二章 マーダーナイトー2

 2


 オリビエの遺体は秘密裏に解剖にかけられた。

 アンソニーの息のかかった医者がおこなった。


 転倒時の打撲だぼくによる脳挫傷のうざしょうという診断書つきで、遺族のもとへ帰された。


 遺族は泣くどころか、大喜びだったという。

 なぜなら、多額の香典という副葬品がついてきたから。


 そうまでして、アンソニーが警察の介入をこばんだのは、やはり、ダイアナの評判を守るためらしい。

 つまり、ダイアナの純潔に疑念をいだいている。


 この数日、ダイアナは学校を休んでいた。

 ショックのあまり、とても学校どころではないのだ。

 オリビエぬきのいつものメンバーが、つきっきりで、なぐさめていた。


 アンソニー、マーティン、コンスタンチェ。

 それに、タクミとユーベルだ。


 アフタヌーンティーの席で、アンソニーが言いだした。


「ねえ、ダイアナ。君も心配だろう。一度、医者に検査してもらおうか。大丈夫だよ。エコー検査だけで状態はわかる。服を着たままでいいし、恥ずかしいことなんてないから」


 さッと、ダイアナの顔が青ざめる。

 十五さいの女の子なんだから、とうぜんだ。


 そんな疑いをかけられて、みんなの前に真実をあばかれるなんて、たえられない屈辱くつじょくのはずだ。


 だが、アンソニーには、ダイアナの狼狽ろうばいが、べつの意味に映ったらしい。


「もしも、君に万一のことがあったとしても、それは君のせいじゃない。私は責めない。だが、そうなると結婚を早めなければならないな。さっさと結婚していれば、こんなことにはならなかったんだ」


 ダイアナは、くちびるをふるわせる。

 だが、おとなしい彼女にしては、めずらしく頑強に抵抗した。


「いやよ! そんなこと。絶対にイヤ! どうして信じてくれないの? わたし、ほんとに何もなかったわ。知らない人たちの前で、そんな好奇の目にさらされるなんて、わたし、イヤ!」


「スタッフは一人にすればいい。それも女医なら、君も安心だろ?」


「いやっ。そんな検査されたなんて、お友だちに知られたら、わたし恥ずかしくて、もう学校に行けない」

「学校なんて、この機会に、やめてしまえばいい」


「ひどいわ。アンソニー。あなたにとって、わたしの価値は、それだけなのね。今まで育ててもらったこと、感謝してたけど。そんな目的のためだったなら、わたし……」


 ダイアナは泣きながら走っていってしまった。

 コンスタンチェが追いかけていく。

 まあ、いちおう、コンスタンチェがついてるなら、心配はないだろう。


 アンソニーは舌打ちをついた。

 例の発作の前兆のように、険悪な表情になっている。


「だって、しょうがないじゃないか? 好きな女の最初の相手になりたいと、男なら誰だって思うだろ? そうじゃないか? マーティン」


 マーティンは、おおげさに肩をすくめた。

「とうぜんだ。あんたは正しいよ」

「そうだろ? 女ってやつは、男の気持ちをさっぱり、わかってくれない」


 それには女の言いぶんもあるだろう。

 おたがいさまだと、タクミは思う。


 タクミは職業柄、女の患者にも多数、感応するので、じっさいの恋愛経験より、女性心理にたけている。


「でも、あれじゃ、ダイアナさんが、かわいそうですよ。さっきの言いかたじゃ、彼女の体にしか商品価値がないみたいに聞こえましたよ。愛してるから心配なんだと言わないと」


