Con Fuoco——Sesto Capitolo

 新社長のお陰で土曜の出勤もなくなった。

 それぞれがプライベートを謳歌できる環境になった。

 西谷と本木の交際も順調に進んでいるという情報を加藤は手に入れていた。

 情報ソースはもちろん菊永だ。

 また、小野と秦はよく二人で飲みに行っている。

 あの歓迎会以来、本当に仲がいい。

 それと、山内と那珂川の二人が同棲している事が部署内にバレた。

 3日前の事だった。

 すっぱ抜いたのは、やはり信頼と実績の敏腕菊永だった。

 何かと一緒の事が多く、怪しいとみんなが思っていたが、新しく所属したメンバーに直接は聞きづらかった。

 そのジレンマを壊したのは菊永の「同棲してて困る事って何?」と言う質問だった。

 鳩が豆鉄砲を食ったよう顔の山内が今でも目に浮かぶ。

 一瞬場が凍り付いたことは言うまでもない。

 しかも、それを山内ではなく、天然の入った那珂川に聞くあたりが菊永の恐ろしさだ。

 山内は少し神経質な性格をしている。

 職場でバレない様にしていたのは恐らく山内だ。

 それを分かった上で、那珂川に聞いた。

 しかし、その質問に対する那珂川の答えが「ヤリたくなる周期が若干ズレてる事ですかねー」だったのには菊永も予想外だっただろう。

 しばらく笑い声がオフィスに響いた。

 そして、加藤は菊永の立派なキープ君になった。

 金曜の夜には菊永のマンションへ呼び出される。

 気分次第で平日の呼び出しもあり、応じなければ次の営業日に報復がある。

 気を遣わなくていい相手なので楽なのは楽だ。

 そして今日も加藤は菊永のマンションにいた。


「最近、みんな楽しそうよね」


 バスタオルを身体に巻き、タオルで髪を拭きながら菊永が浴室から出てきた。


「労働環境が改善したのが大きいですね」


 加藤は菊永のベッドで文庫本を読んでいた。


「加藤君もよく笑うようになったし」

「そうですか?」


 菊永がベッドの淵に座る。


「仕事、楽しくなったんでしょ?」

「まぁ、そうですね。諒子さんとこういう関係になるとも思ってなかったですし」

「私も、加藤君がこんなに居心地の良いとは思わなかったわ」

「人を家みたいに言わないで下さい」

「だってホントなんだもん」


 そう言って菊永が抱き付いてくる。


「そういえば、今日は怜子ちゃんのライヴに行くんじゃなかった?」

「それは夕方です。それとも、遠回しに早く帰れって言ってるんですか?」

「うふふ」

「何ですか、その笑みは……」

「『俺はキープ君にはならない』とか言ってた癖に、私の家に入り浸ってるなぁって」

「暇つぶしにはいいかなと思って」

「それはちょっとヒドくない?」

「キープ君呼ばわりしてるのもヒドいと思いますけど?」

「うふふ」

「だいたい、俺以外に何人キープ君がいるんですか」

「それ聞いちゃうの?気になっちゃう系?」

「なんで嬉しそうなんですか……」

「何に対しても興味がない加藤君が、そんな事を聞いてくるとは思わなかったから。いい傾向かなって」

「何なんですか……。もしかして、ヤキモチ焼いてるとでも思ってるんですか?」

「そこまでの感情はないでしょ?どちらかと言うとただの興味。怖いもの見たさに近い」

「よくご存じで。諒子さんは占い師でも食っていけそうですよね」

「そうかしら?副業でも始めようかな」


 菊永は嬉しそうに笑っている。

 考えてみれば、何とも奇妙な関係になってしまった。

 いわゆるセフレと言う関係だが、お互いにそれがちょうどいいのだ。

 深入りしたくないし、されたくない。

 恋愛なんてめんどくさい。

 仕事以外で体力や気力を使いたくないのだ。

 しかし、菊永はそれとも違う。

 数人の男と関係を持つこと自体はどうでもいいのだ。

 それを周りに隠す事に快感を覚えている。

 こんな関係になって2週間と経っていないが、それは分かった。

 菊永と言う人間は、他人から何かを隠す事を生き甲斐に生きている。

 何とも歪んだ人間だと加藤は思った。


「結局、キープ君の人数は教えてくれないんですね」

「え?あぁ、ホントに気になる?」

「何か、そこまで引っ張られると聞く気が失せます」

「何よそれ、ヒドい」


 落ち込んだ振りを見せたかと思うと、真剣な目で加藤を見つめてくる。


「キープは貴方を含めて3人。ただ、肉体関係は貴方だけよ」

「……、何を企んでるんですか?」

「事実よ?私の事が信じられない?」


 正直、信じられない。

 ただ、ここでそんな嘘を吐いた所でメリットはないし、事実だとしてもデメリットもない。


「……、まぁ、信じますよ」

「嘘を吐くメリットも、事実を述べるデメリットもないと判断したわね?」

「ええ。嘘を吐いた所で、俺が諒子さんにのめり込む事はないし、事実だとしても、それを俺が言い触らしても俺自身の評価を下げる結果しかないかと。だったら本当の事かなと思いました」

