第15話 逃避行

駅前は帰宅途中であろう人々でごった返していた。

季節外れの寒さのせいで、歩いている人はみんな足早に家路を急いでいる。

大勢の人が抜け出てくる駅の改札口、そんな中を自分だけが人の流れに逆らうように突っ切って改札を抜ける。抜けた先にあるコンビニまでなんとか逃れて店内に入ると、陳列されてある雑誌を手に取った。普段なら絶対に読むはずのないファッション誌。要は何でもいい。そこで雑誌を読むふりをして、一旦落ち着いて辺りの様子を窺いたかった。


「よかったぁ、追手は来ていない。」


雑誌越しにそれを確認しただけでも気休めではあるが気持ちが和らいだ。緊張で強張っていた手も力が抜けていく。


逃げ込んだこのコンビニ、駅に一つだけある改札を抜けた先にあり、これを通らないと、絶対に自分がいるここまで来ることができない場所にある。


だからもし誰かまだ自分のことを追って来ているなら、この場所から改札を見張っておけばすぐに気づけるし、上手くやれば、追手に自分が電車に乗って逃げたと思わせて、この帰宅ラッシュの人ごみを利用して駅から逃げることもできる。


というのも、追手が来てない今、安心してさらに逃げるにあたって不用意に動くのは危険であった。相手は間違いなくプロ、下手に動けば容易く捕まるのは目に見えている。せめて、相手は何人で、どう動いて追ってきているのかを少なからず把握すれば、素人で何ができるかわからない自分であってもちょっとは足掻けるはずである。


得体のしれない何者かに狙われ、追われるのがこれほどまでに怖いものであるということを落ち着いてきた今、否が応でも実感させられる。

映画やドラマで似たような場面を見て、緊張感や焦燥感みたいなものは確かに感じることはあった。でも見ているのと実際やるのとでは全然違う。


それに様子を窺っているというのは聞こえはいいが、正直な話、変に落ち着いてしまったために、今度は新たにこみ上げてきた恐怖でここから一歩も動けないでいるのが本当のところだ。

嫌な汗が流れてきて、自分の着ている服が重く、鎧をつけてるように感じられる。


不安、焦燥感、恐怖、様々な負の感情が自分の中で渦めいていて今にもその場に倒れそうになる。それをなんとか紛らわせるためにも逃げてくる前の状況もう一度を考えた。


(あいつらは手に銃を握ってた。俺のことを殺すことを前提として動いている。そうでないなら、持っていたとしても懐にしまって俺には見えないようにまずは接触してくるはずだろ。)


(それに、インターホン越しだとよくは見えなかったが恐らく裕美子にも銃を突き付けていたはずだ。)


(くそっ!)


俺は心の中で叫んだ。裕美子のおかげで逃げることができたが裕美子を置き去りにして、逃げることしかできなかった。それがどうしても悔しかった。

できたことと言えば、せいぜい追手の気を散らす程度であろう。

それも、正直なとこ上手くいったという保障もない。携帯を切ってるのか、親父や母さんとも連絡がつかない。伊藤や裕美子ともだ。


「一体全体、何なんだよ、、」


祈るしかなく、どうなるかもわからないこの状況に思わず口をついて漏れ出てしまった。手に取っているファッション誌に載っているモデル。春の着飾りコーデと銘打って微笑みながらポーズをとっている。こちらに向けるその微笑みが、今の自分の状況をまるであざ笑っているようであった。







ー30分前ー 御身神邸


(どうする。このままじゃ突入されて終わりだぞ。)


俺は焦っていた。裕美子のチャイムで違和感に気づけたのはいいがどうすればいいのかわからない。


「落ち着け俺、落ち着け俺、、、」


自分を落ち着かせるために何度も小声でつぶやく。

しかし胸の鼓動は速くなるばかりでちっとも冷静になれる気がしない。


(とりあえず、外の様子を確認しよう)


一階にいた俺は踵を返し、音を立てないよう静かに、だけども急ぎ足で階段を上った。そして自分の部屋に入ると、閉まっているカーテンを少しだけ指で開き、そこから覗き込むように外を見るとその違和感の正体がわかった。


”何者かが自分の家を囲んでいる。それも、複数人”


暗闇で、しかもカーテンの隙間からだと正確な人数までは把握できなかったが、恐らくリビングのウッドデッキのある庭へと通じる掃き出し窓の両端に一人ずつ、玄関には屋根が邪魔してよく見えなかったが、裕美子と一人、もしかしたらもう一人いる可能性もあった。そして、台所の裏口に人数まではわからないがここにも何人かいるっぽかった。というより、家の一階部分の人が出入りできる窓やドアは全て押さえられてると考えてよかった。


