Épisode 10「俯くな!」
*
「紹介します。彼女は僕の助手の、ユー……」
と、そこでリュカは、咄嗟に何も思いつかず。
「ユーフェです」
「ぶふっ」
吹き出したのは、もちろんヴィクトルだ。
そして紹介された少女ユーフェは、肩からがくりと崩れ落ちた。
(いくらなんでもそれはないわ、リュカ!)
声を大にして言ってやりたかったが、ヴィクトルの前で言えるはずもなく。
マントのフードを目元まで引っ張って、ユーフェは早口で挨拶した。
「じ、助手のユーフェです。その、初めまして」
「初めましてねぇ。おかしいな、君とは市場で会ったような気がするんだが」
ドキリとした。
「気、のせいでは……」
「でもそうか、君はリュカの知り合いだったんだな。だからあの肉も返しに来れたわけだ。いったいどうして俺の滞在先を知っていたのか疑問だったんだが、これで謎が解けたよ。本当はリュカから俺のことを聞いていたんだろう?」
きょとんとする。
ユーフェは数瞬ののち、ヴィクトルの言葉をやっと理解した。
つまり。
顔を見られたあのときのことを誤魔化すのは、至難の技だ。ユーフェも苦しい言い訳だとわかっていた。だけど、いっそ認めて、実はリュカとは知り合いで、リュカからヴィクトルのことを聞いていたということにすれば、色々な辻褄が合う。というわけである。
(よくわからないけど、そういうことにしておこう、うん)
「そ、そうです。そのとおり、です。だから」
「『だから』?」
「や、やっぱり初めまして、ではなく、二度目ましてに、なります」
「ぶふっ」
やはりこのときも、吹き出したのはヴィクトルだった。彼は思う。なんて単純な性格だろうと。簡単に誘導され過ぎじゃないだろうか。ここまで素直――と言ってもいいのか――な性格の人間は、ヴィクトルにとって新鮮だった。
本当に退屈しない。
「それにしても、君は猫のユーフェと同じ名前なんだな?」
びくり。彼女の肩が跳ねた。
猫のときと全く同じ反応に、ヴィクトルの口元は勝手にニヤつく。
「それはえっと、ぐ、偶然でして。ね、リュカ!」
「うん、偶然」
「なるほど。では、そういうことにしておこう。それよりも」
ヴィクトルが一歩、ユーフェに近づいた。なんとなくユーフェは一歩下がる。
「さっきから思ってたんだが。気に入らないな、そのフード」
「え?」
途端、彼の纏う空気が変わった。微笑んでいるはずなのに、醸し出される雰囲気にはどこか不穏なものを感じる。
「なぜ顔を隠す? それに、そのどもった話し方はなんだ。リュカとは普通に話すくせに」
「あ、えっと、これは」
その威圧的な空気に、ユーフェは萎縮した。猫のときの自分ならいざ知らず、〝自分〟と認識された状態で誰かと話すのは、やはり怖い。
自分の異質さを見抜かれて、白い目を向けられるのではないかと身震いする。
思い出すのは、不快なものでも見るような目で、自分を見下ろす父と母。
気持ち悪い。
どうしてうちの子が。
いや、こんな子は我が侯爵家の子供ではない。
フラヴィはあんなにいい子でかわいらしいのに。
卑しい魔女め。
恐ろしい子。
化け物。
おまえなど、産まれてこなければよかったのに!
