第6章

赦すということ

 結論から言ってしまうと、私は半年間刑務所で服役した。

 第四区警察署で自首したあと、色々と面倒なプロセスを経て、めでたく刑務所へ収監されることになった。


 懲役半年という刑罰が軽いのか重いのかはよく分からなかったけど、初犯で、異物の発見者がそれを食べてしまう前に見つけてくれたから、この程度で済んだのだと言われた。


 カナデが起こした暴行事件については、私は証拠不十分で不問となった。いきなり知らない人が現れて、警察を殴り、どこかへ去ったのだと言い張ったら、その主張が通ってしまった。

 椎月ユカはケストアークの所員だったので、裏で何らかの圧力が働いたのだろう。


 刑務所ではいじめがあったり、危険な受刑者がいたりするという話をよく聞くが、少なくとも私の周囲ではそういうことはなかった。


 受刑者の中では私が最年少かと思いきや、十四歳の女の子もいた。なんでも、自分を虐待していた両親を殺してしまったらしい。

 世の中には、両親を甦らせようとする子供もいれば、逆に殺してしまう子供もいるんだなぁと、他人事のように思った。私には最初から両親がいないので、今となっては、そういう感覚が上手く想像できない。

 けど、その子は刑務所では人当たりの良い普通の子だったので、それが逆に薄気味悪いと思った。


 一度、課長が面会に来てくれたことがあった。

 課長は私の件で対応に追われたのか、若干やつれているような感じがして、私は改めて深く反省した。


 風の色での異物混入事件は、犯人が椎月ユカであったと報道された。課長が集めた情報によると、それ以来、雨の街への商品に異物が入れられることもなくなったらしい。

 私の思惑通り反雨派の気が治まったのか、単純に逮捕者が出たことにビビッて手を引いたのか。そこまでは分からないけれど、騒動が収束したのならそれでいい。いずれにせよ、私は自分の罪を償わなくてはならなかった。


 とまあこんな感じで、さすがに心穏やかにとはいかなかったけど、めちゃくちゃ過酷というほどでもない、それなりに厳しい刑務所生活を過ごした。


 もっとも、私には魂の魔法があったから、ケンカになっても負ける気はしなかったけど、さすがに刑務所で魔法を使うことはなかった。

 これは私の推測だけど、カナデはケストアークに悟られずに魂の魔礫を持ち出し、ユカに渡したのではないだろうか。いくらなんでも、人の魂を吸い取れる奴を他の受刑者と一緒にしておくとは思えない。私が魂の魔法を使えることを知っているのは、私とカナデだけなんだと思う。

 私のそんな只者ならぬ空気を察したのか、私にちょっかいをかけてくる受刑者はいなかった。


 そして、今日無事に刑務所から出所することになった。

 刑務所に入るときに身に着けていた私服や私物を返してもらい、裏口から出た。


「ふう、シャバの空気は美味いぜ……」


 一度言ってみたかったセリフだ。辛い刑務所生活を乗り切ったのだから、ちょっとくらいふざけてもいいだろう。


 私は刑務所の外で、青い空を見上げてみた。


 これで、私は許されたのだろうか。


 漠然とそんな風に思った。自分の罪が清算されたという実感が湧かなかった。


 まあ、こういうのは気持ちの問題なのかもしれない。あるいは、時間が解決してくれるのかもしれない。


 とりあえず、ここで突っ立って考えるのはやめることにした。


 さて、どこに行こうか。


 今の私はどこにでも行くことができる。

 が、最初はカナデの家に行くと決めていた。隠しておいたユカの魂を確認しなきゃいけないし、もしかしたらカナデの方が先に出所しているかもしれない。

 すぐに、バスを乗り継いでカナデのマンションへ向かった。



 カナデの家の玄関扉の前に立ったところで、ようやく私は少し緊張しはじめた。

 息が止まるような思いでドアノブを回すと、鍵は掛かっておらず、扉が開いてしまった。


 カナデがいるの!?


