2話

 翌日、孝弘が出勤すると、さっそく係長から仕事を命じられた。真田も同行するようにとも。

 孝弘と真田が取調室に入ると、そこには×〇と中学生の男子がいた。少年は孝弘を見ると少し安心したようだった。

 孝弘は少年の正面に座ると、事務的な笑顔を向けた。孝弘の端正な笑顔は、少年の緊張をさらに軽くする。

「丸山さん、先日はご協力ありがとうございました」

 席に着くなり、少年の隣に座る×〇にも孝弘は笑顔を向けた。しかし、×〇は怒りで体を強張らせていた。先日、少年の××※である丸山氏に、同僚の職員が話を訊いた際、その同僚の質問が×〇を怒らせたのだ。

(×〇の保護者の意。名状し難い為、便宜上伏せて記す)

 しかし孝弘たちにも事情があった。裁判になれば、被告側の弁護士は少年に配慮の無い質問をする。そのために、全ての情報を周知しておかなければならない。

「……本日は、お父様はお越しになられなかったということでよろしいでしょうか?」

「私ひとリダ。問題か?」

 よくあるケースだった。こういう事件において、両親で受け止め方が違うのは。

「……先日は××さんから聞いたけど、今日は真治君にも話を訊こうと思ってね」

 砕けているが、丁寧な口調で孝弘は少年に言った。

「……今日は男なンだな」

 しかし、口を開いたのは×〇だった。孝弘は、はい、と笑顔で応える。

「ええ、今日は真治君にお越しいただいたので、男性である僕が……。」

「こいつが話すことなンてない」

 ×〇の組んだ腕に力がみなぎっていた。

「丸山さん、大事なことなんです。ご理解ください」

「理解だと? 理解すレバ、どうやってあンな侮辱に耐えラレル?」

 丸山氏の銀色の頭髪が、感情に合わせて逆立った。孝弘はこの時、正面の×〇の体が平均よりも大きいことに気づいた。立てば200はありそうだった。

 真田が心配して孝弘を見ていた。しかし孝弘は動じることはなかった。

「先日、同僚の配慮が足りなかったことは、同じ署員として、また男性として誠に心を痛めております。そのために本日は僕が……。」

「男は男で頼リないな」

 丸山氏を落ち着かせるため、とにかく下手に出るしかなかった。微笑みを浮かべる孝弘。必要とあれば、涙だって流せるだろう。そして、孝弘のそんな表情を見て、丸山氏も気持ちを落ち着けて行った。まるで自分が弱い者いじめをしているように感じたのだ。

 その丸山氏の様子を見て孝弘は改めた。

「改めてこんにちは。僕は二係の城之内孝弘です。丸山真治君だね?」

 少年はとても小さくうなずいた。スポーツ刈りとニキビ面の、どこにでもいそうな少年だった。

「……野球やってるんだって?」

「……はい」

 変声期を終えたばかりの声で少年は答えた。

「そうなんだ」

「ポジションは?」

「……ピッチャー」

「へぇ、すごいね。僕も昔は野球やってたんだよ」

 少年の、自分を見る目が変わったのを孝弘は感じた。

「でも、お兄さんの時はまだ混合でやってたからね。ずっと補欠だったんだ。やっぱり、×〇の投げる球とか打てないからね。あいつら、甲子園でも170キロ出すんだもん。無理だよね」

 孝弘は苦笑する。

「……あれは」

「うん?」

「本当はそこまで出てないんだ……。高校野球は、スピードメータがプロのと違うから。そうやって盛り上げてるんだよ」

「へぇ、よく知ってるねぇ」

 孝弘が必要以上に大きく驚くと、少年に笑顔が浮かんだ。

「……練習は大変?」

 少年は、やはり小さくうなずいた。

「そうだよね。帰るころにはへとへとだよね。……ところで、練習の帰りは、いつも真治君はあの路を通ってるのかな? あの日は、いつもとは違う道を使ってたみたいだけど」

「だったラナんだ」

 丸山氏が割って入ってきた。

「いつもと違う道を使ってたかラナんだ。暗い道をひとリデ歩いていたかラナんなんだ? とっとと、あの変態野郎を裁判にかけてムショにぶち込めばいいだロウっ?」

「告訴するにも情報が必要なんです、ご理解ください。……真治君、いつもと違う道を使って帰ることはお兄さんもたまにやるよ。その日は、気分転換に違う道を使いたかったのかな? 部活で嫌なこととかあった? たまに違うことをやるなんてのは、けっして悪い事じゃないんだ、大丈夫だよ」

 慎重に、孝弘は少年を導いていっていた。

「……練習中に肘を痛めちゃって。……それで、もしかしたらレギュラーから外れるかもしれないって監督が……。しばらく休まないとって……。だからその日は練習もさせてもらえなくって……。」