 タクミは男二人に、にらまれてしまった。

 マーティンはあからさまに愚弄ぐろうした。


「なんだよ。いい子ぶりやがって。ほんとはオカマか? だから、女々しいことばっかり言いやがるのか?」


「ば——バカにしないでくださいよね。僕だって、れっきとした男です。だけど、女の人っていうのは、愛する人と結ばれたいって思うものなんですよ」


「だから、なんで、そんなことわかるんだ。え? ほんとはオカマなんだろ? そっちの可愛い坊やとやりあってんだろ」


「やめてくださいって」


 ごちゃごちゃ言いあってるあいだ、アンソニーは爪をかんで考えこんでいた。


 おもしろくなさそうな顔で、ウエッジウッドのティーポットから、紅茶をカップにそそぐ。砂糖とミルクを入れ、銀製のスプーンを手にとる。


 その瞬間だ。


「あッ——つッ!」


 パシンと、するどい音がして、アンソニーの手のまわりに青い火花が散った。小さな稲妻が、アンソニーの手から銀のスプーンを伝わっていった。


 ぼうぜんと、アンソニーは手をひっこめ、にぎりしめる。


「大丈夫ですか?」


 タクミはケガを確認しようとして、アンソニーの手をつかんだ。

 アンソニーは混乱のあまりか、乱暴にタクミの手をふりはらった。その動作で、我に返ったようだ。


「なんだ? 今の? 手に電気が……」


 放電現象だ。

 制御ピアスをつけていることで、エスパーの身を起こる現象。


 アンソニーはエスパーだったのだ。


(ダイアナの勘があたってたんだ。アンソニーな双子のあいだでだけ通じあうタイプのエンパシストだったんだ)


 じつのところ、タクミはアンソニーをエスパーではないと思っていた。この小さな事件に、アンソニー自身より、おどろいた。


 しかし、こうなると、これ以上、アンソニーにピアスをつけさせておくわけにはいかない。


漏電ろうでんしてる機器にでも、さわったんじゃないですか? 体が帯電してるんでしょう。金属製のものは、しばらく外しておくほうがいいですよ。そのピアスなんかも」


 ふつうに考えれば、金属を身につけてるほうが、早く電気を発散してくれる。だが、混乱しているアンソニーは、言われるがままに、時計やピアスを外した。


 これで、いちおう、アンソニーに心配はなくなった。

 タクミはユーベルの下宿をさがしにいくとウソをついて、その場を去った。


「予想外だぞ。すぐに、ダイアナと相談しなけりゃ」

「…………」


 タクミは興奮していた。

 が、ユーベルは、なんとなく浮かない顔をしている。

 また、滞在期間が、のびるからだろうか?


 タクミはユーベルと二人で、ダイアナの寝室へ行った。

 ダイアナは、そこにいた。ただし、コンスタンチェと。

 これでは秘密の話ができない。


 察したらしく、ダイアナはコンスタンチェを遠まわしに追いはらった。


「ねえ、コンスタンチェ。アンソニーの誕生パーティーのときの服は、できてる? あとでアトリエに見にいくから、用意してくれる?」


 コンスタンチェは何も言わずに出ていった。

 タクミは頭をさげる。


「すいません。大切な話ができてしまって」

「ええ。顔を見たら、わかるわ。何かあったのね」


 さきほどの一件を、タクミは語った。

 そのときのダイアナの表情を、タクミは長らく忘れることができなかった。


 まるで、戦地で死んだと聞かされた恋人が、とつぜん、生きて目の前に現れたときのような——そんな表情だったのだ。


「じゃあ、やっぱり、あの人は……」


「そう。超能力者だったんです。それで、今後の対処を相談に来ました。最初の契約どおり、故アルバート氏との、精神感応を断たなければならないですからね。

 まずは、アルバート氏の遺品を整理してください。できれば全部、すててもらいたいんですが。それはムリでしょうね。そのかわり、人の立ち入らない一室に集めて、封じてしまってください。

 そのうえで、アンソニーさんには今後も制御ピアスをつけてもらう。

 アンソニーさんはピアスをつけ始めて……ええと、八日ですね。八日めで放電現象が起きたから、ランクは弱めのC。

 ゲノム編集されてない人としては強いほうですが、このていどなら、この処置で、じゅうぶん、能力をふせげます。

 ただ問題は、週に一度、ピアスを外して放電しないといけないことですね。

 つけたり外したりしないといけないので、アンソニーさんにも事情を話して納得してもらわないといけません。

 今は、とりあえず、あなたへの報告を優先しましたけどね」


 ダイアナは困っている。


「どうしました?」

「あの……できれば事情は告げたくないんですけど。わたしが彼を疑っていたと話したら、アンソニーは傷つくでしょうし」


 ついさっき、傷つけられて泣いたのは、ダイアナのほうだ。なのに、その傷つけた相手のことを思いやっている。


 タクミはダイアナの優しさに感動した。


「じゃあ、こういうふうに言っておきましょう。ピアスは衛生上、シャワーをあびるときには外したほうがいいと。それなら、一日一回は外すことになりますし。あとで、さりげなく、僕が言っておきますよ」

