逃亡した村人でも二度目は英雄に

うみ

第1話 俺たちはこれから玉砕しようとしていた

 俺たちはこれから玉砕しようとしていた。


 ――剣ある者は剣で。剣が折れた者は素手で。

 俺たちに残ったのは、誇りのみ。最後まで意地を見せてやろうじゃないか。

 その思いだけで、嘆きの谷まで転戦したのだ。

 

 ここに残るは僅か三百名。

 ガバーナ共和国の剣闘士奴隷だった俺たちは、貴族どもの理不尽に耐え兼ね反乱を起こす。

 反乱軍は共和国に不満を持った勇士たちを集め、一時は共和国を震撼させるほどにまで勢力を拡大した。

 我が友人ヴィンセントの巧みな指揮もあって、反乱軍は共和国の正規兵を何度か破る。しかし、所詮は烏合の衆。次第に追い詰められ、決定的な敗北を喫した。

 それでも尚降伏せず、最後まで共和国と戦おうと誓った僅か三百名がここ嘆きの谷に集まったというわけだ。

 

 谷は入り口が狭く、少人数で戦うに適している。

 降伏して楽になればいいじゃないか。その後は処刑になったとしても。

 否。

 断じて否。

 俺たちが生きた意味を、ここで……示す――。

 

 戦いが始まるまでは、ここで誇り高く死ぬことこそが本懐だと信じていた。

 そう、信じていたんだ。

 

 初日の戦いで、半分が死ぬ。

 敵兵は必死の形相で戦う俺たちに手を焼き、日が暮れると共に軍を引いて行った。

 歓声をあげる仲間たち。

 だが俺は、雄たけびをあげる気分になんぞなれずにいた。

 

 その日の晩、無二の親友ヴィンセントとビールを酌み交わし大振りの肉へ齧りつく。


「ベルンハルト、俺はお前とここまでこれて感謝している」


 友人ヴィンセントが俺の名を呼ぶ。彼は人を惹きつける少年のような笑みを浮かべる。

 笑いあう俺とヴィンセントだったが、俺は心から笑うことができない。

 

「ヴィンセント、お前がいたから奴らに一泡ふかすことができたんだ」


 両手を広げ、友人に対する称賛の声をあげる。

 偽りの笑みを浮かべ、本気で誇りある死を望む彼の横で……

 恐怖していたんだ。

 怖かった。

 これまで幾度も死にかけたことがある。髪の毛を掠めるように投げ槍が通り過ぎたことも一度や二度じゃあない。

 俺は臆病ではかった。その証拠に今日の戦いを体験するまでは、俺だって誇りある死を望んでいたのだから。

 

 だが、もう無理だ。俺は……怖い。死ぬことが。

 これまで勇敢に戦うことができたのは何故か、この時になってようやく理解した。

 死と隣り合わせでも億すことがなかったのは、ひとえに生存の道が蜘蛛の糸ほどであったにしても存在したからなのだ。

 

「どうした? ベルンハルト?」

「いや、何でもない」

「食料はたんまりあるぜ! 食えるだけ食おう!」

「ああ……」


 ヴィンセントと肩を叩きあい、飲む。彼はなんと清々しい顔をしているのか。

 一方の俺はといえば、形だけの笑みを浮かべ恐怖に震える足を抑えるのが精いっぱいだった。

 

 ――翌朝。

 戦いが始まる。

 いっそこのまま剣に倒れてしまえばどれほど楽だったか。

 しかし、俺の生存本能がそれを拒否する。いつも以上に必死で、ただ生き延びようとあがく。

 倒しても倒しても敵兵が出てくる。

 剣が折れた。敵兵の剣を掴み、振るう。

 喉に突き刺し、鮮血を浴びながら、獣のような顔を浮かべ、生きる。

 

 生きる。

 俺は生きるのだ。

 

 日が暮れようとする頃、俺は打ち重なった死体の中に隠れ人の気配が完全に消えるのを待ち……

 逃げる。

 ベルンハルト・マイヤーは、たった一人恐怖に駆られ情けなくも戦場から逃げ出したのだった。

 

 泥水をすすり、雑草を食べ、幾日も歩く。

 辺境の山岳に辿り着いた俺は、ここでひっそりと暮らすことにした。

 山での暮らしは人に会うことなどなかったが、穏やかで戦いに明け暮れた俺の心を癒す……わけはなかった。

 

 逃げた日からずっと後悔ばかりが俺を苛む。

 何故、あの時、逃げたのだ。

 物資を補充しに山里の小さな村へ降りた時のことだ。猪の革を売り、小さなナイフを買う。

 久しぶりに酒場で酒を煽っていたら、噂が聞こえてくる。

 最後まで勇敢に戦った反乱軍のことのことを熱っぽく語っている人たちの声。

 その声を聞いた時、アルコールが一気に体から抜ける。耳を塞ぎ酒場から飛び出し、走る。

 また逃げるのか? そんな声が聞こえた気がした。


 ――戦うと言ったじゃないか。

 目から血を流し、俺の肩を掴むヴィンセントの顔を幻視する。

 もう限界だ。

 

 それでも。

 それでも俺は死ねなかった。

 

 数年後、例年より厳しい冬のある日……卑怯者の俺ことベルンハルト・マイヤーは雪の中で倒れ眠るように……。

 

 ◆◆◆

 

 浮いている。

 自分が今どこにいるのか何をしているのかも分からない。

 人間が浮くことなどありえないことなのだが、浮いているとしか表現ができないのだから仕方ない。

 視界はぼんやりとして濃い霧の中にいるよう。しかし、地面に足がついていないことだけが分かる。

 

 一体どこに向かっているのか?

