短いか




 結果的に、気がつけば時が戻ったような容姿をして、時が経つにつれどうやら成功したのだと悟る。

 周りの時は過ぎ、自らの時は止まったヴォルフの生活が始まったが、過ごし方はそれほど変わらなかった。

 変わったことといえば、外見が変わったことで、不老不死の魔術のことを周囲に明かし、時が流れるにつれ少々関わり合う人が減ったことか。向けられる目も、どこか変わったように感じていた。

 しかし、ヴォルフは気にしなかった。


 笑うことがなくなったことが、人を遠巻きにさせる雰囲気作りの一因になっていたのだが、ヴォルフが気がついていたところでどうもしなかっただろう。


「ヴォルフ」


 声をかけてきたのは、知り合いの魔術師だった。

 元は師匠の知り合いで、魔術騎士をしている魔術師でもあったが、もうそろそろ引退するだろう。

 病で死ぬことを避けるために不老不死の魔術を使い、なぜか若返りもしたヴォルフと比べると、親子どころか祖父と孫ほどに歳が離れた外見の差をしていた。


「仕事の時間のはずなんだがなぁ」

「ライド様もそのはずでは」

「ああ、ばれたか」


 引退していてもおかしくない年齢ながら、そう感じさせない魔術師は笑って、ヴォルフの横に立った。

 王宮の庭に接する通路は、壁がなく直に外気に触れる。

 今日は小雨が降り、空気は湿っていた。


「魔術師を辞めるつもりか」

「……そうですね」


 静かに問われたことに答えると、ライドが凝視してきたことが分かった。


「正確にはそう考えたときもありました、ですね」


 あちらは万が一という場合で聞いてきたようで、まさか本当にそう思っていたとは思わなかったらしい。


「ライド様、魔術騎士になりたいのですがどうすればいいですか?」

「騎士に……?」

「はい」

「どうしてまた」


 ヴォルフは不純な動機だということは自覚していたが、正直に打ち明けることにした。


「部屋の近くに、……あの近くにいたくないんです」


 研究棟自体に。もっと細かく言うと、師匠の部屋の近くに。

 帰ってきたときのためにと言い聞かせて、時折掃除に行くことがあった。師匠所有の家にも。

 家に一歩入るだけで、部屋に入るだけで、日に日に師匠の気配が薄くなってくることが嫌だった。

 師匠の部屋の仕事部屋を荒らしたのは自分だから、片付けなければならない。けれど、師匠のいた痕跡がある部屋を見るのも嫌だった。本格的に手をつけられる日はまだ来ていなかった。


 口には出さなかった部屋の示すところが分かったのだろう、師匠と懇意にしていた魔術師は哀しげな感情を目に宿した。それは、師匠がもう二度と戻って来ないと捉えている者の目だった。