「お願いします」


 ダイアナにお願いされて、タクミは快諾した。


「ほんとは、自分がエスパーだって自覚を持ってもらって、コントロール法を学ぶほうがいいんですけどね。まあ、この対処法で、日常生活に支障はありませんから」


 ダイアナは急に心細くなったようだ。

「待ってください。もしかして、トウドウさんたち、帰ってしまうの? わたし、もう少し、いてもらいたい。せめて、アンソニーの療法が、うまくいってると確認がとれるまで」


 タクミはユーベルの顔をのぞきみた。

 ユーベルは、そっぽを向いてしまう。

 カンカンらしい。


「ああ……ええと……」

「お願いです。報酬は払いますから。以前の倍なら、どうですか?」


 ビックリして、タクミは両手を顔の前でふった。


「とんでもないです! 依頼料なら、この前のぶんで、僕らの半年ぶんの給料以上です。僕も少し心配だし、もうしばらく、ようすを観察しますよ。アフターサービスってことで」

「よかった」

 見るからに、ダイアナは、ほっとした。


「ところで、遺品というのは、あるだけで悪影響なんですか? かならず、片づけないといけないの?」


「できれば片づけるに越したことはないです。物に残った念波を、アンソニーさんは感じとってるわけですからーーええと、なにか違うの悪いことでも?」


 なにげなく、たずねる。

 ピクリと、ダイアナはこわばった。


「いいえ。そんなことは……あの、それじゃ、教えてください。もしもですけど。反対に本人が長年、大事にしていた品物を身につけさせたら、効力はありますか?

 今のアンソニーは、アルバートに意識をのっとられてるんでしょう?

 アンソニーが愛していた品物を、いつも持たせておけば、アンソニーの心をとりもどす役に立つでしょうか?」


「効果はあるでしょう。自分の残した念波を、自分に感じさせるわけですね。Cランクのアンソニーさんなら、ピアスをつけてるだけで問題ないですけど。念のために、そういう物を持たせるのは、いい案です」


「わかりました。その品物は、わたしが用意して、アンソニーに渡しておきます」


「ええ。じゃあ、これで。長話になると、アンソニーさんに怪しまれるので」


 立ち去ろうとして、タクミは思いとどまった。

 物思いに沈むダイアナをふりかえる。


「……さっきの検査のことだけど。アンソニーは、あなたのことが大切なんですよ。男って、つまんないことが気になるものだけど、でも、それは、愛してる人のことだけですよ」