「加藤君、それじゃホントにモテないわよ?」

「余計なお世話です」

「加藤君ってさ、女の子から告白されて付き合うけど、結局は女の子から振られるタイプよね」

「うるさいです」

「何でも頭で考えてないで、たまには本能に従ってみたら?」


 そう言って菊永が唇を重ねてくる。

 そういうアンタは本能に従い過ぎじゃないかとは流石に言わなかった。

 それから加藤は15時くらいまで菊永のマンションで過ごした。


 ♪


 ライヴハウスの前に着くと知った顔が数名いた。


「加藤さん、遅いですよー」

「え?みんな呼ばれてたんですか?」

「怜子ちゃん、部署全員に声掛けてたからね。まぁ、実際に来れたのはこれだけみたい」


 小野が説明してくれた。

 その他には、秦、山内、那珂川、菊永がいた。


「あ!来てくれたんですね!」


 村石が駆け寄ってきた。


「こっちが受付です!ゲストリストに入れてるんで、名前を言ってもらったらそのまま入れますよ!」


 ライヴハウスの入り口に案内される。

 髪色をアッシュに染めた女性が笑顔で対応してくれた。

 中に入ると独特の空気が満ちていた。

 入って右手後ろにバーカウンターがある。

 左手に伸びる壁を伝ってラウンジエリアを抜けると、角を斜めに利用したステージがあった。


「これがライヴハウスか……」


 バンドをやっていたと言っても、加藤はライヴハウスデビューはしていない。

 学校の文化祭レベルのステージしか経験がないのだ。

 ステージ前のフロアにはそこそこ人が集まっている。


「結構人気なんだね、怜子ちゃんのバンド」

「まぁ、3組くらい出るみたいですしね」

「加藤ぉ!酒飲まない?」


 小野と秦は既に飲み始めていた。

 山内は那珂川に飲まされている。


「いえ、まだいいです」

「連れないなぁー、菊永さんは?」

「私もまだいいかな」


 ステージに人が出てきた。

 そろそろ始まるのだろう。

 ちなみに、村石たちのバンドは3番目、トリを飾るらしい。


「なんか、こっちが緊張するね」

「独特の緊張感ですね」


 加藤と菊永は柱の右側に並んで立っていた。

 すると、加藤の袖を誰かが引っ張った。


「ん?村石さん?」

「どうしたの?」

「加藤さんにお願いが……」

「え?」


 村石が言うには、リードギターが怪我で出れなくなったらしく、代わりに出てほしいというものだった。


「ちょっと待って、俺には無理だよ!」

「無理とかそういう話じゃないんです!とにかく来て下さい!」


 村石に無理矢理手を引かれ、一度外に出てスタッフ用の出入り口を通る。


「だいたい、急な怪我って何!?」

「ドアに指挟んで流血です!今、病院に連れていかれました!」


 控室に駆け込んだ。

 他のバンドのメンバーも集まっていた。


「代打連れてきたよ!」

「ちょっと待って、俺には無理だって!」

「アンタ、あん時の」

「こちら、私と同じ職場の加藤さん!」

「ど、どうも……」

「こっちから、セカンドギターのルー君とドラムのタケ君」

「加藤さん、ギター出来るって聞いたんですけど」


 ルーが話しかけてきた。

 何処となく日本人離れした顔をした金髪の美青年だ。


「出来るって言っても昔学生バンドでやってくらいですよ」

「今日のリードは僕がやります。加藤さん、バッキング出来ます?」

「大丈夫!加藤さんなら出来る!メインヴォーカルもお願いします!これ、今日のセットリストです!」


 有無を言わせずに紙を手渡される。


「今回はカバー曲ばっかりだからどうにかなるでしょ」

「レイ、簡単に言うな。コイツは素人だぞ」


 タケが噛みついてくる。

 あの時加藤を睨んだのはこいつだ。

 185cmの長身で細身ながら筋肉質。

 少し近寄りがたい見た目だ。


「それを言ったら私たちもプロじゃないんだから」

「コイツが上手いのかも分からんのに、いきなりライヴとか無理だろ。3人でやった方がマシだ」

「レイ一人に歌わせるのは酷だよ。3曲は声がもたない」

「ツインでやっと声が通るのに、一人だと全然通らないよ。それに、加藤さんはウチに入れるつもりだから、前哨戦って事で!」

「いやいや、ちょっと待って」

「加藤さんは……、カートでいいかな?とりあえず、3曲のスコアがこれ。本番まで僕と練習ね!」


 ルーがギターと楽譜バンドスコアを渡してきた。


「世界一美しいギター……」

「俺がいつも使ってるホワイトファルコン。今日はリードでレスポール使うから、そっち使ってね、カート。ジャガーじゃなくてごめんね!」


 カートと言うのは加藤のニックネームなのだろう。


「ニルヴァーナじゃないから大丈夫ですよ」

「伝わるのは嬉しいなぁ」


 加藤とルーが笑い合う。


「それよりちゃんと集中して下さい!」


 村石が叱ってくる。

 タケは不服そうにゴム製のパッドをスティックで叩いていた。

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