第10話 『変わる』ということ
「はーい、終わりましたよ〜」
神楽さんの声が、検査が一通り終了したことを告げていた。
静かな動作音を鳴らして、機械の上に仰向けになっていた身体を覆っていたカバーが外れていく。
完全に外れて自由に動けるようになったのを確認してから、神楽さんの手を借りて機械から降りた。
「お疲れ様。検査に異常は見つからなかったわ」
「……そうですか。ありがとうございました」
少々精神的にナーバスではあるが、神楽さんは何も悪くないので、なんとか気を保ってお礼をした。
というのも、全てあいつが悪いのだ。
「神楽さん、私にも結果を見せてもらっても?」
「ええ、もちろんですよ」
何食わぬ顔でディスプレイに映し出された俺の検査結果を順に眺めるカレンこそが、諸悪の根源であり、検査をするだけなのにここまで疲れることになった原因だ。
検査をするにあたって、専用の衣服へと着替えなければならなかったのだが、その辺の説明を全てすっ飛ばして「服を脱げ」と言われたせいで一悶着あったのだ。
無理矢理服を脱がしにかかってくるカレンに、俺は身体能力のアドバンテージがあるはずなのに手古摺った。
……最終的に下着まで剥かれたところで神楽さんが説明してくれて事なきを得たが、あのままだと下着も脱がされて悲惨なことになっていたはずだ。
その時のカレンといったら、これ以上ないくらいに嬉々とした表情で、ヨダレでも垂らしていそうなヤバい雰囲気だった。
……とまあ、回想はこれくらいにしておかないと精神的にキツイので終わりにしよう。
斯くして俺の貞操は守られたのであった。
「それにしても梓ちゃん、ちゃんと食べなきゃ育たないわよ?」
「あ?」
「中学生でも通りそうな身長と、華奢な手脚。そんな身体にはお似合いだけど、慎ましい胸の膨らみ……っ!」
間髪入れずに反応した俺を気にすることもなく、カレンは暴走気味に俺の身体情報を声高にして叫ぶ。
言っていることはデータとして出ているものだし、実際その通りなのだから反論しても無駄なのだろうが、だからなのか無性にイライラする。
その癖にカレンの視線が愛玩動物でも眺めるかのようなものなので、馬鹿にしているのかそうでないのかが理解出来ない。
「大丈夫よ、梓くん。まだ育つはずだからね」
「……別に慰めて欲しくはないんですが」
神楽さんは頭を優しく撫でて慰めの言葉をかけてくるが、やはりこちらも子供をあやすようなものだ。
身長はもう少し欲しいものの、多分神楽さんが“育つ”と言っていた対象がそっちじゃないことくらい視線でわかるのだ。
「梓ちゃんはそのままの方が可愛くていいわ。今度抱き枕にさせてもらえないかしら?」
「可愛い言うな!」
「そういうところが可愛いのよ」
口元を抑えてあくまで上品に笑っているものの、言ってることは滅茶苦茶だ。
やっぱり構うだけ無駄だということが再び証明されてしまった。
それにしても抱き枕って、タイムリー過ぎやしないだろうか。
今朝の凛華にやられたアレは無自覚なのだろうけれど、だからこそ厳しいものがあった。
伊織に抱きつかれる時はやんわりとしたものだからまだいいものの、あそこまでガッチリとホールドされるとこの身体では対抗出来そうにない。
「まあ落ち着きなさい。それよりも、ちょっとお話しましょうか」
カレンの楽しげな様子が一転し、真面目モードへと移行していた。
釣られて俺も意識が自然と切り替わり、視線をカレンと隣にいる神楽さんへと向けた。
「先に神楽さんの方からお願いできますか?」
「わかりました。……えっと、簡単に言うと梓くんの身体のことですね。カレンさんから話はあったでしょうけれど、生物学的には完全に女性になってしまっています」
「……そうですか」
わかりきっていたことだ。
カレンだって戻れないと言っていたし、ダンジョンで起こったことなのだから仕方ない。
「前に検査を行った時よりも、身体的にも精神的にも安定しているみたいだから安心したわ」
「……それは、どういうことですか?」
「今では何も無いところで歩いても転んだりしないし、今の生活も受け入れられているでしょう?」
コクリと首を振って肯定すると、神楽さんは話を続けた。
「身体的な成育は梓くんの本来の年齢よりも若いものになっているわ。身長、体重、その他諸々……言えばキリがないけれど、その中でも特に言っておかなければならないことがあるわ」
……ん?
他になにかあるものか?