 ダイアナは、ちょっとだけ笑みを返してきた。

 まだ、釈然とはしてないみたいだが。


「すいません。僕なんかの口出しすることじゃなかったですね」


 ろうかに出ると、ユーベルに腕をつねられた。


「痛いよ。ユーベル」

「知らない」


 美少女のごきげんばっかりとってるので、美少年は、むくれてしまった。


 しかし、アンソニーに下宿を探すと言った手前、二人で町へ出る。二、三時間、ヒマをつぶすことにした。


 以前、オルフェと出会ったネットカフェ。

 外のテーブルでコーヒーを注文するとすぐ、ユーベルは深刻な顔で言いだす。


「あの家、なんか変なんだ。あそこにいると、よくない気がする。ねえ、タクミ。おれ、すねて言ってるんじゃないよ。ほんとに、おかしいんだ」


 それは、トリプルAのユーベルだ。

 あの屋敷にいる人々の、ばくぜんとした感情まで、明確に感知できる。


 何かがおかしいとユーベルが言うとき、ただの気のせいでは、すまされない。


 説明のつかない違和感は、タクミも感じていた。

 この機会に聞いてみることにした。


 寒空のもと、まわりに客はいない。

 秘密の話をするのには、ちょうどいい。


「どんなふうに、おかしいの?」


 ユーベルは考えこむ。

「まず第一に、あの依頼人。おれたちに、かくしごとしてる」


 タクミは、おどろいた。

「ダイアナが? まさか」


 ユーベルは皮肉な顔つきになる。

「ほら、おれの言うことなんて信じてない」


「そ——そうじゃないよ。かくしごとしてるように見えなかったからさ。ビックリしただけ。ほんとなの? ああ、もしかして……」


「違う。ヴァージンのことじゃない。なんか、もっと重大なこと。最初に事務所に来たときから、かくしてた。すごく、おびえてるのは、たしかだね」


「最初から? かくしごとねぇ……」


 そのとき、ウェートレスが二人の注文を運んできた。

 タクミはコーヒー。ユーベルは、ラフランスのジュースが好きだ。


「そういえばさ。ユーベル。あの夜、悪いクセ、出したろ? オリビエさんが殺された夜。誰かの夢に感応して、僕に見せた。あれって、ダイアナの夢?」


「わざとじゃないよ。ものすごく強い不安感に、ひきずられて。気がついたら同調してた。


 あのとき、夢の最後のほうで、誰かに首をしめられたんだ。それで、とびおきたから。あんたの聞いたのは、おれの悲鳴」


 なるほど。その瞬間に首をしめられていたダイアナの意識とシンクロしてたからか。


「ふうん。ダイアナ、クローン体だから。あれが再生されたときの最初の記憶なんだろうな。人工子宮から出されたときの記憶だったよね」

「うん……」


「ほかには? ほかに、変なことはない?」

「屋敷のなかに何人か、エンパシストがいるよね。かくしてるのか、自分でも気づいてないのか知らないけど」


「アンソニー?」

「違う。あの人のことは、おれ、今でもエスパーじゃないって思ってる」

「でも、放電現象が起きたから」


「……あとは、うまく説明できない。どろどろした憎悪とか情念が、何重にも、かさなりあって。あそこにいるだけで気分が悪くなる」


「ふうん。機会を見て、ダイアナに聞いてみよう。僕らに何をかくしてるのか」


 ユーベルが疲れてるみたいなので、タクミは気晴らしに、さそった。


「これから、君のうちに行こう。お父さんは会社だろうけど、お母さんはいるだろ? たまには君の顔を見せてあげないと」


 喜ぶかと思ったのに、ユーベルはうれい顔のままだ。


「サリーはね。おれが家族と暮らせるようになるまで、そばにいてくれるって言ったんだよ」

「しかたないよ。だって、あのまま月にいたら、先生、暗殺されてたよ」


 ユーベルは洋梨ジュースを飲みほし、さきに立って行ってしまう。テーブルの精算機にプリペイドカードをかざして、タクミも追った。


 ユーベルの実家は、そこから遠くない。

 ユーベルが通いやすいように、自宅近くに事務所を借りたのだ。


 ユーベルの父は腕のいい設計技師。


 母は若いころはファッションモデルをしていた。結婚してからはモデルを引退し、ファッション誌のスタイリストを。


 五つ年上の兄は、パイロット養成学校を卒業し、宇宙航空局に入局している。男の子のあこがれ、宇宙船のパイロットだ。


 二つ年下の妹は有名な美人で、母と同じ、少女服のモデルをしている。


 絵に描いたように、ハイソサエティな一家である。


 ユーベルだけが、満足な教育も受けられず、中等学校の通信教育を受けながら、社会復帰のためのリハビリを受けている。


 ユーベルが家族になじめないのは、優秀な家族に対する劣等意識かもしれない。


 ロマンチック街道風の中世的な景観の一画に、ユーベルの実家はある。見ためより広いのは最新の建築技術のおかげだ。


 家には、ユーベルの母、ギャランスがいた。


 ユーベルに似た美しい女性だ。

 最近にテロメア修復薬を飲んでいるので、外見はユーベルの三つ年上の姉といった感じ。


 ギャランスはタクミを見て、ヨーロッパ式のあいさつをした。すなわち、キスされて、タクミは、しゃちこばった。


 ギャランスはユーベルにもキスしたが、ユーベルは、うつむいて、目もあわせようとしない。


