5月1日

@blanetnoir

「5月1日、誰と過ごす?」




この言葉の意味は、2019年を生きる日本人なら誰もが分かるだろう。



歴史的な出来事がおきる、特別な日。



200年振りの譲位によって、元号が変わる。



こんなにポジティブに元号が変わる瞬間にいることが出来ることを、先の改元の時を知る大人たちはしみじみと思い、平成生まれの若者たちは複雑な思いでその日を迎える。



その瞬間に、誰といるのか、どこにいるのかは「オリンピックを誰と見るか問題」にも近いものをかんじるけれど、実際のところ、それ以上の価値の重さがあるように思う。



家族と、それ同等の大切な人と。



そう思っている人がほとんどではないだろうか。



自身もそう願っている、けれどそのために実家に帰るのも少し物悲しくかんじる気持ちも否めない。



なによりも、




ふと、この間見た夢の景色を思い出す。





鮮らかな浜辺での夕焼け。





その空の元に置いてきてしまった、あの人の私を見て微笑んだシルエット。




私はあの浜辺で手を、伸ばして




一歩、一歩と近付いて、




「 」




名前を、よんで。





あなたの指をとる、瞬間に、





真っ黒な早朝に目が覚めた。




あまりにも虚しい目覚めに身動き出来ず、

あの空が網膜に焼き付いて色彩がいかれてしまったフィルターで




今日もあの人がいない世界を生きる。






あなたが、亡くなったと知らされた時、

はじめて気づいた想いだった。





死の真相を知ってなお、

悲しく募る気持ちだった。





ただただ、



正月明けの妙に澄んだ空気も晴れて

花冷えの時を耐え、

年度末の慌ただしい時間になだれ込んだ世間が、綻んだ桜の蕾に気づく頃、




「令和であります。」




ライブ配信で聞いた、新しい元号の名前は、

あなたの知らない新しい時代を告げていた。




鳥肌がたった。




あなたを、ひとり平成に残して、新しい世界へ行こうとしてる。

そう感じた。




それは当然のことで、

誰も時間や時代の流れを変えることは出来なくて、





私が立ち止まるしかないのだと、さも当然の事のように思ってしまった。





あの人を、ひとりぼっちにしたくないと、離れたくないと、自然と思ってしまった。





これは悲観ではなくて、

よく邪推されがちにネガティブな動機には一切縁もなくて、

心から、あの人を思うが故の思考によるもので、




大切な人と、その瞬間を迎えたいから。





私は、その瞬間にあなたのそばにいたいと、思っているの。





あの夢のように、



あなたが最後にいた浜辺の波打ち際で、

4月30日の夕刻に、

あの夕焼けを見ていたい。

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