第2話 『スカウトの理由』

「……お恥ずかしい姿をお見せしました」


 時間の経過と共に頭が冷えた俺は出逢ったばかりの氷室の胸で大泣きした事に羞恥心を覚えていた。謝罪を口実に俯いていなければ紅潮する顔を晒していることだろう。


「ふふ、問題ありませんよ」


 大人の余裕とも呼ぶべき態度で返事する氷室に感謝しながら、先程の彼女の言葉を思い出す。よもや怪我をして野球から離れた自分にスカウト話を持ち掛けてくる人物がいるとは露ほどにも思っていなかった。実際、右眼を失明した報せを聞いた学校が次々とスカウト話を取り下げていった。それだけに氷室の誘いを素直に受け止めることができないでいる。


「正直に言って、氷室先生の考えが分かりません。仮に完治の見込みがある怪我ならば納得できます。だけど俺の眼は……」


 治療する手段すらない。手段がないから失明という形を受け入れるしかなかった。


「私はね、野球で一番大事なのは好きだという気持ちだと考えているの。好きだから辛い練習も頑張れる。頑張れるから成長できる。好きという気持ちが全ての原動力になるの」


 持論を力説する氷室は正気を取り戻したように表情をハッとすると、誤魔化すように咳払いを一つ入れた。


「し、失礼しました。少し熱が入ってしまったようです……。このような考え方は指導者として甘いのだとは自覚しています」


 氷室の持論は感情論の域を越えない。根性論が主流だった一昔前でも氷室の持論は甘いとされ、現代でも確証がなく非効率だと反論されるだろう。それでも一度は野球の道を諦めた子供には響くものがある。それは子供で分かる単純かつ明快な答えを用意してくれている他にならない。


「嫌いじゃありませんよ、氷室先生の考え方」


「ありがとうございます。正直なところ都筑君の気持ちを考えたらスカウトしないことも考えました。もし君から野球愛まで消えていたらと思うと怖かったからです」


「そこまでして俺をスカウトする理由は一体なんですか?」


「学年関係なくチーム引っ張ることの出来るリーダー性。数多くの選手を見てきましたが、その中でも都筑君はずば抜けて優れていました。今年の春から稼働する野球部には貴方のような人が必要不可欠なのです」


「もしかして夕凪高校の野球部は今年から?」


「遅くなってしまいましたが、その通りです」


 校名に聞き覚えのなかったことが心に落ちた。野球部のある進学先を考えて過ごしてきた三年間だったことが視野を狭めていた。


「今年の春から始動する野球部で都筑君にはキャプテンとして私と一緒にチームを支えて欲しいの」


 返事をする前からスカウトを受けて夕凪高校に進学する方向に進んでいる感は否めないが、そのことで悪い気はしない。どういう形であれ、誰かに頼られるということは嬉しいものだ。それに一度は諦めた野球の道に光を与えてくれたのは間違いなく氷室である。御恩を報いる為と言えば大袈裟かもしれないが、俺の心が恩返しを強く願っているのは確かだった。


「分かりました。氷室先生、スカウトのお話、お受けいたします」


 頭を下げてスカウトを了承した。返答に氷室は一瞬、目を見開いて驚きの反応を見せるもすぐに笑顔に変化させた。


「ありがとう! それからこれからよろしくね!」


 氷室は俺の両手を手に取ると、自身の気持ちを表したかのように強く握った。

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