 私の心が高鳴る。


 リビングの扉の向こうからテレビの音が聞こえる。

 私はいてもたってもいられず、その扉を開けた。


 そこにはカナデがいた。

 テレビをつけっぱなしにして、スマホをいじっている。半年前、一緒に暮らしていたときによく見た光景だ。


 私に気付いたカナデがこちらを見て微笑む。


「おかえり」


 カナデはいつもの調子でそう言った。

 この笑顔を見るのも、半年前に雨の街のレストランで別れたとき以来だ。

 私は懐かしさで胸がいっぱいになる。


「……ただいま」


 正直なところ、私はどんな気持ちでカナデと接すればいいのか分からなかった。喜べばいいのか、怒ればいいのか、憐れめばいいのか。

 色んな感情が混ぜこぜになり、その場に立ち尽くしてしまった。


「君は、結原ヒカリのほうだね」

「……えっ」


 今更何を言っているんだろうと思ったけど、すぐに意図が分かった。

 この体は元々、カナデの姉であるユカのものだったのだ。カナデから見れば、半年会わない間に姉の人格に戻っている可能性だってある。


「そうだよ」

「やっぱり。姉さんは素直にただいまなんて言わないからね」

「ふうん……」


 そうだったのか。ユカがカナデと生活している様子が想像できない。


「座りなよ。お茶淹れるから」


 そう促され、私は木製の椅子に座る。お茶を持ってきたカナデは、テーブルを挟んで向かい側に座った。


 初めてカナデの家に来たときもこんな感じだったな。


 ふとそんなことを思い出した。あの頃の私は、半年後自分がどうなっているかなんて全く予想できなかっただろう。


 私たちは言葉を交わさずにお茶を啜った。何から話せばいいのか分からなかった。


「その様子だと、全てを知っているみたいだね」


 カナデが口火を切った。


「うん……」

「ごめん!」


 カナデはいきなり頭を下げた。私は思わず慌てふためく。


「ちょっと、どうしたの?」

「僕は全てを知りながら、ヒカリを騙し続けていた。君を実験動物のように泳がせ、観察していた。君だって自我を持った一人の人間なのに……」


 正直、驚いた。カナデがいきなり謝罪したこともそうだけど、私のような存在を一人の人間だと言ってくれたことにも。


 たしかにカナデが私にしたことを考えれば、一発殴ってから魂を引っこ抜き、それをシュレッダーにかけるくらいのことはしていいのかもしれない。

 でも、もうそんな仕返しをする気にはなれなかった。この姉弟は私のことを騙し続けていたけど、この姉弟がいなければ私という自我が生まれなかったのもまた事実だ。


 楽しいこともあった。素敵な先輩たちに出会えた。雨の街も風の色も私にとって大切な場所だった。仕事だって面白かった。僅か一年足らずの人生だったけど、とても充実していた。それでいいじゃないか。


 今ならそんな風に思える。私が罪を償って許されたのと同じように、私もカナデを許すことができる。カナデだって、充分苦しんできたんだ。


 あっ、そうか……。


 私はさっきまで、自分の罪が許されたという実感がなかった。

 でも、誰かを許すことで初めて、自分も誰かに許されていたと感じることができた。


 今思えば、半年間の刑期はお互いに頭を冷やすのにちょうど良かったのかもしれない。


「いいよ。もう怒ってないから」


 私はカナデに優しく微笑んであげた。


「本当にごめん……。ヒカリは異物混入の件で自首したって聞いたけど」

「うん。今日刑期が終わって、出所してきた」

「奇遇だね。僕も最近、雨の街の刑務所から出れたところなんだ」

「知ってる」


 カナデは私に黙って雨の街の魔礫を調べようとし、捕まった。

 しかし、それについても今更責める気はない。

 私たちはもう、それぞれの罪を償ったから。


「ところで、あのコウモリ……姉さんは今どうしている?」

「うっ」

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