×××××

未来のおとぎ話

 私は自分の体が鳥になっていることに気が付いた。人間の頃より明らかに小さくなっている。

 そして、今は椎月ユカの体に抱かれているということまではなんとか認識できた。


 ええと、次はどうすればいいんだっけ。


 頭が朦朧として、記憶に靄がかかったような感じがする。

 とりあえずユカの腕の中から脱出し、フローリングの床に着地した。


 振り向くと、椅子に座っているユカの隣に私の知らない男の子が立っていて、私を見ていた。

 しかし、すぐに視線をユカへ移し、何かを飲ませようとした。


 そうだ、あれはユカの魂のカプセルだ。


 カプセルが体内に入ったのか、体が一瞬震え、ユカは目を覚ました。


「あれ……? ここは?」


 寝ぼけ眼で周囲を見回す。


「え? ここ、うち? 丘にいたはずじゃ? え、ヒカリは? え? ていうか、人間に戻ってる!?」


 ユカは早くもパニックになっていた。

 無理もない。自分が眠っている間に、状況が何もかも変わってしまったのだから。


「落ち着いて!」


 男の子がユカの肩を掴んだ。


「えっ、カナデ? どうなってるの、これ……」


 どうやら、あの男の子はカナデという名前らしい。

 先ほどまでパニックに陥っていたユカが、男の子の顔を見た途端固まってしまった。呆然としたまま、男の子を凝視している。


 やがて、その瞳から涙が溢れ出した。

 嗚咽を漏らし、ついには男の子に抱きついた。


「カナデっ! 会いたかったよ!」

「わっ!?」


 ユカは男の子にしがみついたまま、わんわん泣き出した。


「カナデぇ! カナデ!」

「ちょっと、そんなに泣くことないだろ? 良い歳して……」


 男の子もさすがに驚いているようだ。


「なんでか分からないけど、涙が止まらないのぉ!」


 でもまあ、久しぶりの再会なんだから、ああなってしまうのも分かる……。

 そうだよね? ユカが泣いている理由はそれだけだよね?


「うわああん」


 ユカはただただ男の子の胸の中で泣きつづけていた。

 そんな光景を見て、私は自分が何か大事なことを忘れているような気がした。でも、それが何なのかは思い出せなかった。


 さて、私はどうすればいいんだっけ?


 鳥になってしまった頭をぐるりと回すと、室内の窓が開いているのが見えた。


 そうだ、あとはここから飛び立てばいいんだ。そういう手筈だった。


 ベランダに向かって、短い脚でヨチヨチと歩く。


「ヒカリ!」


 背後で男の子が叫んだ。

 私は後ろを振り向く。


「また会おう!」


 私はコクリと頷いた。

 理由は分からないけど、私もこの男の子にまた会いたいと思った。


 そして、窓の方へ向き直り、翼を広げて飛び立った――。



 ベランダの柵を越えると、目の前には大きな青空と街の景色が広がっていた。


 私、飛べてる――。


 誰に教わらなくとも、自然に空を飛ぶことができていた。体が空中に浮かんでいる。翼の動かし方が自分自身に染みついているみたい。


 今までは下から見上げていた高い建物も、空から見下ろすとオモチャのようだ。

 ショッピングモールに工場、見知った街並みを飛び越えていくと、この街で過ごした思い出が蘇ってくる。


 こんな姿になってしまったが、小森さんや梶原さんとももう一度会って話がしてみたいと思った。

 小森さんはやっぱり仰天するだろうか。喋るコウモリの話はしたことあるけど。

 梶原さんは案外、「あー、そうなのか」とか言って流すかもしれない。んなわけないか。

 雨の街に行って、おじさんや街の人々にも会ってみたい。

 そう。いつか、いつか――。


 我を忘れひたすら飛び続けていると、市街地を抜け、広大な草原に辿り着いた。そして、青い空と緑色の大地がどこまでも続く風景に心を奪われた。


 なんて広い草原なんだろう、街の外にこんな場所があったなんて。


 そのまま先へ進んでいくと、地平線の先に何かが見えてきた。私は目を見開いた。

 草原の先に、巨大な風車が無数に建ち並んでいる。その力強さは、巨人の軍隊がこちらへ行進してくるかのようだ。


 風車がある場所へ近づくにつれて、風も強くなってきた。しかし、臆することなく前へ進んだ。

 鳥になった私は、風の力を全身で感じることができる。風の流れをその目で観ることができる。まるで、


 やがて、風車の群れに到着した私は、その間を縫うように飛び回った。風のリズムに合わせて、ダンスを踊った。風車の羽根を追いかけ、円を描いた。

 それから高度を上げ、風車を上空から見下ろしてみた。


 す、すごい――。


 その草原は、見渡す限りどこまでも風車が建ち並んでいた。視界の隅から隅まで、あるいは地平線の先まで。


 その圧倒的な光景を見た瞬間、私は初めて自分が本当に自由になったのだと理解することができた。世界にはこんなに凄いものがまだまだあって、私はそれを見にいくことができるのだと。


 風車の上空を飛び続けながら、こう思った。


 私はあらゆる罪と過去を清算し、自分という鳥籠から解き放たれた。

 この翼でどこへでも飛んでいくことができる。知らないことを知ることができる。


 まるで、心が自由になって空よりも大きくなったみたい!


 次は何を見にいこう。

 そういえば、風の色のどこかに巨大な湖があって、そこで塩を採っているのだと聞いたことがある。そこへ行ってみよう。

 そして、そこへ辿り着いたら、今度は風の色の外にある別の国まで旅をしよう。


 そんな風に一つ一つ望みを叶え、知りたいことを全てを知ることができたら……またこの国に戻ってくることができたら、あの男の子にもう一度会いにいこう。

 彼に会うことが、私にとってとても大切なことのように思えるから――。


 私は白い翼を羽ばたかせ、新しい世界に向かって旅立った。

 草原には終わりのない風が吹きつづけていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る