Épisode 23「もう僕を独りにしないで」


「ユーフェ、ちょっと」

 せっかく屋敷にいるのだから、と今日もダニエルの診察をして、部屋に戻る途中。リュカに呼び止められて、ユーフェは無防備に振り返った。

「話、あるから。僕の部屋に来て」

「? ええ」

 伯爵がリュカに用意した部屋は、ユーフェのところとほぼ変わらない広さだ。ただ、こちらのほうがよりシンプルな内装ではあるけれど。白と黒で統一されているからだろうか。ユーフェの赤色やら桃色、黄色、橙色があしらわれた家具や小物の置かれた部屋とは、雰囲気が全然違った。

 リュカが指差した黒のベルベットのソファに腰掛ける。対面に座ったリュカが、杖と呪文で魔法を発動させた。

「リュカ? どうしたの?」

 今発動した魔法は、一種の結界だ。なかで起こる全てのことが、外にはわからなくなる結界。

「うん、だってユーフェ、僕との約束破ったでしょ?」

 ぎくり。動きが止まった。

「噂になるほどって、どのくらい使ったの?」

 てっきり怒られると思っていたユーフェは、リュカの冷静な態度に意表を突かれる。恐る恐る口を開いた。

「怒らないの?」

「ユーフェはそういうの、見ちゃったら見過ごせないタイプだからね。なんとなく予想はしてたよ。人が怖いくせに、変に矛盾してるよね」

「う……ごめんなさい」

「怒ってないからいいよ。でも、何度か息も絶え絶えに帰ってきたことがあったよね? まさかとは思ってたけど、あれは、そのせいだったってこと?」

「リュカ、すごいわ。まったくそのとおりよ」

 リュカは呆れた。感心している場合ではない。

 というのも、癒しの魔法は、いにしえの魔法の一つであり、その代償も大きいからだ。

 今の時代、使い手はほとんどいないだろう。実際リュカは、ユーフェも含めて、二人しかその使い手の話を聞いたことがない。

 大量の魔力を消耗し、加減を誤ると、魔力を枯渇させてしまう魔法。そんなことになったら、あとは灰となって死ぬだけだ。魔女が人に恐れられる理由の一つに、その死に方があった。

