Agitato——Sesto Capitolo

 渚は康嗣の帰りを待っていた。

 康嗣の事だ、打ち上げにも参加せずに帰って来るだろう。

 あのバンドに康嗣の居場所はない。

 今までどれ程の居心地の悪さを我慢していたのか。


「みんな馬鹿よ……」


 康嗣のベッドに腰掛けたまま渚は拳を握り締めた。

 その時、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。


「コージ!」


 渚が玄関に出迎えに行くと、ギグバッグを背負った康嗣と、その後ろに見知らぬ女が立っていた。


「ナギ……」

「あれ?ナギちゃんじゃない!?」

「え??」


 知らない女からいきなり名前を呼ばれ、一方的に握手される。


「ナギちゃんだ!私、ファンなの!」

「コージ、この人誰……?」

「知らん。勝手に付いてきた」

「いやいや、追い払えよ……」


 渚は頭を抱えた。


「うんうん、ありがとう。とりあえず、今日の所は帰ってもらえると嬉しいんだけど……」

「あ、もしかして、二人って付き合ってるとか?やだー、早く言ってよコージ君!」


 何故この女はこんなにもテンションが高いのか、渚には理解できなかった。


「いや、別に付き合ってる訳じゃ……」

「ええ、付き合ってます。この後セックスしますので、お引き取り下さい」


 康嗣が喋るのを遮るように渚がそう言い放ち、ぴしゃりとドアを閉めた。

 サムターンを回し、チェーンも掛ける。


「おい、勘違いされたらどうすんだよ!」

「んな事言ってる場合か!いいから座れ!」


 渚が怒鳴る。

 意味が分からない康嗣は目を白黒させていた。

 ドアの向こうの女は「そういうプレイが好きなのね」などと言いながら去っていく。

 完全に勘違いされているが、康嗣は激昂している渚をどうにかするのが先決だと思った。


「ナギ、どうしたんだよ急に」

「いいから座れ馬鹿!」


 言われる通り、康嗣は渚の目の前座った。

 空気を読んで、ちゃんと正座だ。


「今すぐバンド辞めなさい、コージ」


 先程よりトーンを落とした声で渚が言った。


「え?」

「何度も言わせるな!バンド辞めろ!」


 唐突過ぎる。

 康嗣の理解は置いてけぼりだ。


「何で急に……」

「あのバンドにいても、絶対にコージは上手くなれない。腐るだけよ」


 渚の言葉を聞いて、康嗣は何となく理解した。

 それと同時に、あぁ、なるほどと納得した。

 自分でも笑ってしまうくらいにアッサリとだ。


「アイツらの為に言ってるんだろ……?俺がいなくなればデビューも夢じゃないって……」


 康嗣のその言葉に渚は更にキレた。


「知るか!あの三人の事なんか、私の知った事か!!どーでもいいんだよアイツらは!!」

「あっ、すいません……。じゃあ、どうして……?」


 怯えている康嗣を見ながら、渚は深い溜息を吐きながら頭をカリカリと掻いた。


「誰もコージを見てないからよ」

「え?」

「コージは上手くなってるよ、確実に。だけど、それに目を向けようともしないなんて、もうメンバーとすら言えない。だから辞めよう、バンド」


 それを聞いて康嗣は俯いた。


「俺さ、なんでバンドやってんだろうな」

「え?」

「バンドが楽しいと思えたのは、ホントに最初の方だけだったんだ。高2の時には既に実力差が付き始めて、追いつけなくなっていった。そこからずっと苦痛だった。なんで続けてたんだろ……」


 康嗣の目から涙が溢れ出した。


「俺もかっこよくなれると思ってた。ビリー・ジョーみたいになれると思ってた。けど、俺じゃなかったんだ……。それに気が付いていたのに、いつまでもしがみ付いて……」


 渚は思わず康嗣の頬を叩いた。


「音楽が好きなんでしょ!ビリーはビリー!コージはビリーにはなれないよ!けど、アンタだってロックンローラーだろ!」

「俺はスターにはなれない……」

「スターじゃないとロック出来ないのか!誰が決めたんだ!アタシだってスターじゃない!だけどロックやってんだよ!アンタだってロックが好きなんだろ!!」


 渚は康嗣の胸倉を掴む。

 渚も泣いていた。

 康嗣にはその涙が意味するものが分からなかった。


「ナギ……」

「私だってまだ下手くそだ!完璧だと思えたライブなんて一回もない!だけどやるんだよ!だからやるんだよ!アンタの中にもあんだろ!ロックへの、音楽への気持ちが!その気持ちを殺すな!」


 渚に言われて思い出した。

 高1の初ライブ。

 演奏も歌もダメダメだった。

 だけど、観客の生徒達は沸いていた。

 その時に感じた、バンドと観客、会場の一体感。

 次はもっといいライブにしようと四人で誓った事。


「アンタの気持ちはアンタのモンだ!だけど!それを勝手に殺す事は私が許さない!絶対に許されない!」


 渚はそう言うと泣き崩れた。

 自分の代わりに泣きじゃくる渚を優しく抱き締めた。


「『自信の舵をとって 自分の見失わないようにしないと』か……」


 康嗣は渚の頭を撫でながら呟いた。


「……エッチするぞ」


 渚がボソリと呟いた。


「ア……?渚サン……、ナニカ言イマシタ……?」


 康嗣は自分の耳を疑った。

 疑ったついでに片言になる。


「うるせぇ!エッチするって言ってんだよ!」


 何故か再びキレ始める渚。


「落ち着け!な?とにかく、落ち着け!」


 康嗣は必死に渚を宥める。


「うるせぇ!服脱げ!」


 渚が落ち着く様子は全くなかった。

 康嗣を剥こうとする渚と貞操を死守せんとする康嗣の攻防が始まる。

 と言っても、康嗣の貞操など無いに等しいのだが。


「おい、辞めろ!俺、汗臭いし!な?」

「コージの匂いは好きだからいいの!」


 奇妙は告白タイムである。

 通常、いい雰囲気の中で囁くべき言葉なのだが、全くもってムードもクソもない。

 お互いそんな事に気づく事もなく、傍から見るとじゃれ合っている様にしか見えない戦いが続く。


「何なんだよ!」

「だいたい!さっきの女はなんなの!」


 渚が思い出したように言った。

 先程の謎の握手女だ。


「だから、勝手に付いて……」

「んな訳あるかぁ!!」


 再び渚が激昂する。

 康嗣の抵抗も虚しく、結局は渚に抱かれる事になった。

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