怪訝な表情を見せていると、神楽さんがその内容を口にした。
「梓くん、言いにくいとは思うけれど……もう生理って来たかな?」
「………………はい?」
「だから、生理よ生理。月のもの、女の子の日……って、流石にわかるよね」
神楽さんは、それの別称を次々と並べて、俺からの答えを引き出そうとしてくるが、頭の中は混乱したままだ。
それはつまり、女性特有の生理現象であり、男であった頃の俺には全く縁がなかったもので……。
「梓くん大丈夫? 顔が青いけれど……」
「……ん、あ、えっと……、ちょっとビックリしただけだと思います……」
聞こえたのは、いつになく弱々しい声だった。
「ビックリしただけ」とは言ったものの、直ぐには受け止められる気がしない。
今も若干の気持ち悪さが胸の中で渦巻いているようで、お世辞にも体調がいいとは言えなくなった。
自分が別なナニカへと変えられているのが現実として現れていて、避けられないものだと理解してしまったからだろうか。
これまでは自分はどうやっても変わらないと思っていたのに、今の俺はそう言えるだろうか。
――どうしようもなく、怖い。
それが今の、偽らざる本音だろう。
「……俺は、なんなんだろう」
「どうしたのよ急に」
いつの間にか俯いていた顔を上げると、カレンの姿が見えた。
出会った頃から変わらない、傍若無人で自信家で、自分が一番だと信じて疑わない、そんなカレンの姿が、眩しく見えてしまう。
そこには確かにカレンという唯一無二の存在がいて、嫌でも自分と比較してしまう。
違う生き物だというのはわかっている。
わかっているつもりだけど、今はそう簡単に割り切れそうになかった。
「いや、そのまんまだよ。こんなことになって、嫌でも変わる時が来たのかと思ったら、色々考えちゃってさ」
肩を竦めながら、おどけた調子で答えたものの、思わず乾いた笑いが湧いて出た。
変わっていく自分がこれまで許容出来なかったから、なるべく考えないようにして逃げてきた。
そのツケが回ってきたのだろう。
この身体で暮らすには、女の子らしい行動をした方が
けれど、それはそんな都合に関係なく襲ってくるもので――
「梓」
そんな声が聞こえた時には肩に手を置かれていて、思考がそこでフリーズした。
目の前には金色を揺らすカレンがいて、金色の瞳と視線が交錯する。
「人の本質はそんなに簡単には変わらない。あなたは確かに変わってしまったかもしれないけれど、例えば伊織ちゃんが大切なのは変わらないでしょう?」
「…………」
どうにも言葉が出なくて、首を縦に振って返事を返す。
俺にとっての伊織は唯一の家族で、何物にも変えられない大切な存在だ。
今も昔も、それは変わっていない。
「伊織ちゃんだって、あなたが色々と変わってしまっても見捨てたりなんてしない。それだけの時間を積み重ねて……今があるのよ」
それは確か、昨日も似たようなことを聞いた気がする。
手を握って「絶対にここにいる」って、伊織は言ってくれた。
「もっと頼ってくれ」と、凛華も言っていた。
「変わってしまうのは怖いかもしれない。でも、そうだとしてもあなたに『芯』の部分があるのなら、それは四宮梓という一人の人間のままだと、私は思うわよ」
「……『芯』の部分、か」
いつもは少々うざったいと思うカレンの言葉だが、今は受け入れられる。
真剣に考えてくれているのを、その目が物語っていたから。
自分が自分たり得る理由なんて人それぞれで、一つとして同じものなんてないだろう。
だからこそ迷いもするし、苦しむのだ。
俺の場合はそれが人よりも特殊だっただけだ。
そう考えたら胸につっかえていた違和感のようなものが薄れていって、気持ち的には少し楽になった。
「……なんか、知らない内に弱気になってたのかもしれないな」
「じゃあ、これからは強気……とはいかないまでも、まずは前向きに行きましょう? という訳で、私と結婚でも――」
「それはしない」
どさくさに紛れて人生を決められるところだったが、そうはいかない。
割と凹んだ様子のカレンだが、きっと俺を元気づけるためにやってくれたのだろう。
……半分くらいはそう思っていたいだけだが。
「……まあ、本音はこれくらいにしておいて、その日が来るというのを頭の片隅には置いておいてね。不安なら周りの人に甘えればいいわ。私でもいいし、伊織ちゃんでもいい。一ノ瀬のアレでも最悪いいわ」
一ノ瀬のアレって……二人の仲が険悪なのは伊織から聞いていて知ってるけれど、もう少しなんとかならないものか。
でもまあ、支えてくれる人がいるのならきっと大丈夫だと思えてきた。
……聞くのが恥ずかしい類の内容であるのには目を瞑るとして、だけど。
「……急には出来ないかもしれないけれど、頑張ってみるよ」
「その意気よ、梓ちゃん」
ポンポンと頭を軽く叩いたのは、激励のつもりなのだろう。
いつもは拒絶するものだけれど、今はなんだか気が紛れるようで、暫くそうしていて欲しかった。
気持ちを落ち着ける時間が欲しかったのだろう。
自分にもそういう日が来るのなら、現状では受け入れるしかないのだ。
まだ見ぬ未来へと一抹の不安を抱きつつも、自分を見失わないようにと気を引き締めるのだった。
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