贈り物をする



 少し、神の言葉が引っかかった。部屋に戻って、思考に沈んだ。


 しばらくすると、ノックされる音がして、物思いから意識を浮上させ、返事した。

 弟子が入ってきた。


「来たな」

「師匠、灯りをつけずに何をしていたんですか」

「ああ、本当だ」


 灯りをつけていなかった。

 灯りが必要なことをしていなかったため、言われて気がつき、魔術の明かりを作る。部屋はあっという間に隅々まで明るくなった。


「まあ、座れ」


 仕事机の椅子についていたリーデリアは、丸いテーブルの方に移動し、弟子に座るように促しながらも自らも座る。


「師匠、」

「待て。忘れっぽいときみが言うわたしが忘れる前に、一つ。渡したいものがある」


 今渡さなければ、次はいつ思い出すか。

 リーデリアは四角いものを取り出し、テーブルの上を滑らせて向かい側に届けた。

 これは?と問う視線に笑う。


「出世祝いだ。遅くなった」


 開けてみてもいいぞと言うと、素直な弟子は丁寧に包み紙を開き、出てきた小さな箱の蓋を開けた。


「せっかく穴を開けているのなら、そのまま耳飾りでと思ったんだ」


 ヴォルフの耳にある、簡素な耳飾りは、かつてリーデリアがあげたものだ。


 ただし実用的なもので、デザイン性もなければ効力も消えたなら、ただのガラクタだ。心なしかくすんで見える。百年経てば傷もつくだろう。


 そんなものをなぜまだつけているのかと聞くと、リーデリアが最後にあげたものだから、変な愛着が湧いたのだと弟子は言った。


 だからリーデリアは、ならば出世祝いに何かやろうと言った。


 そして今贈ったものは、耳飾りだ。街に行って選んだ、デザイン性があることはもちろん、身を飾ることが目的のもの。


 主役として使われているのは魔石ではなく、宝石。太陽よりも、月明かりが似合いそうな青。


 どうだ、とリーデリアは弟子の反応を見る。

 しかし、弟子は箱の中を見たまま動かない。表情も。

 あれ?


「……師匠」

「なんだ、嫌だったか」

「嫌です」


 何だって?

 予想外の言葉が返ってきて、反応できず、固まってしまった。


「……み、耳飾りの代わりに耳飾りというのは、安易だったか? それなら」

「またいなくなるようで、嫌ですよ」


 慣れない狼狽をしたリーデリアの声を遮る形で、重ねられた「嫌」は。

 弟子が顔を上げた。


「師匠、今からでも、めるという道はありませんか」

「無い」


 考えるよりも先に、無意識が返事をした。


 即答に弟子が顔を歪めて、リーデリアは苦しくなる。

 弟子にこういう顔をさせるために戻ってきたくはなかった。だが、リーデリアは。


「すまない、弟子。わたしは、止まれない」


 無理なんだ。


「俺は、あなたがいなくならなければ、それでいい。神々が何をしようと、俺の周辺の世界が、師匠がいなくならなければどうだっていい。そう思っているとすれば、失望しますか」

「……そうだな」


 弟子の纏う空気が強張った。


「冗談だ」

「……その冗談は心臓に悪すぎます」

「わたしがきみに失望する日は永遠に来ないだろうよ、弟子」


 心配するな、と軽い口調で言いながら、リーデリアはふっと息を吐いた。失望のため息ではない。


 この弟子が、少し前、浮かべた表情と溢した言葉を思い出していた。

 以前とは異なる姿がちらつく場面も、思い出す。


 成長した部分ではない。成長の部分は目覚ましく、眩しいくらいだった。


 だが、再会してからの弟子の態度のうち、以前には見られなかった種類のものがある。



 三度、懸念の言葉を聞いた。

 一度目は、再会した日。神を消すと言ったリーデリアに、彼は危険なことは反対だと言った。

 二度目は先日、急ぎすぎだと言われた。

 三度目は今。実行が目先に迫っている段階での、今からでも止めないかという言葉。


「ヴォルフ、きみは百年の時を過ごしたな」

「そうですね」

「長かったか」

「……短くは、ありませんでした」

「そうだろうな」


 リーデリアは百年経ったとはまだ実感がない部分がある。実感したのは、知り合いがほぼ全員死んだことによることのみだ。

 けれど、この弟子は百年の時を過ごしたのだ。


「きみはわたしを待っていたと言った」

「はい」

「……こんなことを言うべきではないかもしれないが、……きみは、わたしを待ちすぎたよ」


 ヴォルフ、きみは待ちすぎた。

 何を思い、そこまで待ち続けてくれていたのかは分からないが、待ち続けていてくれすぎた。


 そしてリーデリアは、ヴォルフの前に現れるべきではなかったのかもしれないと思う。勝手だが、そう思う部分がある。


 嬉しかった。安心した。待っていてくれたのに、待たせてしまってすまないと思った。


 だが、この弟子は、師匠を失うことをとても恐れるようになってしまっていた。

 これでは、駄目だ。


「それは──」


 弟子はそんなことを言われるとは思わなかったのか、目を見開いて、しかし、呟く。


「ろくに師匠に褒められることがなかったので、死ねませんよ」

「……そんなに褒めなかったか?」

「お菓子を作ったときはよく褒められましたね。いっそ菓子職人にでもなるかと思ったときもありました」

「そうだったのか」

「冗談です」


 冗談か。


「今回、上手くいったら褒めてくれますか?」

「上手くいくに決まっている。それに、もうすでによくやってくれているよ」


 頭が上がらないほどに、世話になった。色々な便宜を図ってくれた。

 リーデリアは微笑んだ。


「……分かりました。この段階になって、すみませんでした、師匠」

「いいよ」


 弟子は謝罪と共に引き下がった。


 耳飾り自体は嬉しかったのだと、付け加えたから、それが一番安心してしまったかもしれない。

 だって、完全に喜んでもらえると思っていた。思い込みは良くない。






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