第6話 Gを追跡

「ちょっと油断したかな……」


 慣れた森だからといって、考え事をしていた結果周囲への索敵を怠ってしまった。

 先程見つけた痕跡と、先程の鳴き声、これらの情報から鳴き声の正体は予想できる。ここからは油断は許されない。獣と違って、確実にこちらの命を取りにくるからだ。


「さて、何方が先に発見できるかな?」


 狩人にとって、獲物を先に発見するのは必須スキルだ。それは戦いであっても変わりはしない。先程の様に考え事をしなければ僕の索敵能力は村でも上位に入る。特に、森の中での索敵ならトップ集団に入れる自信はある。

 姿勢を低くして、遠くから見られないように木の影に隠れながら、鳴き声の方へ足を進める。この時、けして物音は立てない。幸い、夏場の森の中は落ち葉の数も少なく、小枝にさえ注意をはらっていれば音を立てずに済む。

 移動中も、相手の痕跡を逃さないように神経を尖らせながら進む。幸い、相手方には移動に痕跡を残さないような知能はないようで、至る所に不自然な傷や、引っ張られて無残に折れ曲がった枝がある。

 暫く森の中を進むと、枝葉を広く伸ばした木の根元に、三つの影が動くのを発見した。

 その影は、木の実をとろうと躍起になっているようで、周囲に意識を向けることなく仲間内で騒いでいる。

 この影の正体は、僕の予想通りゴブリンと呼ばれる小鬼だった。身長は僕の年齢の平均的な身長で、成人男性からしたら少し小さい。しかし、その額にはくすんだ石のような角が生えていて、最も人とかけ離れているのはその浅黒い緑の皮膚だろう。

 そして、その格好は局部だけ隠す様な獣の皮でできた腰ミノと、適当に細枝を取り払っただけの木の棒——多分、こん棒を装備しているだけだった。

 奴らは魔物の中でも最底辺に存在する物で、基本的にコロニーと呼ばれる拠点を築いて集団で生活している。中にはハグレと呼ばれる単独や、少数の集団も居るが、基本的に一匹見つければ三十匹は居ると思えと言うような格言も有る程、何処にでも湧いて数を増やす。


——こちらに気付きもしないな。


 魔物は知能が高いと言われているが、その幅は広くて人よりも高い知能を持つ存在も居るが、ゴブリンのように欲望に直結するような知能しかないような魔物もいる。

 しかし、このゴブリンは人間にとって十分脅威となる。

 何故なら、ゴブリンは他種族の雌を媒体に繁殖するからだ。特に人間の母体を好むようで、毎年少なくない女性がゴブリンによって攫われていると言う話を聞く。

 この、他種族の雌を媒体に繁殖する生物は他にもオークと呼ばれる豚鬼や、オーガと呼ばれる巨鬼もいるが、これらは一度繁殖に使われると、その雌は生命力を全て奪われて死んでしまう。しかし、ゴブリンを生むのに大きな生命力を必要としないようで、何度も酷い目に合うらしい。

 その方法がどういった物か聞いた時は、姉さんはまだ知らなくていいと言って教えてくれなかったが、女性の尊厳を損なう酷い行いだと教えてくれた。

 だから、ゴブリンに捕まった人間の女性も、迅速な救出で命が助かる事もあるらしいが、その後のメンタルケアが非常に重要で、日常生活に復帰するには長い時間を必要とするようだ。

 だから、ゴブリンを発見した場合、即抹殺が一般的な対処方法だ。一個体はそれ程強く無いので、僕でも目の前の三匹を仕留めるのに問題は無いが、ゴブリンの最も厄介な所はコロニーを作る処だ。

 だから、仮に目の前の三匹を仕留めるよりも、奴らが帰属するコロニーの場所を突き止める方が重要になる。

 だから僕はここでゴブリンを仕留めるのではなく、その後を付けてコロニーの位置を特定する事にした。

 幸いと言うべきか、ゴブリン共は目的の木の実が取れたようで、その木の実を持って歩き出した。

 僕は素早く革を取り出すと、木炭で先程の場所から割り出した現在地を書き記し、その後を追った。


——尾行は楽だけど……臭い。


 ゴブリン共の尾行は順調だった。奴らは周囲に意識を向ける様な事は無く、寧ろ自分達だけで騒いでいる。これがもし狩人の修行をする者であったら、師匠からきついお仕置きを頂く事になっただろう。

