第二章 深見山の死2

 その日の夜、疲れからか眠りが早かった。

  

 ―あの時は、小夜さんのおかげで村は助かったよ

 よもぎは眠りについたが、生きているたえを最後に見た日の言葉がまだ頭の中でぐるぐると回っていた。


 村を包み込んだ火事の日、母が人身御供となった日。

 その時、彼女はまだ赤ん坊であった。それらの話は大きくなってから人から聞くことで知った。しかし、村人たちは断片的な話ばかりで詳細は語りたがらなかった。

 時々たえが興奮して話しだしそうになるが、その度に周囲に制された。


 よもぎは物心つかないうちから村人たちに同情され励ましを受けた。

 (かわいそうにねえ…)

 (何か困ったことがあったら助けてやるからな。)

 (水運んでるのか俺が運んでやるよ)


 別に特別に思い水桶ではなかった。 


 (つらいことがあっても強く生きるんだよ。)


 それでは今の自分は弱く生きているとでも言いたいのか。


 (りん、あの子の母親は人柱にされたから優しくしてやれ。)


 りんの父親がそう言った。りん自身は自分をからかうことがあっても嫌がらせをすることが無かったというのに。

  


 気が付くと泉の前に立っていた。ぬかるんだ泥道、密集する雑草。それらがよもぎの周囲を取り囲む。なぜか彼女の草鞋も着物も汚れてはいなかった。泉の近くまで登ってきたはずなのに足が軽やかに動きそうな感じがした。

 乱雑する木々、影に覆われた地面、通り抜ける冷たい風。変わった様子はない。試しに泉へ一歩踏み出した。


 その途端、体が揺れた。

 体調を悪くしたわけではない。水の浮力に揺れたのであった。彼女は水中に立つようにして浮いていた。

 いつ水中に潜ったのかは分からない。一歩踏み出した瞬間に移動してしまったような気がする。

 理由は分からないが、深見大蛇の泉であることを悟った。

 息は自然と地上と変わらずに出来た。顎を引き上げて上を見た。泉の表面が日の光を浴びて星のように輝いている。

 片足を前に出す。普通に歩けるようだ。このまま進んで、どこまで行けるのか確かめてみたい。よもぎはそう決心した。


 「よもぎ」

 自分を呼ぶ声にどきっとした。

 前を見ると一人の女がよもぎと同じく立つようにして浮いていた。

 赤い着物を着ている。正直、庄屋夫婦の身なりよりも立派に見えた。話に聞く錦という物かもしれない。黒い垂らし髪が腰まで届いている。唇に引いた紅が顔を引き立てている。

 女が口を開いた。

 「よもぎ。大蛇は怒っている。」

 なぜ自分の名前を知っているのかは分からない。

 「あの庄屋はね兵が集まった、戦の準備をしたから大蛇が怒りだしたんだと言うけど…。」

 「それって、たえさんが死んで万兵衛と庄屋さんが言い合った時の?」

 女はにっこりとした。

 「そう。でも一つだけ言わせて大蛇が怒ってるのは…」



 「よもぎ。よもぎ。」

 体を揺すり起こされた。曖昧な覚醒の中、起き上がると松之介が心配そうにのぞき込んでいた。

 その時、赤い着物の女との出来事が夢であることが分かった。

 「父さん。どうしたの?」

 「いや、何でもない。」

 「赤い着物…」

 「何!」

 松之介はドキっとしたように見えた。

 「夢の中で赤い着物の女の人が出てきた。」

 「その夢…お前みたのか…」

 「え…?どういうこと…?」

 松之助は何も答えなかった。


 母については村人たちから聞かされるが松之介はあまり語ろうとしない。一体父は母のことをどう思っているのだろうか。寂しくはないのか。よもぎはそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る