第6話 『病弱の雛は未来を視る』

 遠夜たち三人の姿を校内から眺めている生徒がいた。制服を着用したポニーテールの女子生徒だ。制服は夕凪高校の物ではない。ただし校長室に入室していることから学校側と関係のある人物だと推測できる。


 窓越しに遠夜たちのやり取りを終始、見届けた女子生徒は嬉しそうに唇を吊り上げて笑顔を浮かべた。その背中を白髪の男性が優しい眼で見つめる。その視線は子を見守る親のそれだ。


「何か面白いもので見つけたのかね?」


「えぇ。とっても面白い人たちを見つけました」


 白髪の男性は女子生徒の隣に立ち、彼女が視線を送る先に目を向ける。視界に入ったのは二人の子供と一人の大人が互いの手を取り合う姿だ。傍から見れば奇怪にも映る光景だが、三人の存在を把握していた白髪の男性は驚くどころか微笑ましくその光景を眺める。


「あー、氷室先生たちじゃな」


「お爺様。あの人たちを知っているのですか?」


「うむ。スーツを着用している女性は氷室朱里。この学校の教師じゃよ。そして女の子の方が彼女の妹に当たる氷室朱音。そして男の子は氷室先生がスカウトした都筑遠夜君だ」


「スカウト? 何を理由にスカウトを?」


「野球じゃよ」


「野球ですか⁉」


 女子生徒が物凄い勢いで喰いついた。過剰な反応から推理できるように女子生徒は大の野球好きである。そのことを思い出した白髪の男性はクツクツと喉を鳴らしながら笑い声を漏らす。


「こ、こほん! 少々、取り乱してしまいました……」


 わざとらしく咳払いをすることで場の空気を払い、冷静さを取り戻したかのように取り繕うも、親族である白髪の男性に通用するはずもない。だが白髪の男性もそこは大人。羞恥心で顔色を紅潮させる孫の沽券を守るべく静かに話を戻した。


「そういえば小さい頃から雛は野球が好きだったの」


「はい! 残念ながら選手となることはできませんでしたが、それでも観戦するのは今でも大好きです!」


 女子生徒、新田雛は生まれつき持つ病弱な体質が原因で部活動のような激しいスポーツは医者から禁止された。そのことから野球選手になる夢を捨てるも、野球愛は潰えるどころか年齢を重ねるごとに膨れ上がっている。


「スカウトされたってことは、つまりこの学校にも野球部ができるということですね!」


「うむ、その通りじゃ。来年の春から氷室先生を顧問兼監督として始動する手筈になっておる」


「そうでしたか⁉」


 窓に顔を密着させるように近づけてグラウンドにいる遠夜たちを凝視する。夕凪高校を進学する予定の彼女に置いて野球部がないという部分だけが不満だった。だが入学前に不満が解消されたことは雛にとって進学の意欲が更に高まる結果へと繋がった。


「お爺様! 私この学校に必ず進学しますね!」


「ふぉふぉ! それは嬉しい限りじゃよ。雛が入学するその日を待っておるぞ」


「はい!」


 雛は入学後に移す行動の予定を頭に描きながら来年の春を待ち遠しくてたまらなかった。


                 ◇


 朱里の頼み事である朱音との顔合わせを済ませた俺は校門で二人と別れを告げて家路に着いていた。昼過ぎから始めたこともあり、学校を後にした時には既に日は暮れ始めていた。空は夕色に焼け、部活返りの学生たちの姿もちらほらと視界に入る。朱里のスカウトを受ける前まではその姿が憎たらしく思えていたが、新たな道を見出したことで素直に受け止めることができる。失明したことで絶望し、未来を夢見ることを捨てていた俺だが、今では夕凪高校に入学して以降の事だけを考えていた。


「右眼を失った捕手に女性投手。前途多難だろうな……」


 春から迎える野球部は苦難の時を迎えることが決定している。チーム状況が異質な上に高校野球そのものを変化させる必要がある。その難しさは自分が想像している以上に厳しいものだろう。何百年に渡る高校野球の歴史を変えることになるのだから当然だと言える。


「だが、面白い!」


 一度は諦めた野球人生を彩るにはやりがいのある目標だ。苦難な道ほど燃えるといったタイプではないが、朱音と朱里の熱意に当てられた部分は否めない。それでも心の内で踊るやる気は確かに自分のものだと実感できる。


「ほんとに……本当に春が楽しみだ」


 未来の光は絶望を晴らし、俺は春を迎えるのを楽しみに残り僅かな中学生活を楽しむことにした。

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