第5話 道化師の本意を、未だ知らず

「教えるものと教えられる者の関係についてだが、このどちらもがお互いに尊敬の念を持って初めて教育の環境が成り立つと思うのだが。尊敬や熱意といったものは果たして強制された環境下で芽生えるものなのだろうか。」

「さあ、先生に質問してみればいいじゃない。」


チョークが黒板をたたく音、水槽のポンプを回すモーター音、遠くから響く遮断機の警告音。集中して耳を澄ませば、そのどれもが心地よいものだと、今更ながら気付いた。

いまや、この脳内で響く男の声に比べれば世界に満ちるすべての音を愛せる自信すら湧いてくる。

いつもの学校、昼休み後のいつもの気怠い授業。

何もかも変わらない日常のなかで、私は機械のように日常を全うしている。

私の脳内だけが、現在進行形で非日常であった。


「ふむ、それも悪くないが、それは私の選択ではない。故に、私は質問を投げかけないのだよ。私がもしそれをすれば、これは私の物語になってしまう。それは本意ではない。」

「それじゃあ、不本意ながら言わせてもらうけど、こうして私の体を私が動かせないのは、あなたが私の選択に介入していることにはならないの。」

激昂する私の心に反して、私の体はすらすらとノートを取っている。

自分自身の行為にこれほどまでに苛立ちを覚えたことは無い。

お前はどっちの味方なのだと。


「まず、「不本意」ではなく、それは君の本意なのだろうか。信じてもらえないだろうが、私は一度も君の本意に逆らうようなまねはしていないのだよ。」

「おしゃべりで、おまけにウソつきなのねあなた。知らないかもしれないけれど、そういう胡散臭い人の本意ほど疑わしいものはないのよ。」

「これは心外だ。誤解を解くためには言葉を用いる必要があるだろう。何故なら私には肉体がないのだから。体がある君たちだって証言台に立った時、何もしゃべらなければ疑惑を晴らすことは出来ないだろうに。沈黙が肯定とみなされるのは法廷でも、生き方でも同じだと思うがね。特に君の場合は。」

「・・・・・」

「現に、君がここまで話す人間だとは思わなかった。私は君を読んだからね。君の両親と同じ程度には君を知っているつもりなんだ。だが、心までは分からない。それが分かれば、こんなことをする必要すらないのだからね。」


先生が私の名を呼ぶ。問題の解を述べよと。

「さて、答えても良いのだよ。君は答えが分からないわけでもないし、分からないのなら私が教えてもいい。」


席を立ち、無言で先生を見つめる。

「もう体が動かせるのは分かるだろ。私が言っていることが本当だということも。」


先生が心配そうに私を見つめ、周りの生徒も私を見つめる。

私自身も私に見られている気がした。

さあ、どうしたい。はやく動かしてよ。と笑いかける私。

どんな視線よりも、自分に見られる恐怖。これに勝るものなど無い。


座っていいぞ。そう言われて席に座る。

教室のざわつきがいつも以上に大きく、遠くに感じた。

「沈黙は肯定とみなされる。」

「だれよりも納得しているのは君自身じゃないのか。」


私は汗をかいていた。

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