 しかし、奴らは身体を清めると言う事を知らないのか、兎に角その体臭が酷い。僕の記憶にある人の知識では、風呂に入らない文化圏で生活する人の十割増しな悪臭だそうだ。この悪臭、他の者に移るのでゴブリンの追跡が終わったら水浴びを推奨する程の悪臭だ。

 あまりの臭さに、えずきそうになるのを我慢しながら、口元に布を充ててなんとか耐える。これが意図的に悪臭を振りまいているのであれば、中々の策士だと言わざるを得ない。

 悪臭は集中力を阻害する。

 だから、隠密を必要とする尾行では、物音を立てないように集中力を必要とするのだ。それを阻害してくるこの悪臭には、ほとほと参ってしまう。


——ああ、お風呂に入りたい。


 集中を必要とする場面なのに、思考が別の事に向かってしまう。

 人間、自分の生活環境を少しでも良くしようと常に思考を巡らせる生き物だ。だからこそ、この悪辣な環境に置かれた時、意図しなくてもその改善に思考が誘導されてしまう。決して僕の集中力が無い訳では無い。


——あ、でもこれだけ臭いと、流石に姉さんも一緒に寝るのは諦めるかも。今夜は快適に寝れるかな?


 こんなほか事を考えるくらいにはこの臭いに慣れてきた。けして慣れたい臭いではないが、延々と辛いのが続くよりは多少なりマシかもしれない。

 もし、目の前のゴブリンが自分のコロニーに向かっているのであれば、この辺り一帯のゴブリン密度が上がっている筈だ。そうなると、前方のゴブリン以外に僕が発見される危険性が上がるから、先程よりも気を引き締めなければならない。

 正直、あまりの臭さに目の前のゴブリンの首を刎ねて帰りたい気持ちは有るのだが、ここまで我慢したのだから、コロニーの発見までやり切ってやろうと気持ちを滾らせる。


「ぐぎゃ、ぐぎゃ、ぐぎゃぎゃ?」


 こうして心が折れないように気持ちを新たにしていると、案の定別の方向からゴブリンの鳴き声が聞こえてきた。


「ぐぎゃぎゃ? ぎゃっ!」


 すると、先程の三匹は自分の成果を見せつける様に新たに現れたゴブリンに、先程採取していた木の実を見せつける様に頭の上に掲げた。


「ぎゃっひっひ、ぎゃぎゃっ!」


 そこから低能なゴブリン共は新たに加わったゴブリンが三匹の成果をかすめ取って逃げていく。

 ほんの一瞬、三匹のゴブリンは突然の事態に唖然としたが、三匹が三匹とも顔を真っ赤にして怒りを露にして、木の実を奪って行ったゴブリンを追いかけて行った。

 僕は、それで見失ってしまわないように、周囲への注意を怠らないようにしながら素早くその後を追った。


——ここがコロニーかぁ……意外と村の近くじゃないか。


 あれからゴブリンの尾行は順調に進み、ゴブリンに尾行されているなど気付かせる事無くコロニーを発見した。

 そこは、普段僕が狩りをしている場所ではないが、意外と村に近い場所だった。それこそ、仕留めた獲物の運搬を考えなくていいのなら、十分狩猟場の範囲に入りえる程の距離だ。

 一応、定期的に狩り場の外を探索して村への危険が無いか調べてはいた。それこそ、この周辺はこの春先に一度足を運んだ時は特に問題は無かった。だから、この数か月でこのコロニーのゴブリンは流れてきて数を増やしたのかもしれない。

 これだからゴブリンは本当に厄介だ。

 一匹の個体からも、運がよければ大規模なコロニーを形成するに至る。幸い、今目の前にあるコロニーは村に駐在する戦力を集めれば十分討伐可能な数だが、酷い時は大都市の人口まで爆発的に増えて食べ物を求めて人里を襲うから無視できない。

 僕はコロニーの場所を地図に書き記した後、静かにその場を離れた。



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