第6話 病院の変貌と患者の変貌

This Message From NIRASAKI N-TOKYO JAPAN

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 ハロー、平成の人たち。ドクが珍しい病気にかかって、今、入院している。システムのメンテナンスのやり方はおおよそわかっているけど、このメッセージが正確に届けられるかどうかは、やや怪しい。八割方、成功するはずだ。運が悪ければ、どこかへ転送されて、さて、日の目をみるか、どうか。

 平成の時代に、日本の小説界に、突然にSFブームが到来したのは、僕もよく知っている。SFが好きだから。神林長平は何冊も読んだ。しかし難解だ。奥付を見ると、平成の初期辺りになるようだね。それからだいぶ経って、平成が終わろうという時に、新しい世代が生まれた、ってことだよね? 名前を挙げると、伊藤計劃、宮内悠介、藤井太洋。この三人は、僕の中でかなりのビッグネームと言える。SFアニメの金字塔「PSYCHO-PASS」にはびっくりした。先見の明があると言わざるをえない。しかし令和の時代でもあそこまで尖ってはいないから、安心して欲しい。そう、厚生省が社会の実権を握っていないし、犯罪は今も、警視庁の皆さんが、取り締まっているのだから、現実は小説より奇なり、とは断定できないわけ。

 そう、伊藤計劃の「ハーモニー」みたいな時代にもなっていない。

 令和の初期に、薬剤の大量投与が問題になった。特に高齢者にその気が多く、大雑把にイメージしてもらおうとすると、糖尿病の薬、血圧の薬、胃腸の薬、眠り薬、といった具合に、さまざまな症状が同時に発生し、それぞれに薬物を処方する、という事態が一般的だった。言わなくてもわかると思うけど、若年層でもそういう人は大勢いた。

 そんな大量の処方を回避するための薬剤の改良が進んだけど、これははっきり言って、不可能だと目に見えていた。薬剤の開発が進まず、一方で、大量投与が社会問題としてマスコミにピックアップされた結果、国民の中に「嫌薬感」とでも呼ぶべきものが発生した。この考え方から、病院にかからない病人が出たり、病院に通っても、薬を拒否する人が、必然的に生じてくる。

 平成の時代でも、終末医療、とか表現される事態があったわけだけど、令和のそれはもっとひどい。多くの高齢者や重病人が、それぞれの家庭で苦しみながら、死んでいった。介護や看護が家族を圧迫し、それらと仕事の板挟みが、また一つの社会の側面として出現する。介護職や看護師は、高額な報酬が約束されていたけれど、実際はそんな人たちの苦労は並大抵じゃない。介護職の自殺者数が跳ね上がり、それらは労災認定されるかされないか、労働基準に違反していたのではないか、といった理由で、裁判所や労働基準監督署を大わらわにさせた。事態が悪化してから十年ほどで、結局、そんな自殺者たちは過労が原因であり、介護サービスを提供する多くの企業は、多額の賠償金を支払い、消滅する企業さえあった。

 今はどうなっているかといえば、介護職についている人には、国や自治体からさまざまな補助が出るから、社会全体からしてもかなりの高給を得られるものの、もはや人気の職業ではないし、さすがにみんな、介護職の人の実際をわかっている。介護職に就いている人間だって、家に帰れば、親や家族の面倒をみなくちゃいけないのだ。その点では、令和の中でも日本社会というか日本人の発想が進歩した、と僕は思っている。

 多くのサービス業に就いている人も、私生活を持ち、それぞれにそれを必死に生きている、と理解したんだ。これが大きな展開だった。だって、平成の頃の人って、土曜日や日曜日、祝日や祭日に、どこかで食事をしたり買い物をするとき、その接客をしてくれる人を、どう思っていたんだい? 令和の僕たちは、彼らに感謝して、むしろ、休みの日は大勢が等しく休むべきだと考える。週休二日制はまだ継続されているけど、ほとんどの店舗が、日曜日か土曜日を定休日にしている。そして誰もそれを批判したりしない。他の人が休んでいる時にこそ働いて多く稼ごう、という発想は、もう消えている。そんなことは浅ましい、愚かしいことだ。休むならみんな同時に休もうよ、というのが、令和の日本国民の発想だ。

 だいぶ話が逸れたね。病院のことだった。

 病院の役割は、だいぶ限定された。令和の中期までに、ウェアラブルコンピュータとその端末が普及して、腕時計よりも小さい装置で、血圧、脈拍は常時、記録できた。カルテは全て電子化され、その上で、厚生省が一括管理を始めた。これは情報管理でやや問題も生じたが、解消された。

 共有された電子カルテのおかげで、病人はどこの病院へ通うこともできるわけで、かかりつけ医という概念は消滅した。ただし、平成から生きている人たちは、大半が行きつけの病院を持っている。まだ医者や看護師との人間関係、信頼などを持っているのだ。令和の人間は、気まぐれに病院を変えるので、野良病人、などとネット上では呼ばれているよ。

 面白い点は、「ゼロ・オピニオン」と呼ばれる、電子カルテの公開申請だ。誰に対して公開するか? それは患者自身だ。つまり、患者は医者が自分をどう見ているか、知ることが可能になった。平成の頃の医者って、患者にカルテを見せなかったはずだけど、どう? 見たいと思ったことはない? その辺りの強い信頼感、結びつきみたいなものが、平成の患者と医者の間にあったかもしれないけど、今の時代は違う。

 患者は、自分のことを知る権利を主張して、結果、それは自然と行われるようになった。

 カルテに書いてある内容で訴訟が起きたりもしたね。でもすぐに医者も対応して、そんなことはなくなった。

 令和はとにかく、医療が大問題となったわけだ。医者と患者の関係は整理されたようで、実際には形だけのものになったと言える。

 次の時代はどうなるんだろう?

 ちなみにドクは、知り合いの医者に診てもらっている。幼なじみらしい。




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P.S. Project ITO is Fantastic!!

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