 大人たちは、少年が×〇に乱暴されたことばかりを気にしているのだと思っていた。しかし、少年には別の気がかりがあったようだ。

「そうか……つらいね」

「……あそこの通り道は、川沿いに桜が咲くんです。……もう、ずいぶん散っちゃったけど」

「気分転換をしたかったんだね?」

 少年はうなずいた。少しづつ当日の事を思い出していたが、やがて少年は何も言わなくなった。暗い表情で、呼吸は荒かった。

 孝弘は、少年に話させている罪悪感を感じながら×に頼んだ。

「……丸山さん、もしよろしければ、真治君とふたりで話がしたいのですが」

「……私はこの子の親だぞ」

「親だからこそ……聞いてほしくない話というのがあります。お願いします」

 丸山氏の怒りの眼差しを、孝弘は柔和な表情でいなしていく。

 根負けした丸山氏は、小さく呻くと大きく立ち上がった。やはり大きな×〇だった。

 真田が取調室の扉を開けて、退室を促す。

 部屋から出ていく丸山氏は、去り際に真田に顔を近づけて囁いた。

「もし息子に、俺と同じように“あの時、射精してただろ”何て訊きやがったラ、お前ラヲ八つ裂きにしてヤル。できないと思うか?」

「……もちろんです」

 真田は顔を引きつらせて答えた。

 丸山氏が出ていくと、改めて孝弘は少年に質問を始めた。 

「……その、帰り道でにあったんだね」

 少年はうなずいた。

「……あの×〇とは知り合い?」

 少年は首を振った。

「……向こうは、車の中にいたら君から話しかけたって言ってるけど……本当かな?」

 少年は動かなかった。

「いいかい。あの時、君が何をしたとしても、君が自分を責めることなんて全くないんだ。例えどんなことをやって、どんな言葉をあいつにかけたとしても、非はあいつにあるんだから」

 孝弘が説得しても、少年は沈黙した。長い沈黙だった。陽が傾き始めても、それでもなお沈黙は続いた。

「……車の中でうめいてて」と少年は話し始めた。

「……そうか。それで、君は心配して声をかけたんだね」

「……父さんが」

 少年は感情を乱し始めていた。たった一言も言えないくらいに。

「……お父さんが?」

「父さんが言ってたんだ……困った人がいたら、手を差し出せる人間になりなさいって……。だから……。」

「……そうか」

「助けなくっちゃって……。」

 孝弘は自分に言い聞かせるように、もう一度「そうか……。」と言った。

 このことを話せば、××は「お前が余計なことを吹き込んだせいで」と彼の父を責めるだろう。少年の気がかりは、ひとつではなかった。

 取調室のふたりの顔は、陽で明るく浮かび上がっていた。しかし、どんな角度から照らされても、これからの少年の顔には影が残るのかもしれない。


 その夜も、真田は「源五郎」に来ていた。飲まないとやっていられなかった。少年の身に起こったことも、少年の家族に同僚たちが、事情聴取で心無い対応をしたことも。

「おう、今日はひとり?」

 真田が顔をあげると、そこには鈴木がいた。

「あ、鈴木さん……。」

「座っても?」

 そう言って、鈴木は返事を待たずに真田の正面に座った。褐色肌の男は白い歯を見せてほほ笑む。

「荒れてんね」と鈴木は言った。

「へ?」

「ひくくらい真っ赤だよ」

「本当ですか?」

 真田は自分の顔を撫でた。

「やけ酒かい」

「ええ、まぁ……。」

「孝弘は来ないの?」

「はい、なんか用事があるってことで……。」

「用事ね……。」

「〇●ですかね?」

「いやぁ、少なくとも俺は聞いた事ないな。そんなそぶりもみせないし」

「そうですか……。」

「不満は、もしかしてアイツのこと?」

「まさかっ、それどころか……。」

 真田は言葉を切って、残りのビールをすべて飲み干した。

「城之内さんは立派でした。さすがです。やっぱりすごい人です……。」

 真田は孝弘の仕事ぶりを思い出し感嘆していた。同じ男性として被害者に心情によりそいながらも、最後にはしっかりと証言を引き出したのだから。

「……孝弘って、職場ではそんなにやり手なの? 付き合い長いけどそこらへん知らないんだ」

「それもありますけど、城之内さんが有名なのは、警察官になるべくしてなった人っていうか……。」

「なるべくして?」

「ええ、そうです。中学生の頃、お友達が……その……×〇に暴行を受けたそうで……。その時から性犯罪に対する憤りがあって、警察官を志すようになったって話を聞きました。そういう経緯もあって、いち早く上層部から目をかけられるようになったんですけど……。そういえば、御存じなんじゃないですか?」

「……。」

 鈴木は煙草を取り出すと、口にくわえて火をつけた。一瞬真田は驚いたが、よく考えたらムスリムに煙草は問題なかった。

 煙草を大きくひと吸いしてから鈴木は言った。

「確かに、その同級生の事は知ってる。でも、あいつと友だちだったってのは知らない。そいつと孝弘が話しているのを俺は見たことないし、そもそも同じクラスじゃなかった」

「……どういうことですか?」

 鈴木はまだ半分しか減っていない煙草を灰皿にこすりつけた。

「……さあな。でも、は相変わらずだ」


 その頃、孝弘は都内のホテルのロビーにいた。その孝弘の雰囲気は、勤務終わりだというのにヒゲは改めて剃られ、かえって清潔感が漂っている上、口にはうっすらとリップクリームが塗られていた。危うい色気があった。

 目的の階の約束の部屋の前に立つ孝弘。ノックをすると扉が開き、中から捜査一課の課長が出てきた。

 課長の背中から触手が伸び、孝弘の首に巻きつく。

 孝弘は蠱惑的な笑いを浮かべて部屋に入っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Men Without Women 鳥海勇嗣 @dorachyan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