

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