「――っ」
怖い。嫌だ。見たくない。
あの白い目を。冷たい両親を――――
「俯くな!」
「っ、」
ぐいっとフードを無理やり剥ぎ取られる。
遮るものがなくなって、急に視界に入った光に目を細めた。
「俯くな。顔を上げろ。俺を見ろ」
強い力で顎を掴まれて、真正面から彼を見るように固定されてしまう。
「他は何も見なくていい。君は俺だけを見ていればいい。もう何度もそう伝えているのに、なぜ君は俺を見ない」
ユーフェは思わず唖然とした。どういうこと、と一瞬理解が追いつかなかった。
「いいか、君が見ていいのは俺だけで、考えていいのも俺のことだけだ。それをいい加減理解しろ」
強い瞳で射抜かれる。そこに、両親のような嫌悪はない。ただただ、澄んだ湖面の瞳がある。
(どうして、この人は……)
こんなにも綺麗な瞳をしているのだろう。
性格は尊大で、自分勝手で、強引な最低男なのに。
今だってそうだ。怖がるユーフェなんてお構いなしに、勝手なことばかり言っている。掴まれた顎は痛いし、急に上を向かせられたせいで首だって痛い。
普通なら、傲慢とも言えるその態度に、怒っていいはずだ。
「だからわかったな? 俺を前にして、俯くことは許さない」
その整った顔に、平手の一つでもお見舞いさせていいはずだ。
「顔を上げて、その瞳に俺だけを映せ」
いったい何様だと、どうして私があなたを見なきゃいけないのと。
文句を言ったって、いいはずだ。なのに。
「たったそれだけでいい。それの何を、君は恐れる?」
「……っ」
どうしてかユーフェは、泣きそうになった。
自分でもわからない。それでも、鼻の奥がツンとした。
人を怖がるユーフェを、リュカも、この町の人たちも、まるで腫れ物に触るように接した。無理はしなくていいからねと、真綿に
それに不満があったわけじゃない。自分の態度がそうさせてしまったことにも気づいている。
でも本当はずっと、こんな自分とおさらばしたかったのだ。
もう十八にもなったのに、いつまでも子供の頃のトラウマを抱えて、満足に人と接することができない自分に、自分が一番失望していた。
だから。
――〝俯くな!〟
その言葉に、ハッとした。
無理やり泥沼の底から引っ張り出されたような感覚がして、視界の先に光を見た。
もしかしたら、自分はずっと、その光を求めていたのかもしれない。そうやって無理やりにでも、背中を叩いてもらいたかったのかもしれない。長いこと泥沼の中にいたユーフェでは、そこから抜け出す術を見失っていたから。
「自分で言うのもなんだが、俺はさぞ見応えのある男だと思うぞ?」
自信満々に彼が言うものだから、ユーフェはやっぱりぽかんとしてしまったけれど。
「こんな男前を見つめられるなんて、むしろ褒美だ。怖がる要素がわからん。君もそう思うだろう? リュカ」
「よくわからないけど、あなたが凄いことはわかった」
「ほらみろ。君の大好きなリュカも認めたぞ」
「ううん、ちょっと違う。僕が言った〝凄い〟っていうのは……」
リュカがついと視線をユーフェにやる。
それを辿って、ヴィクトルももう一度ユーフェに視線を戻した。
すると、さっきまでずっとびくびくと怯えていた彼女が、
「ふ、ふふ」
小さく、でも確かに、蕾が芽吹くように笑っていた。
「ユーフェがそんなふうに笑うなんて、見たことない」
そう。感情が顔に出やすいユーフェだが、実は心の底から笑うことはほとんどなかった。
そもそも人見知りであったため、他人との会話自体が少ない。そしてリュカとでさえ、彼女が見せるのは慈愛に満ちた微笑みか、困ったような微笑みだけだ。
今みたいな、堪え切れないというように笑う彼女を、リュカも初めて見る。
だから言った。凄いと。
だってヴィクトルは、リュカが何年も一緒に暮らしていてできなかったことを、たった数日で成し遂げてしまったのだから。
「すごいわ。こんなに強引な人、初めて」
ふふ、とユーフェはまだ笑っている。
彼女の笑顔に虚をつかれていたヴィクトルも、肩を竦めて苦笑した。
「それは酷いな。俺は本気で言ったのに」
そう言った彼を、不思議とユーフェは怖いと思わなくなっていた。
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