第5話 『三人の契り』

 夕凪高校が日本一と豪語するのがグラウンド設備である。規模はもちろんのこと、各競技に合わせたグラウンドが用意されており、生徒たちが良い環境で活動できるように配慮されている。この贅沢な環境を有することが出来たのは高校が田舎にあることと、創立者である校長が莫大な土地を有していたから。その土地も莫大すぎるが故に人の手が届いていない土地が数多くあった。このまま放置するのは宝の持ち腐れだと考えた創立者は両親の夢を思い出した。


 それこそが学校の創立。それも子供たちが自分たちのやりたいことに励むことの出来る環境を充実させた校風を望んだ。その結果が部活ごとに用意された設備である。それは体育家系に限らず、文科系にもしっかりと投資されている。そのことから田舎という不便さを気にすることなく生徒が全国から集う。


 そして、来年より氷室朱里を筆頭に野球部の創設が決定した。そこには女子だからという理由で公式試合に出場できなかった朱里の過去が影響している。

選手としては無理だった甲子園の夢を監督で叶える。


 それもあるだろう。だがそれ以上に朱里が目指す目標は高校野球の根幹に関わる部分。即ち女子選手も公式試合に出場できるというルールの改定だった。


 その夢を共に叶えるべく朱里の手を取ったのは妹の朱音だ。中学生まで野球一筋で生きてきた彼女だからこそ当時の姉が抱いた悔しさが人一倍理解できた。だが進学に当たって朱音には悩みが生まれていた。それこそが自分の実力が高校で通用するかどうかだった。その悩みを姉に打ち明けた結果が現在の状況に繋がる。


「事情はわかりました。それに女子選手と野球をすることに俺自身、抵抗はありませんし」


 朱音の肩を温めるためのキャッチボールをしながら朱里の話を聞いた俺は彼女たちがこの春から賭ける強い想いを知った。朱音のスカウトを受けたからには想いに報いたい。


「都筑君。そろそろお願いします」


 受け取ったボールを返球せずにグローブの中に収めた朱音はグローブを下げて座る

ようにジェスチャーをした。ジェスチャーに従って腰を下ろす。


「まずはストレートから頼む」


 俺の指示に朱音は頷くと、スパイクで足場を慣らしてから投球フォームに移った。頭上に振りかぶるオーソドックスな形から二段モーションを取り入れた比較的オーソドックスな投球フォームから一球が投じられた。破裂音のような乾いた音がグラウンドに響く。まるで剛速球が投じられたかのような迫力のある音に驚きを見せたのは球を投じた朱音本人だった。


 ――なに今の……。


 これまでに経験したことのないミット音に朱音は困惑の色を見せた。お世辞にも自分のストレートは速くない。よくて百キロ後半といったところで、先程のように豪快な音を鳴らせるだけの威力には遠く及ばない。そうなると理由はただ一つ、遠夜のキャッチの技術だ。


「氷室、もう一球頼む」


 返球前に一声をかけてから朱音に球を投げた。反応にやや戸惑いの色が見えることに疑問を覚えるが、返球をしっかりと捕球したから大丈夫だろう。


 ――速度は百キロ程度といったところか。


 肩が完全に温まっていないことを考慮しても一一〇キロが限界だろう。特別遅いというわけではないが、中学生としては打ち頃の速さである。とはいえ球の速さだけで勝負できないのが野球の面白いところ。変化球やコントロールはもちろん、リリースポイントといった技術の面の善し悪しで結果は大きく変わる。


 俺はその内の一つ、コントロールを確かめるべくミットを先程とは別の位置に構えた。そして朱音から投じられた一球がミットに収まる。それから再度、ミットを移動させては球を受けていった。


「変化球は何が投げられる?」


「えーと、カーブとスライダー……それにシュートとシンカー。後はチェンジアップも投げられます」


 手首の動作を加えながら投げられる変化球を朱音は教えていく。


「それなら今言った順番に投げてくれ」


 分かった、と朱音の返事を聞き届けてから腰を下ろしてミットを構える。朱音はミットに目がけて変化球を投じた。弧を描くように変化の大きいカーブや鋭く曲がるスライダーといった変化球が投じられてはミットに収まっていく。そこに一切の投げ損ないはなく、寸分狂いなくコントロールされていた。


 最後の球を受けた俺は立ち上がって朱音の下に足を進めていく。持っている硬球を朱音に手渡す。それと不随するように朱里が傍に寄ってきた。


「……私の球はどうでしたか?」


 朱音の緊張が不安の色となって声音に陰を落とす。全てを全力で投じた。それでも胸を張れないのは単純に彼女の中で自信が欠けているからだろう。


「ストレートは並。変化球の数は多く、変化やキレもあるにはあるが、決め球と呼ぶにはもう一つ迫力に欠ける」


 次々と突き付けられていくダメ出しに朱音は表情を曇らせていく。


「だけどコントロールは抜群だ。ストレートも変化球も、内外に高低も完璧に投げられていた。正直言って、ここまで寸分狂いなく投げられる投手は初めて見たよ」


「ほ、本当ですか⁉」


「本気で挑んできた人に嘘はつかないさ。相当に練習を積み重ねて努力しないとあの

コントロールは身に付かない」


 同じく野球人だからこそ努力の苦労が分かる。ストレートや変化球は腕の長さとい

った体格の差で影響する部分があるが、コントロールに関しては影響を受けない。バランスの取れた投球フォームに大地を踏みしめ、蹴り上げても崩れない足腰の強固さ。そして軸を崩さない体幹の強さ。それらは練習量ひとつで身に付けることの出来るものだ。それを朱音は欠かさずに努力してきたのだろう。


「総合的に見て正直、通用するかわからない。そもそも俺自身も高校で通用するかわからないし、不安だ」


 ただでさえ右眼を失明しているハンデを背負っての挑戦になる。ただ野球をするだけなら出来ても、甲子園を本気で目指すとなればこのハンデは大きく圧し掛かるだろう。


「それでも君の球を受けて、二人の意志と覚悟を知って、俺は一緒に目指したいと思った。それはきっと険しく辛い道のりだと思う。氷室が公式戦で投げられる日がないまま三年間を終えるかもしれない。それでも君と野球を一緒にやりたいと思ったんだ。だからこちらからよろしく頼む、とお願いしたい」


 俺は利き手を朱音に差し出す。その手を朱音は強く握り返した。


「こちらこそ! こちらこそ、よろしくお願いします!」

 俺の手を握り返す強さと同様の強い声音で朱音はお願いする。そこに朱里は握手をする二人の手に被せる形で両手を置いた。


「三人で! いいえ! これから増えるはずの多くの仲間たちと一緒に頑張りましょう!」


 朱里の言葉に頷く形で三人の意志と覚悟が一つになるのだった。

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