 体が前へ前へと進んでいる。

 まさか俺が戦士たちの天国ヴァルハラへ行ける分けなどあるまい。逃亡者だからな……。

 

 自嘲からため息が出た時、不意に霧が晴れた。

 山麓だ。季節は恐らく晩夏。

 俺はやはり空に浮いていたようだった。

 高いところから見る風景は、すさんだ自分であっても美しさからため息が出るほどだった。

 山の麓には集落があり、藁ぶき屋根の家がポツポツと立っている。家に挟まれるように畑。集落の外れには牧場の姿も確認できた。

 貧しい鄙びた寒村といったところか。

 

 覚えている。

 ここは、俺の故郷の村じゃないか。

 懐かしい。自然と目から涙が伝う。

 故郷はこんなにも愛おしく美しいものだったのだ。最後に神が俺にこの景色を見せてくれたのだろうか?

 逃げ出して以来、初めて心が洗われた気がした。

 

 もう逝こう。

 その思いと裏腹に、俺の体は自然と一軒の家に向かっていく。

 屋根をすり抜け、その先にベッド。

 そこには少年時代の俺が寝ころんでいたではないか。

 

 過去の自分を見る暇もなく、俺の体はすうううっと少年時代の自分に吸い込まれて行った。

 

 体が溶けていく不思議な感覚と共に、頭の中へ記憶が流れ込んでくる。

 記憶は、遠い昔のことで忘れていた自分の少年時代のものだった。

 

 そうだ。

 俺は、村の生活のため望んで剣闘士奴隷になったんだった……。

 記憶の流入が止まる頃、意識が遠のいていく。


 ◆◆◆

 

 ――翌朝。

 朝の光が瞼を刺激し、目が覚める。

 死んだはずの自分が今こうして息をしていることに不思議と違和感を覚えなかった。

 それは、昨晩といえばいいのか。俺と過去の俺の記憶が混じりあい、少年時代の俺ではなく情けなくも雪の中で倒れた俺の意思が残った。

 しかし、昨日まで少年の俺が何をしていたのかはハッキリと覚えている。だから、自然とこの有り得ない状況を受け入れつつあるのだと思う。

 

 銅鏡なんて高級品は俺の部屋になぞないから、自分の姿を確かめることはできないが……半ば確信を持って立ち上がり、ピンと背筋を伸ばして左右を見渡す。

 藁を練り込んだ土壁はところどころに隙間があき、風が吹き込んでいる。藁の束でできた窓に床は土を固めただけの土間。

 確かにここは、少年時代に俺が過ごした部屋に間違いない。

 やはり、俺は死の直前の俺ではない。何故なら、立ち上がった時の視界が明らかに低いのだ。

 少年の身であるから、まだ背丈が伸び切っていないからだとすぐに理解する。

 

 俺にとっては遥かな過去のことだが、生活するには問題ない。

 少年時代の記憶が混じりあっていることで、昨日何を食べたのかまで分かったのだから。

 

「過去に戻ったのか……?」


 自分の体の様子を確認したことでつい呟きが漏れる。余りに荒唐無稽なことだが、そうとしか考えられない。

 俺は確かに死んだ。そして、過去へ舞い戻った。

 どうして過去に戻ったのかは分からない。スケッルス神の導きなのだろうか? 神は死と復活を司るとはいえ、俺のような戦士として失格な者へ恵みを与えるとは思えない。


「いや、そうではない」

 

 スケッルス神は誇り高い戦士ならば加護を与えるだろう。

 何故俺に? ヴィンセントではなく俺なのだ?

 加護を与えるべきは俺ではなく、彼こそがふさわしい。

 それが俺だった理由は、俺が……罪深いからだ。過去へ戻り、やり直せ。滅びの道を回避せよ。

 きっと、その道は苦難に満ちているだろう。だからこその俺だった。

 そう考えるとしっくりくる。

 

 人生をもう一度やり直せるのならば、元よりそのつもりだ。


「やるぞ! 今度こそやってやる!」


 拳を握りしめたところで、母親が俺を呼ぶ。

 そうだった。そろそろ朝食の時間だな。

 記憶によると、ベルンハルト・マイヤーは現在十三歳。村から出るまでにまだ時間が残されている。

 まずは何をするか……。そんなことを考えながら自室を出る俺なのであった。

 

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