第11話 破滅の使者

〈転移〉で飛んだ先は森の手前だった。万が一遭難した時のために座標を覚えておいたのが功を奏した。

二人で話し合った結果ーー思っていたよりも近くまで迫っていた追手をまくために進路を一旦東へ。ベイドケイドという交易の街を経由し、森を迂回するように作られた街道から港町レチクルに向かうことにした。

 天星宮からほとんど出たことがないと豪語するベルだが、地図を所持していたり主だった街道を知っていたりと意外に旅慣れていた。

よくよく聞けば、ライラ導師のお付きとして年に何度かアルディール王国の各地を回っているという。道すがら地図の使い方や現在位置の把握方法を説明してもらえば、ミアもすぐさま地図を読めるようになった。ホロスコープを扱い天の星を見ているので、もともと方向感覚は悪くない。

 そして二人は迷うこともなくベイドケイドに到着した。王都にも勝るとも劣らない大きな街にミアは圧倒される。ベルは落ち着いたもので、早々に宿を決めて部屋を取った。王都観光のために地方からやってきた商人の娘姉妹、という名目で。本当は、真逆の方向へ向かっているのだが、宿の人間にそれがわかるはずもない。不審には思われなかった。

「それにしても、どうしてあの男が……」

 寝込みを襲われるといった事件もなく迎えた朝。宿屋の食堂で朝食を摂っている際に、ベルが不意に呟いた。レチクルへの道順の確認も終えて、一息ついたその時だった。

『あの男』がアトラスを指しているのはすぐさまわかった。ミアは食事の手を止めた。

「知っているの?」

 ベルは面食らった。知らないことに驚いている。言外に無知を指摘され、ミアは身を縮めた。

「ごめんなさい。ただのマレではないことはわかるのだけど」

 ベルは慌てて首を横に振った。

「私の方こそ、すみません。姫様がご存知ないのも当然です。あいつは『破滅の使者』アトラス。灰の山とその周辺一帯を縄張りにするマレです」

 二つ名を持つのはマレの中でも少数だ。ミアの見立て通り、かなりの実力者だったのだ。自分はともかく、導師のくせに何故知らなかったケイル。あの引きこもりの技術屋め。

「随分とその、不吉というか……大袈裟な二つ名ね」

「二つ名の由来を話せば長くなりますが、アトラスは予言宮を持つ数少ないマレなのです。古代王国時代の魔物と契約して得た能力だという説もあります。精度も高く、こと〈予言〉に関してならばトレミー=ドミニオンをも凌ぐとさえ言われています。あまり大きな声では言えないのですが、他国では密かにアトラスに〈予言〉をさせようとする者もいたとか」

「マレに?」

 ミアは目を丸くした。狼に羊の放牧地を探させるようなものだ。騙して全滅させる罠を仕掛けているかもしれないのに。

「占星術でアルディール王国に敵う国はありません。しかし、我が国の星読師に〈予言〉を依頼しても受けてもらえない場合があります。それに〈予言〉の内容はアルディール王国の知るところとなるでしょう。その点、マレならば代価を支払えば国同士のしがらみがない分機密性は高いでしょう」ミアを気遣ってか、ベルは「もちろん、だからといって賢い選択とは思えませんが」と付け足した。

「それで、アトラスの二つ名は一体どこから?」

「きっかけは一つの〈予言〉です。話を戻しますが、アトラスは依頼されたからといってほいほいと予言をするような親切なマレではありません。彼にもマレとしての矜持がありますからね。金や地位目当てにベネに取り入るような安い男ではないそうです。それゆえ、一時は実際にはアトラスというマレなど存在しないのではないかとさえ言う者もいました」

 第一印象は、何考えているのかわからない人。気まぐれな印象も受けた。大金を積まれても依頼する人が気に食わなければすげなく断りそうではあった。

「そんなアトラスが、前触れもなく大国の戴冠式に姿を現したのです。茫然とする新国王や臣下、来賓の前で滅亡の〈予言〉を披露し、姿を消しました。おかげで盛大に催されるはずだった戴冠式は台無しになったそうです」

 騒然とする会場を悪びれもなく後にするアトラスの姿は容易に想像できた。

「その大国は三年後に滅びました」

 ベルは無機質に言い放った。

「〈予言〉通り、内乱が起きて王族は全て殺され、西と東に二分」

 ミアは背筋に寒気がはしるのを感じた。まるで死神ではないか。

「その後もアトラスは神出鬼没に現れては〈予言〉をしたそうですが、相手がベネだろうとマレだろうと、どれも全て『破滅』を示すものーーそれゆえに『破滅の使者』と呼ばれるようになり、彼が傍に身を寄せる者は遠からず滅ぶと言われるようになったのです」

 それはまたなんと不吉な。ミアは自身を抱きしめて、ふと気付いた。アトラスが傍に近づく者は遠からず滅ぶ。ハストラングを倒してからは、アトラスはイオの前に姿を現し、そして今度は自分だ。それはつまりーー

