　太陽が墜落してゆく。

　月（げつ）魄（ぱく）が上昇してくる。

　灼（しやく）熱（ねつ）の柏（かしわ）崎（ざき）市（し）に冷気が瀰（び）漫（まん）してくる。宵闇というほどの宵闇ではない。スズキ・ワゴンRは静（せい）謐（ひつ）たる住宅街の片隅に位置する自宅に逢（ほう）着（ちやく）する。はかなげに微笑する両親は狭（きよう）隘（あい）なる後部座席にて支離滅裂なるひとりごとをつぶやいている息子を介抱しながら自宅に嚮（きよう）導（どう）してゆく。居間で蛍光灯を点滅させると玻（がら）瓈（す）のコップの破片がきらめき白銀の罅（ひび）がきざまれた大型TVが顛（てん）躓（ち）していた。疲（ひ）労（ろう）困（こん）憊（ぱい）したらしい息子を座布団をまくらに畳敷きの床面に横（おう）臥（が）させると廼（ない）時（じ）に玄関でチャイムが響（と）動（よ）めいた。両親は故意に視線をそらしあい父親が玄関にあるいてゆく。因（いん）陀（だ）羅（ら）網（もう）のインターネットで指定した時間帯の丁度中間あたりに荷物は逢（ほう）着（ちやく）した。様様なサイトから注文したが時間帯指定が一致するので郵便局はおしなべて一括して配達したようだ。

　玄関のまえはうすらさむい。

　魁（かい）偉（い）なる荷物を景（きよう）迹（じやく）するけはいもなく配達員はにこやかに遯（とん）竄（ざん）してゆく。父親は荷物を順番に居間へと掲（てい）撕（せい）してゆく。居間では微笑する母親が疲弊した息子の片腕を愛（あい）撫（ぶ）している。ひもすがら絶叫していた息子は蜂（ほう）蠆（たい）たる体力を消耗しつくしたために熟睡している。父親いわく〈清貴はそのまんまで大丈夫だな〉と。母親は微笑したまま息子をいたわりつづけている。父親は木製の長方形の卓子のうえで段ボールを開封し荷物を陳列してゆく。インターネットで注文したリボスミンやドリエルといった眠剤とひとしなみに注文した練炭や七輪がならべられる。七輪と練炭を準備した父親はまず眠剤を母親に譲渡する。母親は息子を見詰めたまま眠剤を嚥（えん）下（か）する。蹔（しばらく）して母親が夢（む）寐（び）におちいると躬（み）自（みずか）らも震（しん）盪（とう）するゆびさきで眠剤を嚥（えん）下（か）して数分間様子をみる。躬（み）自（みずか）らも睡魔におそわれると時宜をみて練炭に着火する。父親はまどろむ意識のなかでふたりの最愛の家族に挨拶する。いわく〈さよなら〉と。〈また何（ど）処（こ）かで逢（あ）おう〉と。

　わたしは奇（き）蹟（せき）をおこした。

　朦（もう）朧（ろう）とした意識のなかで勘付くと親子三人は居間のくだんの卓子を囲（い）繞（じよう）して鎮座していた。ニンテンドー3DSに耽（たん）溺（でき）している息子と対（たい）峙（じ）して両親は界（かい）隈（わい）を見（み）霽（はる）かす。練炭の灰（かい）燼（じん）と帰した七輪が卓子に設置してあるが溟（めい）濛（もう）たる煙霧も芬（ふん）芬（ぷん）たる悪臭もない。茫（ぼう）然（ぜん）自（じ）失（しつ）する母親に父親はいう。〈失敗したのかな〉と。母親はいう。〈此（こ）処（こ）天国じゃないの清貴も普通だし〉と。発言しながらふたりは喫（きつ）驚（きよう）する。父親いわく〈清貴大丈夫なのか〉と。息子は『妖怪ウォッチ』の画面にむかい微笑しながらいう。〈わからない〉と。〈でもありがとうたのしかったよ〉と。〈うまくいえないけどうれしいよ〉と。〈いいこじゃなくてごめんね〉と。母親は双（そう）眸（ぼう）をうるませながら微笑していう。〈いいこじゃなくていいんだよ〉と。〈狂ってたって関係ないよ〉と。〈清貴がいてしあわせだったよ〉息子はいう。〈ありがとうさよなら〉と。父親は絶叫する。〈間違ってたんだ〉と。〈清貴は狂っちゃいない〉と。〈狂ってるのはおれたちだ〉と。息子は頭（とう）顱（ろ）を擡（もた）げて微笑する。〈狂ってるところも狂ってないところもふくめて人間だよ〉と。

　絶叫が木霊する。

　息子の絶叫に勘付いて父親が覚醒すると居間の天井には溟（めい）濛（もう）たる煙霧が渦巻いていた。そこはかとなく嘔（おう）吐（と）感をもよおすような悪臭もする。溷（こん）濁（だく）していた意識が漸（ぜん）次（じ）明（めい）鬯（ちよう）としてくる。喫（きつ）驚（きよう）した父親は母親をゆさぶりおこして外壁のまどを開放してゆく。茫（ぼう）然（ぜん）自（じ）失（しつ）した顔（がん）貌（ぼう）の母親はいう。〈へんなゆめをみたの〉と。父親もいう。〈おれもだ〉と。ふたりはおなじゆめをみたという。爾（じ）時（じ）亦（また）絶叫が響（と）動（よ）めく。玄関前だ。蒼（そう）惶（こう）たる両親は開放されていた居間のから玄関前へと遽（そそ）走（ばし）る。息子は玻（がら）瓈（す）戸を開放して玄関前に蹲（そん）踞（きよ）し発狂爾（じ）来（らい）同様に絶叫している。宵闇に息苦しさで覚醒した息子が居間の引戸と玄関の玻（がら）瓈（す）戸をあけて脱出した御（お）蔭（かげ）で家族は救（きゆう）恤（じゆつ）されたらしい。穹（きゆう）窿（りゆう）に太陽が上昇してくる。界（かい）隈（わい）の住民から白眼視されていることに勘付き母親は息子を玄関に嚮（きよう）導（どう）する。母親いわく〈ほらやっとかえってきたよ〉と。