#26




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 2018年8月11日。

 東京の豊海埠頭に停泊してい貨物船で起こった出来事で、その後のアジア極東地域の世界観は大きく変わってしまった。


 ロシア船籍の、冷凍カラフトマスを運搬してきた古びた貨物船の中で、突然核爆発が起こったのだ。


 その後の調査で、約70Ktクラスの小型熱核爆弾が使用されたことが明らかになった。

 東京は、山手線圏内からディズニーランドに至るまでの範囲が一万度に近い熱線でなぎ倒され、見る影もなくなった。

 その後の放射性降下物で東京23区と隣接するいくつかの市区町村は見事に壊滅した。完膚なきまでに。


 国家機能は完全に麻痺し、大阪府が臨時政府となり一時の混乱を収めた。

 その核爆発に関してはテロの疑いが濃厚だったが、どこからも犯行声明は出ず、最後まで犯人は明らかにならなかった。

 世界の大勢は当時の北朝鮮を疑ったが、証拠も何も全てが燃え尽きたなかで、それを証明することは誰にもできなかった。カラフトマスの貨物船の乗員名簿からは怪しい人物が発見されず、おそらくその貨物船とは別口で持ち込まれた小型核兵器を、秘密裏に、その哀れな貨物船の船倉に隠されたのだろうと推察がなされた。


 大阪臨時政府は米国に報復の協力を求めたが、その犯人の証拠が上がらないことには米軍も動くことはせず、結局うやむやなまま、犯人探しは失速した。いかにも日本らしい行いだと西洋諸国は失笑したが、「もののあはれ」をかいさない彼らに、そのメンタリティが理解されるはずもなかった。


『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』と、大阪臨時政府の首相を務めた当時の大阪府知事はコメントのなかで引用し、それが当時の日本の気分を端的に表していた。


 首都を失った日本は途端に政治的・経済的混乱に陥ったが、大阪臨時政府の舵取りが奇跡的に奏功し、致命的なデフォルトに至ることはなかった。


 そして極東アジアでは、その不意の核テロリズムが言葉にならない恐怖となって国々を襲った。

 その結果、3年後の2021年に韓国は北朝鮮との和平を結び、朝鮮半島は平和的統一を果たした。半島政府は北朝鮮のような独裁体制は敷かず、中国政府のような社会主義共和国体制へと変化して行った。

 当然米国はそれを阻止しようと努力したが、頼みの綱の日本が弱体化し、また朝鮮新政府に中国が強く接近したことにより、容易に手出しができなくなり、この地域への米国のプレゼンスは著しく下がった。


 現在、極東アジアでは日本が唯一の民主・資本主義国となっている。そして、より民主化へと舵を切った中国が、東京壊滅から10年後、極東アジア地域のリーダー的立場になった。

 日本でも、自動車産業は変わらず強かったが、IT産業は完全に中国の支配下におかれ、GAFAと呼ばれたGoogle、Amazon.com、Facebook、Apple Inc. の4つの主要米国IT企業は、中国のものに置き換わっていた。


 大阪臨時政府はやがて、瀬戸内のある港町に新たな新政府を打ち立てることを宣言し、そこを新浜市と名付けた。新浜新政府は、そこに元からあった旧市街とは別に、新市街を打ち立て、そこに新たな政治都市を作り上げた。


 エリも柏木も、その街にいた。





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「俺はそもそも東京生まれでね」柏木は言った。「あの時はアメリカに留学していて、テロを逃れたんだ。両親と、お腹に赤ん坊のいた姉が、あの街に住んでいたよ」

「私の両親はここの人なの。でもあの時はたまたま、父の東京出張に母がついて行って。歌舞伎を見るって喜んでたわ」

 柏木は、グラスを掲げた。

「献杯だな」

 ふたりは黙ってグラスを持ち上げると目を閉じて、遠い日のことを思った。


「覚えいるか? 『気楽な一年』のこと」

「ええ、私は高校生だったわ。妹とよくをしてた」

「2017年。俺はもう、ボストンにいたよ。でもネットが伝えてくる日本のニュースはセレブリティの不倫と政治家のお粗末な烏合の集ばかり。CNNでは半島からのミサイルの話ばかりが報道されるから、その日本からのニュースの現実離れした様子に呆れていたよ」


 2018年の事件の前年、当時の北朝鮮からは頻繁にミサイルの試射がなされていた。しかし当時の日本はそれに対して本格的な対策を打つでもなく、「遺憾の意」を表明し続けた。その現実に抗(あらが)うように、メディアは幼稚なスキャンダルばかりを垂れ流し、後の人々に『気楽な一年』と呼ばれるようになった。日本の安穏とした幼年期の最後の一年だった。


「あの頃からずいぶん遠いところに来てしまった気がするわ」

「俺もそうさ。あの頃とってた国際政治学のアドバンス講座からずいぶん遠い仕事を重ねて、やっと振り出しに戻った気がするぜ」

「ずいぶん遠い仕事って?」

「鉛玉がビュンビュン飛びかうような、リアルでハードな職場だったよ」

 そう言って苦笑する柏木の言葉を、単なる比喩だとその時のエリは思っていた。




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