第38話 何を食ったらそんなデカくなるんだ?

 すっかり日も落ちた夜。少しの寒さも、みんなで火を囲んでいれば温かい。

 炭を燃やし、肉を焼き、いい感じの串からとっていく。そんな食事を通じて、アキラもルリもすっかり周りに馴染んでいた。

 ユイのクラスメイトの女子3人も、突然参加することになったルリやアキラを歓迎してくれた。もともと人懐っこい性格に加えて、向こうもキャンプで浮かれているのだろう。


「じゃあ、ユイちゃんが言ってた『綺麗な店員さん』って、ルリさんの事だったんですね」

「え?ユイがそんなことを?」

「あーっ!イア殿。それは内緒でござるよ。しー、でござる」

「で、こっちがユイちゃんの初恋のアキラさんかー」

「カオリ殿!?違うでござるよ。初弟子でござる。初弟子!」

「いや、俺は弟子入りした覚えがないんだが?」

「ふぅん……アキラさん、とってもカッコイイよねー。アタシの恋人にならない?」

「アミ殿っ!!」

「ふふふっ。冗談だよ。じょーだん。盗ったりしないから安心してよ。……ところで、アキラさんはルリさんと付き合ってるの?それとも、ユイちゃんと?」

「もーっ!やめるでござるよ」


 大変賑やかというか、姦しいというか――

「……」

 その奥。少し離れてその様子を見守る男が一人。

 ユイの叔父上である。もともと無口なのか、それとも若い連中のノリが合わないのか、椅子に座ったままノンアルコールビールを傾けている。

 アキラは、彼の事が少し気になった。


「あ、あのー、タダカズさん?」

 適当な串を持って話しかけると、相手は細い目をやや見開いてアキラを睨んだ。

「ひっ……」

 それなりに運動が得意で、喧嘩も強いはずのアキラ。そんな彼が委縮するのも無理はない。ユイの叔父は、身長2mを優に超える大男なのだ。

 筋肉粒々の身体もさることながら、身にまとう雰囲気も、どこか普通じゃない。大きな上半身のせいで、座っているのにアキラと同じ目線の高さだ。

「タダカツである」

「はい?」

「だから、我はタダカズではない。タダカツである。天地 唯一あまち ただかつだ」

「し、失礼しました。タダカツさん」

 アキラが訂正すると、タダカツは笑う。

「ふふっ……よい。我の名前は、よく間違われる。漢字表記だと、どちらとも読めるので、余計にな」

「そ、そうなんですか?」

「うむ。漢数字の一と書いて、数を意味するため『かず』とも読む。また一位を意味するとして『かつ』とも読むらしい。我が小学生の頃、賞状を貰ったのだが、そのルビも間違っていてな。がっはっはっは」

「あ、あははー」

 意外と、話し始めればフランクな人なのかもしれない。

「それで、我に何か用か?アキラよ」

「あ、えっと……食ってますか?これ、いい感じに焼けてますよ」

「おお、かたじけない。気の利く男だな」

(かたじけないって、本当に言う人いるんだなぁ……)

 ユイのキャラの濃さも、案外この人に影響を受けたのではないかと勘繰るアキラであった。




「いやいや、拙者のビレッタレーサーは最高でござるよ。実際、多くのロード乗りを葬ってきた強力な車体でござる」

「最速と最高は違います。確かにママチャリとは思えない速度ですが、そのために失った強度や安全性が問題だと言っているのです」


 向こうで、ルリとユイの声が聞こえる。

(あの二人、またやってるのか)

 と、アキラは軽く聞き流すことにした。

 顔を合わせれば喧嘩ばかり。二人とも自転車が好きなのに、その思想はまったく相容れない。それでも、

(ああやって本気で喧嘩できるのも、なんだかんだで仲がいいからなんだろうな)

 元から友達だったわけではなく、最初は店員と客の関係だと聞いている。ということは、最初からあんな感じで喧嘩が絶えなかったのだろう。それでも一緒にいて、偶然会ったらこうして食事に誘ってくれるくらいに仲がいいとは、貴重な関係である。

 だからこそ、アキラは仲裁に入るのを辞めた。やらせておけばいいのである。思いっきり、好きなだけ――

 ところが、タダカツは立ち上がった。そして、二人の元へと歩いていく。

「え?あ、タダカツさん?」

 アキラが止めようとしたが、遅かった。

「ルリ、と言ったか。姪が何か無礼でも?」

 すっ、とユイの頭に手を乗せて、タダカツがルリを見る。その様子に、ルリも委縮しかけた。ユイはこれぞ好機とばかりに、タダカツを味方につける。

「叔父上。ルリ姉が酷いのでござるよ。拙者のビレッタ・レーサーを『危険な改造』だと言うのでござる」

「ふむ……」

 ユイのママチャリ……ビレッタは、度重なる改造により大きく変形させられている。本来なら入らないはずのロードバイク規格のパーツを、いくつも組み込んでいた。

 それを組み込んだのは、他ならないタダカツなのだが、

「なるほど。ルリの意見も一理ある」

「え?叔父上?」

「ユイよ。我は改造の際に言ったはずだ。この改造は悪魔と契約して速度を得るに等しい、とな」

「むう……それは、そうでござるが……」

 まさかのルリに加担するタダカツ。これは当てが外れたと、ユイもうつむく。胸の前で両手の指を絡ませ、不満そうに頬を膨らませるユイ。その頭を撫でながら、タダカツは再びルリに向き直る。