「お帰りなさい。ユーベル。仕事は終わったのね?」

「着替えをとりに来ただけ。すぐ行くから」


 ユーベルは逃げるように二階にあがっていった。

 ギャランスは何か言いたげに、ユーベルを見送る。そのあと、タクミに向きなおった。


「お茶はいかが? トウドウ先生」

「さっき、カフェで飲んできたんです。すいません」

「それじゃ、夕食を食べてらしてよ」


 ダイニングキッチンへつれていかれる。が、ギャランスが本気で夕食をすすめたいのかは疑問だ。


 ギャランスはタクミに何か話したいことがあるらしい。

 タクミも気づいていた。

 家のなかのふんいきが、以前と違う。


「何かありましたか? ユーベルのことで?」

「ええ……」


 ギャランスが手招きするダイニングキッチンには、ユーベルの兄、エドワールがいた。ギャランス特製クッキーをつまんでる。


「こんにちは。今日は非番なんですよ」と言ってから、エドワールは、しぶい顔をした。


「ユーベルが帰ってきてるんですね。マリエールがいないからいいけど。このごろ、やっと落ちついてきたのに」


 マリエールはユーベルの妹だ。

 エドワールの口調には、あからさまに嫌悪感がふくまれていた。


「ユーベルが妹さんに何かしたとでもいうんですか?」


 あわてて、ギャランスがユーベルをかばう。

「悪いのは、あの子じゃないわ。たまたま、運が悪かっただけ」


 だが、その態度には疲労をかくしきれない。


 エドワールは、さらに不機嫌に続ける。


「そりゃ、さらわれてつらいめにあったのはユーベルだ。だけど、フォルムリ先生だって言ってたじゃないか。ユーベルとマリエールは離しとくほうがいいって。ユーベルがいると、マリエールに、よくない影響をおよぼすって」


 タクミは口をはさむ。

「フォルムリ先生って、もしかして、レオナール・フォルムリっていう、僕と同じ——」


 エドワールはタクミを向きなおる。

「そうです。サイコセラピストのね。マリエールの担当医です」


 レオナール・フォルムリは、タクミの友人でもある同業者だ。鉄道模型のコレクターで、話も楽しい。


「マリエールさんが、レオナールの患者なんですか? 以前は、そうじゃなかったですよね?」


 エドワールは父親似なので、ユーベルとは似てない。が、やはり端正だ。そのおもてを、不愉快ふゆかいげに、ゆがめる。


「ユーベルが来てからですよ。それで、マリエールは男性不信になってしまって。一時は学校にも行けなくて、部屋にとじこもってたんです。

 やっと、最近になって、外に出られるようになってきたんです。これ以上、ユーベルにかきまわされたくないっていうのが、家族の正直な気持ちかな。少なくとも、僕とマリエールはね」


 ギャランスが反論する。

「なんてこと言うのよ。ユーベルは、あなたの弟なのよ」


「母さんだって言ってたじゃないか。あの子は、もう死んだんだ。だから、クローンを再生させようって。そんなふうに話してたころに、あいつが保護されて。

 もうほんの一週間も連絡が遅れてたら、クローン再生手続きをしてたのに。そのほうが、あいつにとっても、僕たちにとっても、どれほどよかったか知れない。あんな半壊したような精神状態で帰ってこられて、家族でさえ持てあますより。むくな赤ん坊のままで帰ってきてくれたほうが、ずっと幸せだったんだ」


 ギャランスが口をひらきかけたときだ。ろうかで声がした。

「それって、おれが死んでたら、よかったってこと?」


 ドアの前に、ユーベルが立っていた。

 ユーベルは無感情にキッチンの三人を見ている。

 そして、奇妙なくらい静かな声で言った。


「行こうよ。タクミ」


 タクミは一礼し、気まずい沈黙にとざされたキッチンをあとにする。


「ユーベル。待ってよ。どうして言ってくれなかったんだ? 家族とトラブルになってるって」


 さきに実家をでるユーベルを追う。

 ユーベルは冷めた視線を、実家に向ける。


「あの人たち、かんちがいしてるんだよ。あの人たちの行動に、おれが傷つくんだと思ってるみたいだけど。

 べつに、そんなことないよ。最初から家族に期待なんてしてない。だって、十五年も会ってない人たちだよ。急に家族とか言われても、こまるよ。

 あの人たちは、おれのこと叩いたり、縛ったりしないから、いいんだけど。

 あの人たちが、おれのこと重荷に思ってることが感じられて、わずらわしいよ。早く、あの家、出ていきたい」


 タクミは自分の監督不行き届きに、なさけなくなる。

 ユーベルが、そんな肩身のせまい思いをしてることに、気づかないなんて、担当医失格だ。


「それで、マリエールとは、何があったんだって?」


「おれは悪くないよ。あの子もエンパシストだったんだ。だから、おれが夢で、うなされると、見るんだって。以前、おれが苦しめられてたとこ。

 おかしな子だよね。苦しかったのは、おれなのに。夢で見ただけで、男が怖くなっちゃったんだって」


 なげやりに話すユーベル。

 タクミは切なさか、こみあげてきた。

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