第2話



情報を元に街中駆け回り、ようやく見つけ出したフィオーネを予約していたホテルへ連れ帰った。

部屋にはシングルベッドが二つ。それなりに洒落た内装。二人部屋を借りたのが無駄にならずに済んで良かったと、内心で一息つく。



「疲れてるだろ。ちと早いが、今日の所は休んどけ」



出来る事なら今すぐこの街を離れたかったが、今のフィオーネをこれ以上連れ回すのは無理だ。色々と聞きたい事もあるが、まずは本人を休ませない事には始まらない。

フィオーネはなんでもない風を装っているが、限界だろう。

ガラス片を握りしめたことで手も切っている。

そちらも、なるべく早目の処置が必要だ。



「さっそく本性を現しましたね。まあどうでもいいですけど」



投げやりにフィオーネが言った。



「いいですよ、好きにしてください」

「いや、待てっ、早まるな!」



止める間もなく、すたすたとベッドまで歩いたフィオーネは、さっさとしろとばかりにベッドへ身を投げた。



「そういう目的ならそもそも無理矢理にでも攫っただろ!」

「強姦は嫌いなんですか? 生憎と、自分から求めるような演技をする気にもなれませんが」



ジト目になったフィオーネが、億劫そうに身を起こす。

不審者へ向けての不信感だけが、その目に込められていた。

というかどこまで本気か分からないが、今だって片手にナイフを持っているのだ。どのみち手を出せるはずもない。



「……はあ、まあいい。いや、良くないが。とりあえず何日か体も洗えてないだろうし、シャワーでも浴びろ。一応言っておくが、変な意味じゃないからな」

「…………」



フィオーネは言葉と態度の両面で無視し、ベッドから出て室内を検(あらた)める。

一通り終わった後で、ようやく振り返った。



「シャワールームに鍵が掛けられません。その気がないというのなら出て行ってください」

「俺は紳士なんだ。覗いたりするような真似はしねえよ」

「うるさいです、ロリコン」

「いつに間に確定したの!?」



取りつく島もなく、少女にけんもほろろに突き離される。

どう足掻こうと取り付く島もなさそうだ。

ここは諦めて出て行くことにした。

ドアまで辿り着いたところで、言い忘れた事があったと振り返る。



「シャワーを浴びたら呼んでくれ。手当てする」

「結構です。私はまだ、貴方を信用したわけではありません」



頑なな態度で早く出て行けとドアを見て、顎をしゃくるフィオーネ。

この様子では呼ばれる事もなさそうだ。



「へいへい分かりましたよ。……ああ、それともう一つ。この部屋から出るなよ。危険だ」

「私としては、今同じ部屋に変態がいる事の方が身の危険を感じますが?」

「それでもだよ。少しは信用してくれ」

「……善処します」

「頼むぜ、ほんと」



返って来たのは玉虫色の言葉だけ。

これ以上はどうしようもないとさじを投げ、嘆息混じりに呟いた。



「救急セットはそこの鞄の中にある。三十分したら帰って来るから、それまでに清潔にして消毒しとけよ」



最低限の事を伝えて、部屋を後にする。

こぎれいな廊下を通って、年月を感じさせる非常階段に抜け出す。

どんよりとした曇り空を見上げると、何とも言えない気分になる。

古いライターを何度も擦り、煙草に火をつけた。

錆びついた欄干にもたれかかり、肺いっぱいに吸い込む。




「反抗期かねえ……」




溜め息混じりに、胸の内を吐き出す。

哀愁漂うその姿は、思春期の娘との距離感に悩む親の背中のようだった。







宣言通り非常階段で三十分ほど時間を潰して、部屋へ戻った。



「……ああ、悪いな。俺のミスだ」



そこでぽつんとベッドに座っていたフィオーネを見て、今更気づく。

こざっぱりとした肌。

不格好に巻かれた包帯。

そこまではいい。

だけどフィオーネは何も言わず、薄汚れた服を着ている。

年頃の少女が、無感情にその事を受けとめていた。



「どうする? 女物はないが、とりあえず俺の服で代用して、今着ている服を洗濯に回すか? ちと微妙な時間だが、ダメ元で買い物に行っても構わないが?」



その時には、シャッター越しに大声を張り上げて強引に買い物をする羽目になるだろうが。