「しかし、ルリよ。自転車とは元来、危険なものではないか?特に、我々の乗るロードバイクはそうだ。細いタイヤに、薄っぺらなフレーム。速度さえあれば安全性など二の次。それは自転車業界の本来の在り方であるはずだ」

「納得がいきません」

 ルリが反論する。タダカツより頭4つ分くらい低い背。そのせいでかなり上を向かないと視線が合わない。首を痛めそうだ。

 それでも、ルリはずいっと前に踏み出す。

「メーカーやレース協会が研鑽を積み、一定の強度を補償した私たちのロードバイクと、ただの一般人が勝手に改造をしたママチャリと――それが同じ安全性だと、私は思えません」

「同じだとは言ってない。ただ、多いか少ないかの違いしかないと言っているのだ」

「そこが大違いです」

「相容れぬか」

 同じロードバイク乗りでも、ロードバイクを危険だというものもいれば、安全だというものもいる。見ている基準が違ったり、考え方が違ったり、だ。

 どちらの主張が正しいというわけでもない。間違っているというわけでもない。おそらく十人いれば、十人とも違う答えを見出す。そんな話だ。


「俺は――」

 アキラが、ルリとタダカツの間に割って入る。そっとルリを手で押しのけ――直接触れているわけではないが、後ろ手で押すようなジェスチャーで下がらせて、

「アキラ様?」

 押されるままに数歩下がったルリをかばうように、アキラはタダカツを睨んだ。

「俺は、ルリの言うことが正しいと思う」

「ほう?……なぜだ?」

「理屈なんかないです。でも、ルリが言うことを、俺は信じたい」

 周囲に、ピリピリとした空気が流れる。気まぐれに吹く風の音や、近くではじける炭の音、肉から落ちる油の燃える音さえ、その戦いの空気を濃くしていく。


「わ、私……なんか難しい話は分からないけど、さ。せっかくだから喧嘩しないで、みんな仲良くしよ?ね」

 ユイの友達の……イアとか言ったか。黒縁のアンダーリム眼鏡をかけた少女が作り笑顔で言う。

「あ、ああ、悪い。そうだな」

「喧嘩――ではないつもりでしたが、失礼しました。イア様」

 アキラとルリが、少しのモヤモヤを残しながら引く。考えてもみれば、ユイに誘われてご相伴に与っただけの二人だ。なりゆきとはいえ、今の態度はあまり良くない。

 そんな遠慮がちな態度が、

(気に入らんな)

 と、タダカツは思った。せっかく来てくれたのだ。たとえ思想が違っていたとしても、遠慮なくぶつかり合える関係を、彼は望んでいた。

 何より、気分が優れない。このまま周囲の空気だけを良くしても、当事者である自分がモヤモヤを抱えたままになる。それがタダカツ的には気に入らなかった。


 なので、


「ルリ。そしてアキラ。両名しばし付き合え」

「え?」

「ん?」

「なに、大したことではない。このままの気分で食事を続けても楽しくなかろう。ひとまずの決着をつけて、すっきりと禍根なく話せればと思ってな。それに……」

 タダカツがイアを見る。見られたイアは、ただのんきに首を傾げた。背が高いというだけで周囲から怖がられることが多いタダカツにとって、彼女のように自分を怖がらない人は貴重だ。だからこそ、

「イアたちも、せっかくのパーティを気遣いで終えたくはなかろう。我も今日は機嫌が良いのでな。イアたちのために余興を演じたくなった」

「よきょー?」

「うむ。自転車乗りが意を違えた時、それは真剣勝負の時を意味する。そして、我々が魂をぶつけ合わせ戦うのであれば、その戦い方は、ただひとつしかない!」

 背を向けず、アキラたちを見たまま後ろに歩くタダカツ。そのままキャンピングカーに近づくと、くるりと身体を翻す。

 その一瞬のうちに、彼は車の屋根に固定されたロードバイク――ユイが借りていた大きな車体――その固定を外して抜き取った。


 ズギャァアッ!