 とにかく、今までは魔力が枯渇するほどの使用をしたことがないとしても、これからはそうじゃないかもしれない。

「ユーフェ、もう一度言うよ。それ、もう二度と使わないで」

「リュカ? あの、どうしたの?」

 彼にしては強い言い方だ。怒られるかもしれないとは思っていたが、そこに少しの哀しみが混じっていたような気がして、ユーフェは反応に困る。

「約束」

「で、でも。たとえばよ? たとえば、リュカが今にも死にそうな状況だったら、私、たぶん使っちゃう……」

「だめ」

「リュカ……」

「そんな顔してもだめ。それでユーフェが死んだら意味ない」

「死ぬってそんな、大げさな」

「大げさじゃない」

 一つ目を閉じて、リュカは今まで語らなかったことを、初めて口にした。

「僕のお師匠様、それで死んだから」

 見る見るユーフェの瞳が開いていく。しんと空気が静まり返った。彼の師が、すでに亡くなっていることは知っていたけれど。

「そんな、どうして……」

「言ったでしょ。癒しの魔法を使ったからだよ。魔力が枯渇するほどね。あれは、僕ら普通の魔女が使う魔法とは違う。どれも威力がある分、多くの魔力を使う」

「でもそんなこと、リュカ、ひと言も」

「あえて言わなかった。言ったらユーフェは、僕とも違う存在なんだって、悲しむと思ったから」

 その言葉に、ユーフェは心を打たれる。自分よりも年下の少年は、自分よりも大人だった。

 あの頃、ユーフェがリュカと出会った頃は、彼もまだ自分の師を亡くしたばかりだったというのに。

「でも、手遅れになる前に言う。お願いだからユーフェ、もう僕を独りにしないで」

 それは、初めてリュカが見せた、彼の弱さだった。年下でも、魔女としては先輩で、ユーフェを助けてくれて、いつだって彼は、ユーフェより落ち着いた態度だったから。

 きゅっと唇を引き結ぶ。恩人にこんなことを言わせて、黙っているわけにはいかない。

「わかったわリュカ。私、約束する。リュカより先に死なないって」

「……ユーフェ?」

 それ、ちょっと違うんだけど。と彼は目で訴える。けど、ユーフェはあえて気づかないふりをした。

「大丈夫。私のほうが年上だけど、絶対にリュカより先には死なないから。ほら、私って、健康だけが取り柄みたいなものだし」

 なにせ、厩舎生活もすぐに慣れたし、どれだけ殴られても翌日にはけろっとしていた。それが生意気だと、両親の癇に障っていたことも知っている。

「だから安心して? リュカが倒れたら、自分が死なない程度に魔法を使うわ」

「それは……使わなければいいと思う」

「大丈夫!」

 なにが、と突っ込めるものなら突っ込みたい。でも、自信満々に胸を張るユーフェに、リュカは思わず苦笑した。これはもう何を言っても無駄だろう。彼女は意外と頑固だから。

 仕方ないなぁと、結局リュカが折れる。いつものパターンだ。

「その代わり、お師匠様みたいになったら、僕、ユーフェの灰をヴィクトルさんに渡すからね。好きに使ってって。彼ならきっと、僕の想像もつかないような供養をしてくれそうだよね」

「それはやめてっ」

 本気で酷い供養をされそうだ。

「うん。だから長生きしてね、ユーフェ」

「もちろん、任せて!」

 やはり胸を張るユーフェに、リュカはそっと口を閉じた。余計なことを言わないように。

 本当は、魔力が枯渇しそうなとき、それを助けてくれる一族がいる。

〝ル・ルーの一族〟と呼ばれる彼らは、魔女ではない。でも、ただの人間でもない。その昔、古の魔女たちが生み出した、いわゆる魔力回復薬のようなものだ。

 今でこそ古の魔法と呼ばれるそれは、昔は普通に使われていた。すると当然、昔の魔女たちは、よく魔力切れを起こす羽目になっていた。

 そこで研究されたのが、外部から魔力を回復する方法だ。

 本来なら魔力とは、自分の内側で作られる。外部からの回復など、その発想すらなかった。

 しかし、一人の魔女がこう言った。人間をその糧にしてはどうかと。それが、悲劇の始まりだった。

 いや、続きだったのかもしれない。なぜなら当時から、魔女と人間は確執を起こしており、むしろ当時のほうが魔女の人間嫌いは酷かったらしい。

 自分たちに不当な扱いをする人間を、見返すわけではないが、見下したかったのだろう。――おまえたちは、我々に生かされている存在なのだと。

(ル・ルーの一族のことを教えたところで、彼らはもう、どこにいるとも知れない)

 人間よりも、魔女のほうが圧倒的に強いはずだった。だから逆らえば、我々の餌にしてやると見せしめようとしたのだ。

 はたして古の魔女たちは、研究を成功させた。身の内に魔力を貯めておける、魔女でも人間でもない、ただの餌という存在を作り出した。

 そういう魔法を、人間にかけて。それもまた、古の魔法の一つである。

 そうして〝ル・ルーの一族〟という、魔女たちの餌が誕生した。彼らの血液は、魔女にとってのご馳走になった。それから衰退の一途を辿っていた魔女たちが、一定の数で存在し続けられるようになったのは言うまでもない。

(知ったところで、ユーフェは嫌がるだろうし)

 彼の師もまた、嫌がった。むしろ、今もどこかで隠れて生きているだろう彼ら一族を、なんとか古の魔法から解放できないかと、ずっと研究を続けていた。人が好きな魔女だったから。

 今ではリュカが、その遺志を引き継いでいる。

「ところでリュカ、今思ったのだけど」

 意識を目の前に戻す。どこか引きつった表情を浮かべるユーフェに、リュカは首を傾げた。

「隠し通せると思う? あの人に」

「ああ……」

 それはなかなか難しいだろうと、リュカも遠い目をした。


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