Agitato——Settimo Capitolo

 康嗣がその喫茶店に到着すると、既に3人は揃っていた。


「遅ぇよ、コージ。お前が呼び出したんだろ?」


 約束の時間の5分前だ。

 遅刻し訳でもないが、いきなり佑太から噛み付かれた。


「悪いな、急に呼び出して」

「そう思ってるなら俺達より早く来たらどうだ?」


 佑太が煙草の煙を吐き出す。


「ユータ、辞めろ」


 雅樹が注意すると佑太は大きな舌打ちをした。


「僕たちもさっき来たばっかりだから気にしないで、コージ」

「ヒカル!そうやってコイツを甘やかすから!」

「ユータ!辞めろ」


 再び雅樹に注意される。

 吸っていた煙草に火を乱暴に灰皿で消し、佑太は明後日の方を向いて黙った。


「で、話って何だ、コージ」


 雅樹は真剣な眼差しで康嗣を見据えた。

 恐らく、3人全員が既に分かっているだろう。

 康嗣は一度深呼吸をして、雅樹の目を見て言った。


「バンドを、辞めさせてくれ」


 康嗣達のテーブルだけ、重い沈黙がのしかかって来る。

 やけに周りの音が大きく聞こえる中、雅樹はゆっくりと口を開いた。


「まず、理由を聞かせてくれ」


 康嗣はもう一度深呼吸をしてから話し始めた。


「『辞めたいから』じゃ、ダメか……?」

「……、ダメだ。それならもっと前に言い出してもおかしくないだろ。何故今、そう思ったんだ」

「もう、耐えられない……」

「耐えられないってなんだよ」


 佑太が鼻で笑いながら言った。


「まるで俺達のせいみたいじゃねーか!ふざけんな!」


 佑太が立ち上がり、康嗣の胸倉を掴んだ。


「ユータ、落ち着け」


 雅樹が止めに入ろうとするが、それを振り払う。


「だっておかしいだろ!悪いのはお前じゃねーか!練習サボって、女遊びして、他のバンドにも迷惑かけて!」

「ユータ!」


 店内の注目を集めていた。

 しかし、佑太の怒りは収まらない。 


「この際言わせてもらうがな!いつもお前の尻拭いをしてきたは雅樹なんだよ!それを『耐えられない』だぁ!」

「ユータ!迷惑になる!」


 流石に店員がやって来た。


「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので……」

「すみません……。ユータ、外に出てろ」

「でも!」

「いいから、外に出てろ!」

「……、チッ!」


 佑太は千円札をテーブルに叩きつけて外へ向かった。


「悪かったな……」

「いや、ユータの言う通り、全部俺のせいだ。すまない……」


 康嗣は深々と頭を下げた。


「それで、なんで今になって辞めたいの?」


 今まで黙っていた輝が口を開く。


「実はね、この間のライブの時、ナギちゃんからコージの事を聞かれたよ」

「あぁ、ナギから聞いてる……」

「それで、ナギちゃんに言われて初めて気が付いたよ。コージがちゃんと練習してるって事に」


 輝は申し訳なさそうに言った。


「ごめんね、今まで全然気付かなかった。コージはコージで必死に僕らに追いつこうとしてくれてたんだよね……」

「でも、全然追いつけない……。必死になればなるほど、お前らが遠くなっていく気がした……」

「なんで俺達に相談しなかった……?ギターの練習にも付き合ったのに……」


 雅樹が溜息混じりに言った。

 その溜息は、康嗣の努力に気付いていなかった自分自身に対して吐いたものだと分かる。


「お前らにだけは頼りたくなかった……」


 康嗣は俯いたまま続ける。


「お前らに頼ったら、それは俺の実力で上手くなったものじゃない気がしたんだ。結局、お前らに迷惑をかけてるだけな気がした。それが何よりも嫌だったんだ……」


 そこまで言って、康嗣は再び顔を上げる。


「だから、辞めさせてくれ。お願いだ、辞めさせて、ください……」


 再びの沈黙。

 康嗣の頭の中には、高校1年の時のライブの思い出が流れていた。

 笑い合ってバンドをしていた時の記憶。

 それが、こんなにも遡らないとならない事が、ただただ歯痒い。

 腿の上で握り締めた拳に自分の涙が落ちる。


「コージ、俺達と上手くなろう」


 雅樹が康嗣の肩を叩く。


「時間が掛かってもいい。少しずつでいい。上手くなろう」

「そうだよ、またみんなでバンドやろう?」


 2人の優しい言葉。

 しかし、それが余計に康嗣を苦しめているのだ。


「ダメだ……。お前たちは3人でデビューできるんだ……。頼む……、俺を見捨ててくれ……。これ以上、俺のせいで足踏みしないでくれ!」


 溢れ出した涙が止まらなかった。


「コージ……」


 輝が康嗣の背中を撫でる。


「……、分かった、コージ。お前の脱退を認める」

「マサキ!」

「俺達は、もう充分苦しんだ。もう、終わりにしよう……」

「マサキ……」


 雅樹はコーヒー代の伝票を取り、席を立った。


「ありがとう……」

「で、コージ。音楽は、辞めるのか……?」


 テーブルから少し離れた雅樹が立ち止まり、振り返りもせずに康嗣に訊ねた。


「音楽は……、俺なりに、続けようと思う……。ダメかな……?」


 雅樹は康嗣のその言葉を聞くと、何も言わず、レジで会計を済ませ出口へ向かう。

 康嗣の横を通り過ぎる。


「いいに決まってんだろ。いつか、対バン出来る時を楽しみにしてる」


 そう言い残し、輝と一緒に退店していった。


「ありがとう……」


 誰もいなくなったテーブルで、康嗣は泣きながら呟いた。

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