「姫様? どうかなさいましたか?」

 ミアは首を横に振った。偶然だ。忘れよう。

「アトラス自身は三大公ではないの?」

「違います。大公は人間の手に負えるものではありませんよ」

 生まれた時からマレフィックの影響を受け続けているマレは身体的な基礎能力においても占星術においても、人間とは一線を隔している。裏を返せば、強くなければ生き残れない環境なのだ。

 そのマレの頂点に立つ三大公となれば、桁違いの実力を持つのも当然のことだ。故に千年前からの両者の争いは、常にマレが奪う側で人間側は防戦に徹していた。人間はマレに

攻め入る程の力がなかった。

「ですから、当世の星騎士は偉大なのです」

 ベルは熱っぽく語った。

「ネメシスから生還し姫様を救い出しただけではなく、大公を討ち取ってしまうなんて! どれも、今まで誰一人としてなし得なかった功績です」

 盛り上がるベルとは反比例して、ミアの気は重くなった。やはり自分には無理なのではないかと生来の弱気が顔を出す。

 イオを助けたい気持ちに嘘はない。そうでなければ周囲を振り回してまで、ネメシスになんぞ行かないだろう。自らマレに極星を渡しに行くようなものだ。極星の姫にとっては死に等しい。

 最初から覚悟は決めていた。しかし願いや決死の覚悟だけでは成し遂げられないことだってある。先程の戦いでマレに遅れを取った事実が、ミアを打ちのめしていた。

「姫様?」

 ミアはかぶりを振った。

「なんでもないわ」

 悪い考えは振り切れない。ミアは甘えだとわかっていても、ここにイオがいればと思わずにはいられなかった。

 偉大な星騎士でなくていい。大公を打ち倒す力がなくても構わない。ただ、会いたかった。

早めに食事を終えたベルはおもむろに立ち上がった。

「レチクル行きの乗合馬車がないか、探して参ります」

「あ、ごめんなさい。私も行くわ」

慌ててスープを飲もうとするミアをベルは制する。

「すぐ戻って参りますから、ご心配には及びません。何かございましたらこちらを」

ベルが取り出したのは丸薬のような黒い玉だった。

「閃光弾です。お使いになる時は必ず目を瞑ってください」

大きな音もするので居場所もわかるという。いざという時の備えまで渡された手前、一人で待つのは不安だとワガママを言うのははばかられた。

乗合馬車を確認するだけならすぐに済むだろう。極力前向きに考えてミアはベルを見送った。弱気を振り払うように食事に意識を持っていく。

向かいに人の気配がしたのはその時だった。今、席を立ったばかりなのに。忘れ物でもしたのだろうか。ミアは顔を上げてーー硬直した。手からスプーンが滑り落ちる。

断りもなく向かいの席についたアトラスはそんなミアの動揺を楽しげに観察した。

「な、な、なんでっ」

「お互い目立つ言動は控えるべきだと思うが?」

ミアは悲鳴を手のひらで押しとどめた。大勢の人でにぎわう食堂とはいえ、天星宮関係者がどこをまわっているのか知れたものではない。

「賢明な判断だ」

アトラスはまだ口もつけていない茶を傍へ押しやった。占星術の使い手であるにしても丸腰。ホロスコープも起動させていない。仮にも敵対する王国内で人前だというのにずいぶんと余裕があった。

「港町レチクルに向かうのなら森を突っ切るか、街道を通るかのどちらかだ。森で追っ手と交戦した以上、道を変えるのは当然。それに旅慣れていないのなら街道を通った方が早いし確実だ。問題は関所をどう突破するかだが……それも通行証を入手すれば済むことだ」

テーブルを地図に見たてて指差しつつ、辿り着くまでの経緯を簡単に説明した。あっさりと追いついた手腕といい、ミアよりもベネの地理や事情に詳しいかもしれない。

「通行証はそう簡単に手に入るものなの?」

「教育係から教わらなかったのか? 役人とて金を握らせれば、多少のことには目をつぶる」

「……知らなかったわ」

そんなこと、エヴァも教師達も教えてくれなかった。世間の奥深さに感心するミアに、アトラスの口元が弧を描く。

「マレの俺に追い付かれるようではこの先、天星宮の追手から逃れるのは無理だと思うがな。仮に追手をまいて港町まで辿り着いたところで、ネメシス行きの船便なんてありはしない。その点、俺は赤海を越えてネメシスへ入ることができる。ハストラングの城までの道案内もしてやる。何よりも、俺ならどいつがハストラング派かそうでないかの見分けがつく」

「それが、重要なことなの?」

 どの大公の配下だろうとマレである以上目的は同じ。つまり、ミアの敵だ。アトラスは半目になった。

「本当に、何も知らないんだな」

 ベネ側は全く感知していない情報。もしそれが本当ならば、今後有益な情報となりうるーー信憑性があれば、の話だが。

「どうする?」

 手を組むか否か。

 判断を委ねられ、ミアは返答に窮した。あまりにもマレには謎が多い。情報はほしかった。赤海を渡れるだけでも進展する。しかし、渡った先でマレの軍勢が待ち構えている可能性も否めなかった。

