象牙細工の心臓

Scene.54

 象牙細工の心臓


 白く、豪奢なソファに埋もれる彼女は、脚を組み直しながら紫煙を吐き出した。室内を見渡して、豪勢なことで、と独り言を呟いて、カットガラスの灰皿に手を伸ばす。大理石の白い床が、シャンデリアの光をキラキラと反射していた。暖炉で爆ぜる薪の音が懐かしい。

 その白亜の宮殿の中、彼女の右手側の扉が開いた。黒いスーツの男たちを従えたマフィアの若いボスが、彼女の向かい側のソファへと歩む。

 彼が腰を下ろすと同時に、シルヴィアの唇が動いた。

「またウチの警官が殺られたんだけど」

 彼女は灰皿にタバコを押し付けて。「それも生首をオフィスに放り込んでいったんだよ、あいつら」

「随分と派手じゃないか。それであいつらって?」

「殺されたのは麻薬を追ってた捜査官だった。ブルーヘブンについて調べてた」

「あの幻覚剤か。俺のとこでは扱ってないな」

「でも、知ってるでしょ? 南区画のアシッドハウスってメーカーがクッキーの包み紙に薬吸わせてせっせと輸出してるの」

「ああ。だが、俺の領分じゃない」

「その魔法の粉の精製所を追ってたのさ。そしたら、殺された」

 彼女はウェーブのかかった前髪を弄りながら。「ねえ、ブルーヘブンを売り捌いてた奴らのボスが代わったのってさ、ブラック・エイプリルの後だったよね? しかも前のボスは暗殺されたって噂もあるよね」

「殺されたよ。別に珍しいことじゃない。あの後はどこも荒れてたからな。それに麻薬が御法度の古臭いボスと、金の為なら何でもやるルーキー。衝突くらいするさ」

「君みたいに?」

 シルヴィアは狐みたく、口角を釣り上げた。

「でも、西側の他の組のボスも何人か代わってるよね。調べたら、みんなブルーヘブンに手を出してた」

「……そいつらが繋がってると言いたいのか?」

「そう思うじゃないか。それで、幻覚剤を調べたんだ。出回ってるやつを集めてさ。これ大変だったんだよ? お金かかるし……」

「オフィスで居眠りして、たまに高いコーヒーを飲むことよりも、マシな金の使い方だと思うけどね」

「あらら、耳が痛いね。まあ、結果なんだけど、同じ成分比率だった。つまり、どれも同じ場所で作られてた」

「それで?」

「まあ、どこでクスリ造ってるかが判るまで確定とは言えないけどさ。ブラック・エイプリルでワイバーンは死んだ。君の手でね。でも、それが存在を消すための手段だったとしたら?」

「存在しないことにして、隠れて金と武器と兵隊を集めてるかもしれないってわけか。だが、この街に入ってくる武器の数はウチと軍警が把握しているだろう?」

「そうでもないよ。地下までは君も見てないでしょ、セシル君」

「……ああ」

 セシルはウイスキーをグラスに注ぐ。氷の爆ぜる音がした。

「それがあったか」

「それで、戦力が揃ったら時期を見て電撃制圧ってね。ついでにこれ。第三階層調べてた捜査官が偶然撮ったんだけどさ」

 シルヴィアがコートの内ポケットから一枚の写真を取り出した。そこには、第三階層へと繋がるエレベーターに乗ろうとするマッド・バニーの後ろ姿が映っていた。彼女の白いコートの、ウサギを象ったフードが長い耳を垂らしてカメラに微笑みかけている。

 セシルの口元が微かに笑う。

「これはいつのだ?」

「昨日だよ。さて、どうする? 鷲鼻さん。まあ、まだ愛しのウサギちゃんがあの蛇女の味方って決まったわけじゃないけどね。一応ね」

「……解った。しかし、俺がワイバーンと繋がっているという線は考えなかったのか? 俺が裏で手を引いて、違法なクスリを製造し、売り捌いている。その可能性もあるだろう?」

「だから、こうして君と話をしている」

 狐は、にこやかに微笑んで見せた。

「でも、まあ、そういうことをする人間じゃないでしょ。君は、何かと均衡を維持したがる。迷惑なことにね。おかげで昇進できそうもないよ」

「それ以上のものは与えていると思うが?」

「この世界で十分なんてものはないんだよ。私たちだって今日はこんなだけど、明日はそこらへんの雪の上に転がってるかもしれない。私はそういうの厭だから、こうして君と協力してる」

「解ったよ。とりあえず、警戒はしておく」

「よろしくね」

「だが、俺たちがお前らのために血を流す義理はない。ワイバーンについても本当の脅威になるまで手は出せない。それが俺の立場だ」

「不便だね、マフィアのボスも。じゃあ、嫌でも参加したくなる理由を探しておくよ」

 名残惜しそうにシルヴィアはソファーから腰を上げる。

 そして、再び紙タバコに火を灯して、深く息を吸った。

 紫煙を吐く。

「期待しててよ、ヘラクレス君。君にヒドラを狩らせてあげよう」


 氷の都トロイカ。

 氷に閉ざされた狭い場所では、時として相反する正義が結びつくことがある。その鎖は時間と共に強固になり、何人にも断ち切ることが不可能になる。世界は、そんな柵だらけだ。

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