「結構です」

「了解。そこら辺は、明日買い揃える事にしよう。そんで――」



くぅと、小動物の鳴き声に似た可愛らしい音が聞こえてきた。



「「…………」」



自然と、音の出所した方向を見る。それとなく視線を逸らして平静を装うフィオーネだが、その頬は赤い。



「晩飯……行くか」

「…………はい」



屈辱で体を震わせるフィオーネ。

しばらくの間があって、蚊の鳴くような声が聞こえた。






「シチューのお代わりをお願いします」



ホテルに併設された食堂で、通り掛かったウェイターを捕まえてオーダーする。

お腹がすいていたのは分かるが、これでシチューは三杯目。煮魚やたまご粥はとっくにお腹の中だ。

小柄な体のどこに入るのかと聞きたくなるほどの量を、淡々と口に運んでいく。

最初は気を遣って胃に優しい物ばかりをオーダーさせてもらったが、気遣いは無用だったのかもしれない。



「あー、フィオーネ? さすがにそれ以上食べるとお腹壊すぞ。明日は腹いっぱい食べてもいいから、今日はもうおしまいにしないか?」

「…………では最後にデザートを」



シチューを持ってきたウェイターに再びの注文。

最後の部分に、納得はいっていないとばかりの責めるような視線。

飢えた獣から餌を取り上げるような真似をしたくはなかったが、こればかりは仕方がないだろう。

ちょうどシチューを食べ終える時を見計らったかのように来たデザートのプリン。

それをあっという間に平らげると、フィオーネは会計の僅かな時間すら待たず、足早に一人で部屋へ戻る。



まさか食堂に一時間以上もいるはめになるとは思いもしなかった。

それも碌なお喋りが成立しないのだ。

どれだけ話題提供をしても基本は無視。

訳ありを見るような周囲の視線がいたたまれない。

やけに疲れた食事を終えて部屋に戻り、ソファにもたれ込むように座った。

部屋に戻ってからも何度か話しかけてはみたが、ろくな会話も成り立たず、進展らしい進展もない。



結果、あるのは何とも言えない沈黙だけだ。

仕方なしに、暇つぶしがてら内ポケットから手記を取り出して目を通す。



「…………」

「…………」

「……あー、どうかしたか?」

「べつに……」



いつの間にか向けられていた視線が気になって声を掛けたが、フィオーネはぷいっと顔を横へ向ける。



「暇ならテレビでもつけたらどうだ?」

「ええ、そうします」



フィオーネがリモコンを手にとり、備え付けのテレビをつけた。

垂れ流しになっているテレビの音声が、少しは沈黙を紛らわしてくれるからありがたい。

手記を読みながらもちらりとフィオーネを窺う。



案の定、フィオーネの視線は微妙にテレビから外れている。

部屋へ戻ってすぐは、目すら合わせようとしなかったフィオーネ。だが、こうして手記に目を通してからはじーっとこちらを見ている。

警戒と興味本位が混ざったような視線。思わず野良猫のようだと連想してしまうと、少しおもしろい。



そんな変化のない時間がしばらくして、小さな変化が表れる。

満腹とは言えないまでも、それなりにお腹が膨れたせいか。なんともなしにベッドに座っているフィオーネに、欠伸が混ざるようになってきた。

それからすぐ、うつらうつらと船をこぐ。



「ほれ、そんなとこで寝ると風邪をひく。眠いならさっさとベッドに入れ」

「……ねむくなんて……ありません」

「そうだな。だけどベッドに横になっていようか」

「……ん~」



幼い子供が甘えるような返事。

今だけはフィオーネも警戒心を忘れ、鎧で覆った心が露わになる。

フィオーネはふらりふらりと体を揺らしながらもなんとかベッドまで辿り着き、そのまま倒れ込んだ。

そしてすぐ、静かな寝息が聞こえた。



「まったく……」



フィオーネが体の下に敷いた掛け布団を静かに引っ張り出し、上からかぶせる。



「まあ、いっぱいいっぱいだよな」



被っていた帽子をとる。

帽子越しのフィオーネは、初めて見る年相応の表情を浮かべていた。





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