 金属の擦れる音とともに解き放たれたロードバイクを、片手で持って突きつける。

「自転車レースで決着をつけようぞ。我と、貴公らと、どちらが自転車をよりるのか、これで決まる」

「そ、そんな……」

 ルリが反論しようとしたのを、タダカツが手に持った車体で制する。ずいっと目の前に車輪を向けられたルリは、息をのんだ。

 そこに、小声でタダカツが囁く。

「なに、我とて本気で、速さが全てだとは思ってない。ただ、余興だと言ったはずだ。小難しい理屈は後ほど、また別な機会があれば聞く。この競走は気晴らしにすぎぬぞ」

 地面に触れることなく、空中でからからと回る車輪。その真新しいタイヤに、ルリはそっと手を振れた。回転が止まる。

「分かりました。そういう事なら、お受けします」

「アキラは?」

「俺っすか?……まあ、面白そうだし、やりましょうか」

「決まりだな」

 アキラが本当にただ、面白そうだというだけの理由で頷く。するとタダカツも、機嫌よさげに口角を釣り上げた。

「えっと……ユイちゃん。これってどういう状況?」

「あー、まあ……拙者の叔父上も含めて、自転車バカしかおらぬという事でござるよ」

 イアにそう言ったユイでさえ、実はこの状況を楽しんでいた。

(拙者も、ビレッタを持ってきていれば参加したのでござるが……うーむ)




 ただの公道に、自転車が3台並ぶ。アキラのローマと、ルリのアイローネ。そしてタダカツの、正体不明のロードバイク。

 本来なら身長190cmの長身でも乗れるように設計されたはずのその車体は、214cmもの身長があるタダカツには窮屈そうだった。まるで子供用自転車に無理やり乗る大人だ。

「一般的なロードレースにおいても同じことが言えるが、此度の戦は公道を勝手に使用する。ゆえに、交通ルールは守って、安全に配慮すること。それを怠った場合は中止、失格とする。いいな?」

「当然ですね」

「ま、そうだよな」

 コースは、人通りの少ない道路。山を下って折り返し地点のコンビニを目指し、そこでUターンして戻ってくる。それだけのシンプルな競争だ。

「アキラ様。正直に言いますが、勝つことをさほど考えないでください。今日一日ずっと走っていた私たちは、それなりに体力を消耗しています」

 ルリが言った。その声は、アキラだけでなくタダカツにも聞こえる。

「ふむ……そうであったか。ならば我はハンデとして、貴公らが出発してから20分後に出よう」

「え?20分も?」

「お言葉ですが、それだけあれば私たちは折り返し地点を超えますよ?」

「構わぬ。我は本日、大した労働をしていないのでな。ちょうどいいハンデだ」

 タダカツがそう言うなら、断る理由もない。もともと、余興でやるだけのレースだ。お互いのプライドのようなものは賭かっているが、それ以外の何も賭けていない。



「では、スタート合図は拙者がやらせてもらうでござる。ごー、とぅー、ざ、ったーと(位置について)」

 相変わらず、舌足らずなのかネイティブなのか分からない英語発音で、ユイが合図する。

「ぅれりー(ようい)」

 フラッグの代わりなのか、その辺にあったタオルを振り上げるユイ。そのまま、思いっきりジャンプする。

「ごー!(どん)」

 掛け声と、ジャンプ後の着地、そしてタオルを振り下ろす動作が、全て絶妙にズレた。

「でござる」

 と、余計な一言まで追加して完成。これがユイ流、スタート合図である。

「タイミング取りづれぇよ!?」

「全くです」

「ユイがすまぬ事をした。我のハンデを10秒ほど延長して詫びる」

「拙者が悪者になってるでござる!?」

 タダカツのハンデが本人の申し出で10秒延長される中、アキラたちは気の抜けたスタートを切った。


「さて、どうせやるなら勝ちたいよな」

 アキラが言う。ルリも前を向いたまま、走りながら頷いた。

「アキラ様がそう望むなら、私は全力でサポートいたします」

「お、あのデカブツに勝つ方法があるのか?」

「ええ。別に自転車は、身長が高いから有利になるというスポーツでもありません。まして相手は私たちを舐め切っています。20分のハンデもありますので、負ける方が難しいかと」

 そっと、ルリがサングラスをかける。本気モードだ。

「夜なのに、サングラス?」

「はい。これで砂ぼこりや虫などの飛来物を防ぎます。自転車乗りにとってサングラスとは、太陽光を避けるだけの物ではありません」

「でも、見づらくないか?」

「このレンズは、暗い所でもよく見えます。……逆に言えば、明るいところでの強い日差しをカットすることは苦手ですが」

 左右が繋がった、黄色いレンズ。顔にぴったりとフィットする流線型のそれは、とてもスポーティだった。

「アキラ様の分も、ありますよ。私のお古ですが」

 そう言って、似たようなサングラスを勧めてくる。

「あ、ありがとうな」

 かけてみれば、確かに明るい。なんなら暖色系の目の錯覚で、裸眼より明るく感じるほどだ。



「それでは、アキラ様。相手の出発前に大差をつけてやりましょう。そのためにも、曲がり方を改めてレクチャーします」

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