(奴ら、石のことに勘付いたんだ。)


とっさに脳裏に浮かんだのがこれだった。伊藤の話を聞いてすぐ後だとそう考えずにはいられない。当然、他の可能性だってある。例えば、親父が同じタイミングで何かやらかしてこうなったかもしれない。ただ、今は石のこと以外の可能性は全く思い浮かばなかった。


他にも腑に落ちない点はある。なぜ自分が石を拾ったことをこんなにも奴らは早く気づけたのか。なぜあんなものが学校に転がっていたのか。はたまた、神代先輩のあの言葉とこの事と何か関係があってこうなっているのか。疑問は尽きない。


この場を打開しようと思考を巡らせようとすればするほど焦りからか、今考えなくていいことばかり考えてしまう。


(くそっ!余計なことを考えるな。それよりもこの場を乗り切るにはどうすればいいかだろ!)


自分をしっかりさせるために、頬を二回パパンと叩く。


(変に抵抗すれば射殺されて終わり。抵抗したとしても抵抗できるだけの訓練なんてうけてないし、そもそもそんな運動神経もない。反対に今、あいつらの指示に従ってもいい結果は見えてこない。懐にしまわず、すでに手に銃を持ってるからだ。)


そう、これがこの事態の異様さの一番の原因でもあった。


(しかも、俺や裕美子を殺すのに夜である今の状況はうってつけ。近隣住民には見られる可能性は低い。そして、裕美子を今すぐに殺さないのは裕美子を利用して俺を無警戒の状態で玄関までおびき出して確実に射殺するためだろう。)


(なら、せめて捕まるにしても人の目のあるとこだったら、奴らも無暗やたらに俺や裕美子を殺すことはできないし、多少は時間稼ぎができるはずだ。なら考えることは一つ、なんとか逃げるしかない。)


(それも、ただ、逃げるだけではだめだ。自分だけ逃げても裕美子が置き去りでは殺されてしまう。なんとか助け出さないと。)


ところがそう容易い状況ではない。家の周囲は囲まれ裕美子は敵に捕まっている。直接的に反撃して裕美子を助けるというのは無謀中の無謀。できることは限られていた。頑張っても、やれることといえば、何か逃げれるタイミングか、敵の気がそれるような隙を作れるというのだけ。これ以上のことは今の自分にはできない。しかも、そのタイミングになんの合図もなしに裕美子が上手いこと呼吸を合わせて逃げなければならず、その成功の可否も俺からしたら確認すらできず、ただ祈るしかできない。


「すまない、裕美子、、俺はお前を助けられないかもしれない、、」


この一連のことに気づくと自分の不甲斐なさに絶望した。普段からオジサンに”あいつは少し抜けてるところがあるから頼むぞ”と言われていただけに今の自分というものが許せなかった。俺は指で掴んでいたはずのカーテンの端をいつの間にか強く握りこんでいた。


(それでも、やるしかない。今のこの状況なら二人とも消される。)


俺はこの場を打開するためのある物のことを思い出していた。それは台所に置いてあるキャンプ用のガス缶であった。台所の隅に親父が仕事の時や趣味のキャンプで使うようにけっこうな数のガス缶を備蓄しており、それをまとめて段ボール箱に入れて置いてあった。これを爆竹の要領で爆発させて利用しようと考えていた。当然、上手くいく保障はどこにもない。それでも、もうこの手を試すしかなかった。


(急がないと奴ら家に入ってくる。そろそろ裕美子の呼びかけも止む頃合いだ。)


裕美子がチャイムを鳴らし始めて既に五分近くたっていた。俺は部屋を後にして急いで台所へと向かい、暗闇の中を目的のものが置いてあるはずの場所を探った。


(えーと、確かこの辺に、、あった!)


予想通りガス缶が大量に入れてある段ボールを見つけた。その中のガス缶の何個かを、近くの引き出しからペンチを取り出して穴を無理やりこじ開けたり、開栓用キャップがあるものはそれを外したりした。そして、台所にある家の裏手に通じる扉に残りのガス缶が収納してある段ボールごと、穴開けたものとを一緒にして置いて、リビングを後にした。


続いて素早くまた二階に上がるって今度は親父の書斎に入り、置いてあったジッポライターを手にして、リビングの入口付近の所まで降りていった。

そこで、穴を開けたガス缶から漏れ出たガスが台所に充満するのを待った。


(焦るなよ、、待つんだ、チャンスは一度しかない。)


緊張で手から汗が出て、その汗で持っているライターを落としそうになる。

しばらくすると、自分の立っているところにもほのかに漏れ出たガスの香りが漂ってきた。


(今だ、上手くいってくれ!)