「あなたが私に力を貸す理由がないわ」

「用心深いのは結構だが、見返りに関して俺ほど明確な奴はいないと主張しておこう。善意で動いていない分、あの女よりは信用に足るはず」

「ベルを侮辱するのはやめて」

「俺は可能性を言ったまでだ。姫個人への忠誠心だけで乗り込めるほどマレは甘くない」

 ミアは言葉に詰まった。あらゆる〈予言〉を告げる者だけあってアトラスの指摘は鋭い。

 極星を守るためとはいえ、アルディール王国を第一とするならば、ミアを結界から外へ出すべきではないのだ。星騎士はもちろん重要だが、あくまでも極星を守るための存在。星騎士を救うために極星がマレの地に行くなど本末転倒もいいとこだ。つまるところ、ベルはミア個人の希望に付き合っていることになる。国のためでも自分のためでもなく、血のつながりもない、ただの小娘のワガママに。

「有料だから信じられて、無料だから信じられないというのもおかしな話ね。どちらも本当だという保証はないのでしょう?」

 力を貸す理由がなくとも、ベルにはミアをマレに引き渡す理由もない。そういう意味ではアトラスと同じだった。

「だったら、私は私が信じたいものを信じることにするわ。あなたは怪しいけど、ベルは信じられる」

「わからねえ奴だな。結界内にいるはずの人間が二回も攫われているんだぜ? 内通者がいると考えるのが自然だ」

「それ以上言ったら、あなたを敵と見なすわ」

 ミアは胸に手を当てた。ホロスコープ展開の予備動作だ。

「意外だ」

 アトラスは至極真面目な顔で口元に手を当てた。

「強気な態度も取れるんだな」

「本気よ」

「わかった」

 アトラスは煩わしげに両の手を上げた。起動しかけたミアのホロスコープは形を成さないまま消える。

「じゃあ訊くが、どうしたらお前は大人しくマレに行く? 俺を信じられないのならそれでいい。だがお前にはハストラングを倒してもらわなきゃならねえ」

 また『予言』だ。いささかミアはうんざりしてきた。内心を見透かしたようにアトラスは薄く笑んだ。

「不服そうだな。どうして自分ばかりが、ってところか」

「私はイオを返してほしいだけ。ハストラングと戦うつもりはないわ」

「その星騎士のことだが……本当に大公が攫ったと思うのか?」

「それはどういうーー」

 ミアの前にアトラスは人差し指を立てた。

「見張られている」

示す意味はすぐさま察せられた。心当たりは山ほどある。ミアが周囲を見渡すもこちらに注目しているような気配はなかった。

「無駄だ。連中だって素人に気配を感じさせるようなヘマはしないだろうさ」

「マレ? それとも天星宮?」

「さあ」

 アトラスは適当な返事をして、立ち上がった。

「どっちしても厄介なことには変わりない。睡眠薬入りの茶を飲む暇があったら、この場を離れることを勧める」

「睡眠薬?」

 ミアは脇に寄せられたコップに手を伸ばした。食後にと出された茶だった。女将にも別段怪しい素振りはなかった。

「本当に……?」

「疑うなら飲め」

 飲めるはずがなかった。ミアは茶を置くと、席を立った。支払いは先ほどベルが済ませている。呼び止められることもなく食堂を後にする。

「ベルと合流しないと」

「そう焦るな。マレも星読師も街中で白昼堂々とは襲ってきやしない」

何故かついてきたアトラスは非常に落ち着いていた。落ち着き過ぎている。人目を避けて入った路地で「さっきの話なんだが」と先を急ぐミアに声を掛ける。

「こうは考えられないか? 星騎士イオは今度こそハストラングを倒すべく再びマレの地に単身乗り込んだ。大騒ぎになるのを防ぐためケイルに協力を仰ぎ、偽物を身代わりに用意した。そう考えればつじつまは合う」

 有り得ない話でもなさそうだが、ミアには確信があった。足を止めて振り返る。

「違うわ。そんなはずない」

 アトラスの腕が行く手を阻むかのように伸ばされる。ミアは息を詰まらせた。相手の意図がわからなかった。

「……何故わかる?」

 ミアは身体を強ばらせた。

「な、なに、が」

「迷わずネメシスに向かう理由が見当たらねえ。星騎士が自分の意思で離れたとは考えない。まるで、最初からそんな選択肢はないかのように」

 失敗した。病気のお婆さんのふりをしていようと、買い物から帰ってきたヤギのお母さんのふりをしていようと、狼は狼だ。何を言われても立ち止まるべきではなかった。今さら後悔しても遅い。あの時と同じように、ミアは自分が捕らえられたのを悟った。

「改めて挨拶といこうか、星騎士イオ殿」

 鼓動が煩い。胸を押さえたミアの前で、アトラスは凄絶な笑みを浮かべた。

「今度は逃がさねえよ」

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