Épisode 11「端的に言って、鉄製の首輪を」



「見ぃぃつぅぅけぇぇたぁぁああ!」

 ――ヴィクトル‼︎

「げ」

 コルマンド伯爵の屋敷に向かっていたところ、その途中で地鳴りが響いた。と思ったら、その地鳴りが近づいてくるではないか。

 何事だと振り返った一行――正しくはヴィクトルの許に、地鳴りの元凶と思われる男が飛びついた。

「どこ行ってたんですかあなたという人はぁー‼︎ 私が、私がっ、どんな思いであなたを探していたと……!」

「あー、悪かった、から、抱きつくな気持ち悪い」

 べし、とヴィクトルは問答無用で飛びついてきた男の頭を叩く。

 それでもえぐ、えぐ、と泣く男に、ユーフェとリュカは戸惑いの瞳を向けた。

(だ、だれ?)

 なんだか見てはいけないものを見ている気分だ。

 というのも、そこにいるだけで色気を振りまくヴィクトルの美貌に対して、突然現れた男は、言うなれば爽やか系の美貌を持っている。ので、顔の整った男二人が抱き合っているという絵面に、ユーフェは未知の世界を見た気がした。

「おい、待て。待て待て待て。この距離はなんだ、リュカ」

 どうやらリュカも同じことを感じたのか、ユーフェを庇うように二人から距離を取る。

「人の趣味には興味ないけど、ユーフェにはまだ早いから」

「いや違う。前提がおかしい。というかおまえもいい加減離れろ! そして泣き止め!」

「うっ、だって、あなたが空腹で死んでるんじゃないかと、気が気でなくて……っ」

「勝手に殺すな。まあ……放っておいたのは悪かった」

「本当ですよ私が見つけなかったらまだ放置してたでしょう⁉︎ 酷いですよヴィクトル!」

 そう言ってさらにヴィクトルを抱きしめる男に、ユーフェは色々な限界を迎えた。

 顔を真っ赤にしながら言う。

「あの、でも私、そういう世界もあるって、知ってるから」

 今のユーフェは、もうヴィクトルの瞳を怖がらない。彼の瞳は、両親のそれと違って、嫌悪を滲ませないから。そんな確信がある。

「『知ってるから』? 知ってるからなんだ⁉︎ 俺は違うぞ!」

「だ、大丈夫よ! 恥ずかしがることはないわ。私はちょっと、免疫がなくて戸惑うけれど……気にしないで!」

「気にするに決まってるだろうが! 俺は男じゃなく、女が――」

 ガチャリ。

 首元で鳴った硬質な音に、ヴィクトルが固まる。とてつもなく嫌な予感がした。

「おい、フランツ」

「なんでしょう、ヴィクトル」

「おまえこれ、何した? 首になんか冷たいものが当たってるんだが」

「端的に言って、鉄製の首輪を」

「〜〜っ」

 真面目に答えるフランツに、ついにヴィクトルの怒りが爆発した。

「ふざけるなっ! なぜ俺に首輪をつけた⁉︎ つける意味がわからん!」

「あなたが勝手にふらふらとどこかに行くからでしょう⁉︎ あなたが行方不明になったこの数日間、私は未来への恐怖でろくに眠れなかったんですよ⁉︎ どんな顔してあなたの兄君に報告すればいいのかと、恐ろしくて恐ろしくて……っ」

「だからってこれはないだろう⁉︎ 今すぐ外せ!」

「お断りします。人が死ぬ思いで探していたというのに、あなたはまた女性をつかまえて楽しんでおられたようなので。言わば意趣返しですよ、はっはっは」

 本気で二人の関係性がわからなくなったユーフェである。

 リュカと顔を見合わせて、視線で「どうする?」と問いかける。いっそのこと、おかしな二人は置いて、先に進んでしまおうか。診察にはヴィクトルもフランツと呼ばれた男も必要ないのだから。