「ヴォルフ……そうまでしていつまで待つつもりだ」


 不老不死の魔術を使ったと明かしたとき、なぜそんなものを使ったのかと聞かれた。

 ヴォルフは死にそうだったからと答えた。事実だ。

 だが、この魔術師が裏に隠された意味を推測するのは容易なことだったのだ。

 部屋の側にいたくないほどなのに、なぜ待とうとする、と聞こえた。


「リーデリアは──」


 誰かが、もう師匠は死んだと言った。もう生きていないと言った。

 ヴォルフに直接言うことは誰もせず、今もライドは口をつぐんだ。


「ライド様、あの人がそう簡単に死ぬような人だと思いますか?」


 魔術では師匠に勝てないとよく言っていた魔術騎士は、微妙な顔をした。

 知っている。師匠がもう何十年も帰ってきていない状況になってしまえば、どう言っていいか分からなくもなるだろう。変な質問を返してしまった。


「……リーデリアの作っていたという不老不死の魔術式がどこまで効力のあるものかは知らないが、本当に完成したものだというのなら……どこまで続くか、分からないだろう」

「そうですね」


 不老不死。不老はもう証明されている。

 では不死はどうなっているのか。病で死ぬことを阻んだ。心臓を突けばどうなるのか。そもそもこの魔術は一体どれほど続くのか。

 聞いたこともない次元の魔術すぎて、予想もつかないことだった。

 本当にずっと、ずっと生き続ける可能性があった。


「もう使ってしまいました。続くところまで、俺は待ち続けたいと思います」


 諦めがつくまで。



 時が過ぎ、かつての師匠の知人たちもヴォルフの知人たちも死んでいった。

 このとき、ヴォルフが諦めていなかったのかと言うと、どこかでは諦めていたのだろう。

 師匠はどれほど待っても、帰って来なかった。待つ、という行動のいかなる人間の限界を越えても帰って来なかった。


 少しでも認めないことの方が難しい。

 師匠が帰ってくる可能性の低さを理解していた。

 不老不死の魔術は続き、綻びもせず、ヴォルフは日々を過ごし続けた。

 時折、なぜまだ生きているのか分からなくなることがあり、その度にそのままにしてある師匠の部屋に行った。

 いないことを目の当たりにすることが嫌なのは変わりないのに、自分が生きている意義がなくなる気がして、思い出すために行くという矛盾が起きる行動だった。


 気がつけば約九十年、もう、人が生きられるはずもない年数に届きかけていた。


「ヴォルフ・カルヴァート様」


 その頃だったか、一人の少年がヴォルフの前に現れた。

 灰色の髪に、黄緑と水色の左右色違いの目をしていた。


「弟子にしてください」


 真っ直ぐな目を向けられたと記憶している。

 その目の色彩が意味するところを、ヴォルフが知らないはずはなかった。師匠がそうであった。

 将来、優秀な魔術師としての道を約束された存在。優秀では収まらないことも、ヴォルフは知っていた。

 だが、ヴォルフは断った。弟子入りの制度は廃止されているから学院に入るべきだ、と。

 事実であったが、本音ではなかった。


 ただのヴォルフの私情だった。

 その目を見ることが苦しかった。最高位の魔術師の中にもいるが、弟子として近くになんておけるはずもなかったし、その状態で教えを授けられるはずもなかった。


「……」


 師匠ならば、どうしただろう。師匠がこの理由を聞けば、何と言うだろう。

 そこまで考えて、ヴォルフは髪を強く乱した。


「俺は……いつまでこうなんだ……」


 いつまで師匠のことを考える。忘れたいわけではない。忘れたくはないと思う。

 だが、ここまでいつまで経っても考えるのは、さすがに──


「俺は、まだ、諦めきれないのか」


 これほど時が経っても。この身が続く限り、待てるなら待とうと、思っている。

 どれほど愚かなことをしているかは、自分がよく分かっていた。

 ただもう会えないとは認めたくなかった。会いたかった。

 けれど……長い時を重ね、ヴォルフの意思は、いつ崩れてもおかしくはなかった。









 帰って来なくなったときと同じく、再会は、突然だった。


 王宮から出ている間に、前代未聞の事が起こったという。神を、攻撃した者がいる。

 まさに前代未聞のことだったが、戻ってくるなり報告を受けたヴォルフは大して気にしなかった。

 だが、部下がふと呟いた。「神の祝福を受けた目をした者だそうです」と。牢の番をしている者に聞いたそうだが、神を攻撃した者が神に祝福された目をしているということがちぐはぐなような声音だった。


 その瞬間、ヴォルフの頭を駆け巡ったのは、百年も昔のこと。

 神々に向かって怒っていた、師匠の姿。

 百年だ。まさか、あり得ないと判断する面を無視して、その足で牢に向かった。

 そして、それは正解だった。


 黒い髪、他に誰も持たない黄と橙の目。顔立ちが多少幼かろうと、師匠その人だった。

 その途端、信じる信じられないなどそっちのけで、ヴォルフの中の百年は消えた。


 ──「師匠」


 そう口にするのは、実に百年振り。ずっと、避けてきた。

 しかし、目の前に師匠が帰って来た。


 再会した日、目の届くところにと傲慢にも言ったのは、もう二度と見失いたくなかったからだ。

 見失い、いなくなられるのはもうごめんだった。

 失うことは、あり得なかった。処刑など冗談だろう。


 百年不在だった師匠は、不老不死の魔術を使ったようだった。捻れた、と言っていたからやはり完成したものではなかったようだ。

 だが、不老不死自体は上手く働いたのだから、完成しているのではないだろうか。

 自分に働いた時点で、師匠も使っている可能性を考えたこともあったが、戻ってこない理由が見当たらずに可能性は消した。使うために開発していたのでもなかったようだから。

 でも、こうして会えたのだから、待っていて良かった。心の底から思った。


 変わらない師匠の姿が、堪らなく嬉しくて仕方なかった。ああ、この人は戻ってきた。

 何度噛み締めたか、分からない。

 戻ってきた日々。その声、表情、姿があることが幸福そのものだった。

 日々を取り戻すことこそ、ヴォルフの望みだったから。


 だから、その日々さえあれば、何だっていい。




「師匠──師匠、どこですか」


 天上で、ヴォルフは師匠を探していた。

 住居としている建物は、こんな広さがいるかというくらい広い。部屋は多くないが、広い。

 ヴォルフはケーキが食べたいと言っていた師匠を呼ぶために歩いていた。

 一体どこに行ったのか、と思って、庭に出た。

 庭と言うには、草原のような場所だ。どこまでも、広がる草原。


 神に近い存在になって、天上の景色がはっきり見えた。建物の輪郭も、庭のような景色も。

 景色の造り自体は地上とは変わらず、鳥やリスなどの生き物がいた。地上と異なる見たこともないものがあるということはなかったが、人一人もいないからか、超然とした雰囲気を醸し出す景色だった。


 ただ、最初に来たときは明確には捉えられなかったと思うので、どうも人間には認識できないものだったらしい。

 紅茶は後で淹れるべきだったと思いながらもきょろきょろしながら歩いていたヴォルフは、前方に見つけた姿に口許を綻ばせた。


 天上の庭、神々だけのものである景色が広がる場所に、眠りこける師匠がいた。ヴォルフはゆっくり歩いていった。




 






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眠り魔術師は百年後に目覚める。 久浪 @007abc

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