第三章

第32話 ムーディな雰囲気で

 ――夜。

 待ち合わせ場所として永慈に指定されたのは、小洒落こじゃれた外観の喫茶店であった。

 視線を上に向ければ、夜空を貫く高層ビルの灯りが複数目に付く。ここは、ビジネスエリアに隣接した小さな住宅街の一角だ。区画一帯が、周辺のビルに威圧されてどことなく暗く、縮こまっている。

 喫茶店も、そんな周りの空気に迎合げいごうするようにひっそりとたたずんでいる。

 ただ、他と違うのは店のにそこそこ大きながあることだ。


 オンボロ車の扉を閉める。地下なのに、全然反響音がない。異世界に迷い込んだような違和感だった。

 向かいの駐車スペースには真っ黒なスポーツカーが停められていた。女魔術の愛車である。

 地下駐車場から店舗内へと続く階段は、シックな木目調だった。靴音がくっきりと聞こえる。階段を上がるにつれ、ムーディーな大人で妖しい雰囲気の音楽が近づいてくる。

 ただの連絡通路にもかかわらず、このこだわりよう――。

「貧乏人には場違い感が半端ないな」

 苦笑しながら、一階の扉を開けた。直後に「いらっしゃいませ」とすぐ隣から声をかけられ、驚く。店主と思しき老人がわざわざ待ち構えていたのだ。


 店主の案内で奥まったテーブル席に向かう。足下はワインレッドの絨毯、光度が抑えられた照明に、流麗な曲線を描く調度品がしとやかに鎮座する。まるで絵画の中を歩いているような錯覚を抱く。

 永慈は、待ち受けていた紫姫の対面に座るなり真剣な表情で尋ねた。

「俺は水だけでいいか?」

「コーヒーはワンコインでいけますよ。永さん」

 和装ではなく、黒スーツ姿の紫姫は、気を悪くした様子もなく朗らかに答えた。

「マスターのご厚意です。いつもは時価ですが」

「コーヒーが時価の店なんて初めて聞いた」

「ふふ。では、マスター謹製のブレンドコーヒーでよろしいですか?」

 永慈はうなずいた。紫姫が二人分を注文する。

 他に客はいなかった。BGMだけが耳に届く。ちらりとカウンターを見ると、老マスターはネルドリップ式でコーヒーを淹れていた。その手際は丁寧で、そして恐ろしく静かだ。いつの間に豆をいたのだろう、と永慈は思った。


「さて。それではご報告を伺いましょうか。どうでした、今日のECEの活動は?」

「ああ、それは――」

 永慈は話した。

 利羌ほか数名が、ECEメンバーとは独立して活動していること。

 巨大な蛇型モンスターが出現し、それを追っていた利羌たちが弾薬も惜しまず戦闘をしかけたこと。

 討伐できなかった責任として、彼らが永慈たちに五十万を請求してきたこと。

「金の流れそのものはまだはっきりとわからない。けど、もしその実態があるなら利羌が中心になっていると見て間違いないと思う」

 淹れ立てのコーヒーを口にしながら永慈は言った。腹立たしさや不安が吹っ飛ぶほど美味い。おかげで私情を挟まず報告できた。

 紫姫はうつむき加減でじっと耳を傾けていて、黙考にふけっていた。彼女のカップの中身はもう空になっている。


 永慈は飲み終わったカップをソーサーに置いた。

「こういう状況だからさ。俺も稼がなきゃいけない。何か、回してもらえる仕事があれば言って欲しい」

「……」

「紫姫さん?」

「……っの、ふざけんなあの糸目クソガキーッ!」

 ガツンッ、とカップが倒れそうなほど激しくテーブルを叩き付ける。目を白黒させる永慈の前で、彼女はまくしたてた。

「言うに事欠いて五十万!? 自分たちの詰めの甘さを他人に押しつけるんじゃないわよ! 普段から金をひけらかすクセに、いざとなったらケチ臭いなんてもう最低! 最悪!」

「あの。紫姫、さん?」

「前々から本当に気に入らなかったのよ! ちょくちょく私のところに来ては偉そうに上から目線で口説いてきて! 何が『あなたの居場所はここじゃない』よ! あんたまだ十代のコドモでしょうが! 年上を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」

「おーい」

「そもそも――」

 止まらない。


 困り果てている永慈の元に、老マスターが静かにやってきた。手にしたケトルでおかわりをいでくれる。

「彼女はコーヒーで酔うのですよ」

「えぇ……」

「お酒には滅法めっぽうお強いのですが」

「ええぇ……」

「どちらを飲まれてもストレス解消になるそうで。ああ見えて繊細なお方なのです。普段は身内の前以外では飲まれないのですが、お客様は特別なのですね」

 嬉しそうである。まるで孫娘を温かく見守る祖父の顔だ。

 しかも見守るだけで助け船は出してくれない。

 おかげで永慈は、意外な紫姫の一面をこれでもかと見せつけられる羽目になった。

(まあ……色々あるよな大人には。うん)

 気を取り直して、絶品のコーヒーを堪能する。こんな状況でなければ、昴成と三人で飲みに出かけたい。きっと楽しいだろうなと思う。


 左手の甲を見た。そこには風呂の後に改めて書き込んだ『14』の数字がある。

 この先、貴重な時間を割き金を工面しなければならない。気合いを入れろ、全力でかかれと自らに言い聞かせた。


「永さん」

 呼びかけられ、永慈は顔を上げた。ひととおり愚痴を言ってすっきりしたのか、紫姫の口調が元に戻っている。彼女は視線をわずか逸らし、耳まで真っ赤になっていた。

「ごめんなさい。何と言うか、お見苦しいところを」

「そんなことないさ。すげえ驚いただけ」

「うぐ」

 紫姫は呼吸を整えた。

「とにかく、状況は理解しました。やはり私たちが睨んだとおりのようです。今後は重点的に、彼らの様子を探っていきましょう。ところで永さん。ひとつお伺いしたいのですが」

 怜悧れいりさを取り戻した瞳が、永慈を見据える。

「平穏なエリュシオンに現れた大型モンスター……?」

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