Épisode 32「こいつ、殺すか?」
ジェラールは無言で首を横に振る。
「大丈夫。何かあったら、私の魔法でみんなを癒すから」
「それこそだめだって! そしたらねーちゃんが倒れるだろ⁉︎」
「倒れても大丈夫。死なないように加減はするから」
リュカとの約束がある。それがある限り、ユーフェも無茶な使い方はしない。以前ならしていたかもしれないが。
ちらりと覗いたヴィクトルは、いつのまにか拘束から逃れていた。ほっと胸を撫で下ろす。
「急ごう、えーと」
「ジェラール」
「ジェラールね。いい? ここの水槽、全部で四つあるでしょ? 最善は、同時に四つ壊すこと。じゃないと気づかれるから」
「でも四つなんて、どうやって?」
「もちろん、私の魔法で。ただね、壊したあと、中から出てくる彼らを受け止めなきゃいけないの。だからあなたも手伝ってくれる?」
「もちろん!」
ジェラールの目が輝いた。自分にも何かできることがあって嬉しいのだろう。その気持ちは、ユーフェにもよくわかる。
「じゃあ、一、二の、三でいくからね」
「うん」
「一、二の」
――三!
パリンッ。
盛大な音を立てて、ユーフェの魔法が水槽を破壊した。
どばっと中にあった水が流れてくる。一人はジェラールが、二人はユーフェのなけなしの風魔法が、最後の一人はユーフェ自身が、なんとか受け止めた。
すぐに呼吸を確認すると、幸い子供たちは息をしているようだった。口に当てられているマスクをそっと外しても、彼らの様子が急変することはない。
ほっと安堵するも、水槽が壊れたことで、ユーフェたちを隠すものが無くなった。
「何てことをっ‼︎」
怒りを滲ませて怒鳴ったのはダニエルだ。ヴィクトルたちは人間にしてはよほど強いのか、その身体にはいくつか攻撃を受けた形跡がある。
やはり古の魔法を使い続けるのは疲労が激しいらしく、肩で息をしている。
彼が目を吊り上げるところなんて、初めて見た。
「くくっ、澄ました得意顔以外もできるんじゃないか、ダニエル・コルマンド!」
心底愉しげに、ヴィクトルが高く笑う。
対してダニエルは、歯軋りしそうなほど顔を歪めた。恨めしそうな目つきでユーフェとジェラールを射抜く。
「おっと、おまえの相手はこちらだぞ。人間を下等生物のように扱ってくれるが、その人間にやられて酷い様だなぁ? ん?」
挑発するようにヴィクトルが言う。その間も彼の攻撃はやまない。
「知っているぞ、ダニエル・コルマンド。おまえは幼少の頃、随分と人間に馬鹿にされてきたそうだな? 軟弱、棒っきれ、ひ弱な穀潰し。おかげで母は体調を崩し、父は他の貴族から舐めた目で見られる。伯爵という地位にも関わらず」
「な、んで、それを……っ」
「言っただろう? 初めて会ったときから、俺はおまえに虫唾が走ったと。俺の従者は優秀なんだ。それくらいの情報、諜報部を使わずとも一日で集められる」
みんなの視線が集まったフランツは、なぜか頭を抱えていた。まるで、主人の悪癖が始まった、と言わんばかりに。
ヴィクトルは相手が不快に思う最大限で、口端をつりあげ、目を細めた。
「悲しいな。おまえのせいで家族はバラバラになったんだ。せっかく見返すために強くなろうとしているのに、今度はおまえが罪を犯した。ここに伯爵でなくおまえが来たということは、伯爵はおまえの罪を知りながら目を瞑っているのかな。それとも無理やり加担させられているのかな。ああ、どちらにしろ、これでまた伯爵家は他所から白い目で見られるのだろう――おまえのせいで!」
「っ、知ったような口をっ……利くな人間!」
凄まじい風圧がヴィクトルを襲う。避けきれず壁に追突し、肺の中の空気が無理やり口から吐き出された。
それでもヴィクトルは、喋ることをやめない。
「おまえのせいだ。全てはおまえが弱いせいだ!」
「うるさいうるさいうるさいッッッ!」
力任せに魔法を振るい、無差別に攻撃が繰り広げられる。
「黙れ……黙れよ人間。おまえたちなんか、僕より弱いくせに! おまえたちのほうが、何百倍も弱いくせにっ!」
「滑稽だな! その弱い人間に、おまえはぼろぼろじゃないか!」
「違う! おまえたちだけならこうはならなかった! ユーフェが……ユーフェが邪魔をしたからだっ。――そうだ、ユーフェ。ユーフェなら僕の気持ちが解りますよね? 人間は下等だ。僕たちより弱い。なのに、僕たちを馬鹿にするなんて、許せませんよね⁉︎」
別人かと思うくらい、ダニエルの形相が変わっている。
それはもしかすると、ヴィクトルがわざと仕向けたことなのだろう。演技めいた口調だった。そうして、彼はダニエルの弱い部分を、無遠慮に踏み荒らしたのだ。
冷静さを失わせるために。
(ほんと、酷い人)
けど、ダニエルに同情はできても、共感はできない。
ユーフェも同じだ。子供の頃、特に両親から酷い扱いを受けてきた。全ては魔女だったせいで。
何度この力が無ければと思ったことか。
妹と同じ、普通の人間だったなら。そしたら父は、母は、自分を愛してくれただろうか。
自分を愛してくれない両親に、ダニエルと同じように、憎しみを抱いたこともある。