そう祈りながら、親父のタバコ用のジッポライターに火をつけ、その火の付いたままのライターを台所のガス缶を置いた方へリビングの外から勢いよく投げた。

そしてそのライターを投げた瞬間、偶然にも裏手に回っていた集団がドアノブに手をかけて突入しようとしていた。


俺の方はライターを投げ終わるやいなや爆発の衝撃から逃れるために、勢いよく今度は音も気にせず二階へと階段を駆け上がった。そして階段を上がりきるか切らないかの時  


ドゴーーン!!

 

物凄い大きな音が鳴ったかと思うとその次にはもの凄い衝撃が押し寄せてきた。

あまりのその衝撃に立っていられなくなり、その場に倒れこむように伏せる。


30秒くらいたっただろうか。


「うぅ、、なんとか生きてるな。」


のそのそと体を動かし、一度自分の手や足を触ってみる。


「よし、ちゃんとある。」


すかさずお腹や頭、背中も触ってみる。


「出血もない。それよりも急がなきゃ。」


自分が何ともないのを確認すると俺はすくっと立ち上がり、自分の部屋に再び入った。必要になるであろう財布や携帯だけを持っていた鞄から取り出し、履いていた革靴も部屋に置いてあった体育館で使う内履き用のシューズを履き直し、あとは着の身着のまま、今度はさっき開けた窓とは反対にある窓を開けた。


ちなみに、この窓は家の玄関を正面として見たときにちょうど真裏にあり、その窓を開けるとすぐに人の家の敷地で、ちょっとした塀に囲まれた庭になっている。閑静な住宅街であったことが不幸中の幸いでもあった。


爆発によっておきた火災の煙が一階から自分のいるところまであっがてきた。外からも、自分が起こした爆発によって、奴らの声なのか、近所の人たちの声なのかまではわからないが「大丈夫かぁー!」という声と人々が集まってくるような音が自分の耳に入ってきた。それでもその声や音が成功を意味するのか失敗を意味するのかはわからない。人の目のあるとこまで逃げないと勝利とはいえない。


俺は口元を持っていたハンカチで押さえながら、それらの音を無視して、開けた窓から自分が飛び降りる隣の家の庭を見た。その庭には、隣に住む木下夫妻の恐らく奥さんの方が趣味で弄っているであろう色とりどりの花が植えてある花壇がある。真下の着地点も柔らかい土であるため、ちゃんと着地すればケガをせずに済むはずであった。


「俺はできる、、俺はできる、、」


震える足をハンカチを押さえていないもう片方の手で叩きながら自分に言い聞かせ、窓枠に足をかけてそこに一度腰掛けた。


(すまない裕美子、俺ができるのはここまでだ、お前もうまく逃げてくれ。)


後はもう、そう念じるしかできなかった。ハンカチをポケットにしまい二三深呼吸をして覚悟を決めた。そして、塀にぶつからないように足で壁を蹴りながら窓から飛び降りた。落下までの時間、他人からすればあっという間の出来事だったであろう。

しかし、その刹那の時が自分の中ではとんでも長く感じられた。

ドン!と鈍い音を立てて、自分の足が花壇の土に植えてある花を押しつぶしながら着地した。


(ッツ!!、よかったなんとか着地できた。骨折は、、、してない。)


それを確認するとすぐさま態勢を立て直して歩き始めようとした。ところが、着地の鈍い衝撃が体を伝った余韻でよろけてしまった。それでも、すかさず気合でなんとか踏ん張り、暗がりの中、庭を抜けて塀をよじ登り、自分の家の向かいの道路とは真逆の駅に行くに道にでた。


(奴らはいないな)


それを確認すると、駅に向かって追われることも気にせず無我夢中で走り始めた。


(逃げなきゃ)


もうその一心のみだった。いつもなら間違いなく疲れて足が止まるであろう距離でも、自分が殺されるかもしれないと思うと不思議と疲れも忘れて前に進めた。

流れてきた汗が目に入って視界が歪み、自分の走っているこの道も歪んで見える。

俺は思わず走りながら目を閉じた。










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