Black Smile

Scene.25

 Black Smile


「ご機嫌よう、アゼル。久しぶりね」

 その耳障りな声を聞いて、少女は、振り向きながら刀を抜く。

 何も言わずに彼女は“それ”に斬り掛かった。甲高い金属音が響く。激しく敵意を剥く赤いコートの少女の前に現れたものは、黒いドレスを纏った天使。幼さを残したその顔は薄く笑っていた。刃を受け止める彼女の黒い大鎌は、冷たく、鈍い光を放っている。

 トロイカ南区角の工場地帯。そこは、昼間は活気に溢れているが、夜間になると寂しげなゴーストタウンへと変貌する。その闇と迷路の一角、月明かりに溢れた路地。

 煉瓦造りの倉庫とその間から見える空からは、眩いばかりの月と星たちが彼女たちを見下ろしていた。

「その名前で呼ばないで」

「あら、ごめんなさい。今は、確か……、クロエだったかしら?」

「何しに来たの?」

「元気そうね。久しぶりにあなた達の顔が見たくなって来たの。ウリエルも元気にしているかしら?」

「暫く会ってない。……そんなに私たちが気になる?」

「そうよ。あなただって私の妹だもの。血は繋がっていなくともね。だから心配しているのよ。あなたたちの細胞が腐ってないかしらって」

 ふわり、と真っ白な指先が、クロエの輪郭を撫でる。血の様に紅い瞳が彼女を映していた。

 刹那、クロエの刀が黒いドレスを貫く。しかし、刃に身体を貫かれてもその天使は、クロエを見つめて微笑んでいた。愛おしむ様に。赤い血を流しながら。

 一気に、刃を引き抜いた。

 その時、ふわりと、黒い鎌の刃がクロエの首筋に寄り添う。刹那、短い悲鳴を発した。彼女の顔が凍りつく。黒い天使が左手に握った黒い棘の様なミセリコルデが、少女の腹部を貫いていた。ごめんなさいごめんなさい、と赤いコートを纏った少女の唇は、蠢いている。質の悪い怪奇映画に出で来る様な悪魔に怯える少女みたく、彼女は震えながら。

 氷のように冷淡に、黒いドレス姿の少女は問い掛ける。

「クロエ。私、怒るわよ?」

「ごめんなさい、ルシファルお姉様……」

「いい子ね。私、今日は機嫌が良いの」

 少女の左右の手のひらを重ねて、真っ黒なミセリコルデを突き刺し、煉瓦造りの壁に釘付けにする。その姿は磔に科された天使の様に美しかった。赤い血が、白い腕を伝った。ルシファルと呼ばれた黒い天使はクロエの刀を手に取ると、壁に桀けられた少女の右腕を――やさしく――切り付ける。ゆっくりと、浅く切っ先が肌を撫でる度に、小さな喘ぎが聞こえた。

 赤いコートの下の白い燕尾シャツに血が滲む。

 次々と天使はクロエの身体中を切り付けていく。その度にクロエの口からは痛みに喘ぐ小さな悲鳴が漏れた。白い雪に、赤い斑点が落ちていく。決して殺さず、愉しむように。時に撫でるように刃を這わせ、時に鋭い刃を突き立て、そのまま捩る。露わになったピンク色の乳頭を切っ先で突き、真っ白な乳房を切り付ける。

 クロエが悲痛に喘げば喘ぐほど、苦痛の表情を浮かべるほど、その可虐的な天使の紅い瞳は嬉々と輝いた。

「相変わらず、あなたは治癒が遅いのね。そういうところ好きよ、クロエ。愛しているわ」

「ごめんなさい……」

 愉しそうに、ノーブルな顔立ちの天使は微笑んだ。赤いコートは引き裂かれ、白い燕尾シャツは真っ赤に染まる。彼女の剥き出しになった白い肌には、冷たい刃によって赤い線が描かれていく。幾重も、幾重も……。

 反して月明かりは、辺りを青く染めた。透き通るくらいの青に。

 ふと、ルシファルがクロエの赤いチェックのスカートの中へ手を入れた。微かに、クロエが甘い吐息を漏らす。

「濡れてるじゃない、クロエ。そんなに嬉しいのかしら? そういえば、昔から痛いのが好きだったわね」

「ごめんなさい。お姉様。もう、許して……、ください」

「夜は長いのよ。愉しみましょう、アゼル。今は、月しか見てないわ」

 堕天使は黒く笑った。


 氷の都トロイカ。

 神話に語られる天使は必ずしも愛に溢れているとは限らない。否、その愛が強すぎる故に、狂って仕舞う者も存在するのだった。

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