それでも。
「残念ながら私は、許すとか、許せないとか、思ったことありません」
「は……?」
「私には、子供たちをこんな目に遭わせるあなたの気持ちなんて、理解できないわ!」
初めて、ダニエルの目を真っ直ぐと睨んだ。
「っんで。何でなんだっ。ユーフェも、リュカも、
「だから坊やだと言うんだ、貴様は」
ヴィクトルが絶対零度の眼差しでダニエルを見下ろす。その顔に、いつもの笑みは乗っていない。
「先にやられたからなんだ? 先にやられたらやり返してもいいのか? 同じように? まったく、想像以上のガキだったな」
「なん、だって?」
「その理屈で言えば、じゃあ俺はおまえに復讐していいことになるな? 同じ方法で」
淡々と言ったヴィクトルは、詰めていた襟を無造作に解く。ぐいっとシャツを片側に引っ張ると、彼の首筋に、薔薇の花を模した痣が現れた。
「「――⁉︎」」
それは、ある一族を示すもの。
人でもなく、魔女でもない。
ただ、魔女の餌として、非情な運命を課せられたものの
その意味を知っていたユーフェとダニエルは、揃って絶句した。
「これがなんだか知っているだろう? 古の魔女の末裔よ。おまえの先祖が残した醜い痕は、今でもこうして引き継がれている。どうだ? おまえも同じように、魔女の餌になってみるか?」
自虐的な微笑みに、ユーフェは顔から血の気を引かせる。
対してダニエルは、新しい玩具を与えられた子供のように、無邪気に瞳を輝かせた。
「ああ……ああっ、会いたかった、本物のル・ルーの一族……!」
空気を読まず喜ぶダニエルに、ヴィクトルは貼りつけた笑みのまま、首をこてんと傾ける。と。
「こいつ、殺すか?」
「だめですよヴィクトル様。お気持ちは痛いほどわかりますが」
終いにはヴィクトルの足元に縋りついてきそうなダニエルに、一つ二つ、ヴィクトルの顔に青筋が浮かんでいく。
「やっぱり殺そう。それがノルマール――ひいては世界のためだ」
「だからだめですってば。お気持ちはええ、それはもう肺腑にしみるほどよくわかりますが」
そう言ったフランツの手は、腰に佩いている剣の柄へと伸びている。今にも抜きそうだが、彼も我慢しているのだろう。その手が小刻みに震えていた。
ユーフェはますます顔を蒼白にさせる。
「チッ。とりあえずここから出るか。胸くそ悪い。この様子だと、どうせ第二のル・ルーの一族を〜とかぬかすろくでもない連中と似たような研究でもしていたんだろう」
「でしょうね。じゃ、ヴィクトル様はその人を連れてきてくださいね。私は子供たちを運びますので」
「いや待て。待て待ておかしいだろう。なんで俺がこのいけ好かない魔女を連れていかねばならん」
「だってその人、ヴィクトル様のことは殺さなそうですし。むしろ大人しくついてきてくれるんじゃないですか?」
フランツの言葉どおり、ダニエルのヴィクトルを見る目は、打って変わって希望の光でも見るような目だ。ヴィクトルという〝餌〟がいれば、自分は古の魔法を使い放題だとでも思っているような感じだった。はたまた研究のいい材料が手に入ったとでも思われているのかもしれない。
なんにせよ、ヴィクトルにとっては、ここで密かに天に召されてほしい存在である。
「ユーフェさん、手伝いますよ」
しかしフランツは慣れたもので、主人の意見を丸無視した。眠っている子供たちに寄り添っていたユーフェとジェラールの許に来ると、軽々とその内の二人を持ち上げる。
「レオナール殿下、申し訳ありませんが、一人お願いできますか?」
「いや、私も二人くらい運べる」
変な対抗心を燃やしたレオナールが、ちょっと重そうに二人を持ち上げた。それでもちゃんと歩けるのだから、王子といえども鍛えているのだろう。
「ねーちゃん、俺たちも行こう?」
呆然とするユーフェの手をとって、ジェラールが立たせてくれる。ありがたかった。その小さな手がなければ、ユーフェはきっと立ち上がれなかったから。
まさか持ち歩いていたのか、ヴィクトルはあの首輪をダニエルにはめると、鎖の先端も先端を握って引いている。
その背中を見つめていると、ふいに彼が振り返ってきた。
「ユーフェ、帰ったら君の作った料理を食わせろ。腹が減って死にそうだ」
「え、あの」
作ってもいいのか、という疑問が喉元まで出かかる。
だって自分は、彼があんなにも嫌悪する、古の魔女の末裔なのに。
「あのっ、わた、し」
そのときだ。ゴゴゴと土砂崩れの一歩手前のような音を、ヴィクトルの耳は拾った。
ぱらりと、上からコンクリートの欠片が落ちてきて――
「ユーフェ‼︎」
「え?」
ヴィクトルが鎖を放り投げる。そのまま手を伸ばした。視界の先で、何もわかっていないユーフェが困惑の瞳で自分を見ている。
けど、ヴィクトルの目には。
数秒先にはユーフェに落ちるだろう大きな瓦礫が見えていた。
(頼む、届いてくれ――!)
ヴィクトルが覚えていたのは、ここまでだった。
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