 そう思ってどちらからともなく頷き合うと、ユーフェとリュカはそっと歩き出した。

 しかし。

「わかった。この際首輪はいい」

 ヴィクトルが首輪に繋がった鎖をフランツから奪う。と、まさにこの場から逃げようとしていたユーフェの手を掴み、鎖を握らせた。

「うん、どうせならユーフェに繋がれよう。これならある意味興奮する」

「なっ、なんで私⁉︎」

 咄嗟に鎖を放り投げようとして、そうはさせまいと、より強くヴィクトルに手を握りこまれる。

「離して変態っ」

「ああ、やはり君はそうでないと。怯える君は面白くないからな。なんだ、意外と役に立つな、これ」

「意味わかんない! こんなの持ってたら、私まで変に思われるじゃない」

「君が特殊な性癖を持っていると他の男に知らしめられて、俺は満足だ。これで君に近寄る男はいなくなる」

「せっ⁉︎」

 とてもじゃないが、未婚の女性に対して使っていい言葉ではない。

 なのに、あまりにも楽しそうに彼が笑うから、ユーフェは怒るに怒れなかった。それに、真っ赤な顔で何を言ったところで、彼に茶化されて終わるのだろう。

 ふぅと息を吐き出す。諦めたユーフェは、手に持つ鎖を眺めると、そのまま歩き出した。

「お。実は君も乗り気だった?」

「違うわ。こんなところで、これ以上時間を潰したくないの」

「なるほど。ま、俺は君が持ってくれるなら、何でも構わないがな」

 そう言って極上の甘い微笑みを向けてくるから、ユーフェはどんな顔をしていいのかわからず、視線を逸らした。

 その後を、リュカとフランツがついてくる。余計な同行者を二人もつけて、一行はようやくコルマンド伯爵の屋敷に辿り着いた。

「お待ちしておりました、先生方」

 出迎えてくれたのは、いつもの家令ではなく。

 今日は見知らぬ男性使用人だった。おそらく執事だろう。かっちりとした燕尾服が似合っている。三十代と思しきその執事は、申し訳なさそうに眉を下げた。

「実は今、主人は急な来客の対応に追われておりまして。家令もそちらに出払っているのです。私で申し訳ございませんが、ダニエル様の許にご案内いたします」

 それだけで、ユーフェはなんとなく事情を察した。

 急に来た来客にもかかわらず、追い返すわけでもなく、当主自ら歓待するということは、つまり伯爵よりも目上の人間が来たということだ。さぞかし慌てたことだろう。

 ユーフェもリュカも、出迎えが不十分だと言って怒るような性格ではない。むしろどことなく慌ただしい雰囲気を醸し出す屋敷の人たちに、同情するほどだ。

「ところで、後ろのお二人は?」

 執事の視線がヴィクトルたちに向く。むろん、今はヴィクトルの首にあの首輪はない。道中、自分たちがどこに行くのか知ったフランツは、一も二もなく首輪を外した。彼が常識人でよかったと心底思う。

 ちなみに、同じく道中にヴィクトルとフランツの関係性を訊いてみたところ、

『フランツは俺のパシリだ』

 と、何の邪気もない笑顔でそう言われていて、フランツに仲間意識を覚えたユーフェである。二人して遠い目をした。

「俺たちか? 俺たちのことは気にしないでくれ。ただの連れだ」

 ヴィクトルが答えると、執事は困惑気味の瞳をリュカに向ける。

「その人たちも、僕の助手みたいなものだから」

「はあ……」

「そういうことだ。ほら、さっさと案内しろ。ダニエル様とやらはどこだ?」

 誰に対しても尊大な態度は崩れず、ユーフェは内心で冷や汗を掻く。どこの世界にこんな態度のでかい助手がいるのか。

 いくら昔から重宝されていると言っても、伯爵家の怒りを買ったらただでは済まない。

 しかしユーフェの心配も杞憂に、執事はかしこまりましたと頷いて歩き出す。二階に上がり、長い廊下を奥へと進む。いつもは一階の奥の階段から案内されるところ、今日は手前の階段を上った。おそらく、一階の客間で応対している客人と、鉢合わせないようにするためだろう。

 興味津々といった風に周りをきょろきょろするヴィクトルをたしなめながら、ユーフェたちは目的の場所に到着する。

「ダニエル様、先生方をお連れしました」

「どうぞ、入ってもらってください」

「失礼いたします」

 部屋に入ると、寝台の上に一人の青年がいた。本を読んでいたのか、それをパタンと閉じて、ユーフェとリュカを笑顔で迎える。その笑みがどことなく儚く感じるのは、彼の肌の白さと、その線の細さのせいだろう。

「お久しぶです、リュカ、ユーフェ」

 彼は年下だろうと、誰に対しても敬語を使う人間だ。ヴィクトルとは真逆だなぁと、ユーフェは思う。

「久しぶり、ダニエル様。体調は?」

 リュカが寝台の横に用意された椅子に座ると、さっそく診察が始まった。

 基本的に、流れはいつも同じだ。リュカの診察が先にあって、その後に薬を処方する。

 自分の出番が来るまで、ユーフェはいつものように壁際に佇んだ。人見知りの彼女は、屋敷の中でフードを被れない分、ダニエルとは物理的な距離を開けて接している。

 何度か、ダニエルがこっちに来ませんかと言ってくれたこともあるけれど、やんわりと断ってきた。

 というのも、いまだになんとなく、ユーフェは彼の優しげな瞳に慣れなくて。自分でも疑問ではあるけれど。

「ユーフェは相変わらずそこなんですね。まだ僕に慣れませんか?」

 苦笑されて、申し訳ないと思いながらも、ユーフェが頷くことはない。

 そしていつも、そんなユーフェをリュカが助けてくれる。

「申し訳ないけど、ユーフェは薬の準備があるから」

「ああ、そうでしたね。僕のほうこそすみません」

「ユーフェ、じゃあいつものでお願い。少し強めに」

 リュカの指示にこくりと頷く。


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