女子高生【は】拾わない。

悠生ゆう

1

 体が重い。

 別に太ったわけではない。体重計に乗っていないから正確なところは分からないけれど。恐らく体重は落ちていると思う。

 特にこの二週間は食べる時間も寝る時間も削って仕事に打ち込んできた。

 大学を卒業して入った中堅の広告代理店の仕事は楽しい。提案が採用されたり、クライアントから喜ばれたりすれば疲れも吹き飛ぶ。

 入社して三年。いい仲間にも恵まれ、それなりに経験を積み重ねてきた。

 そしてようやくはじめてプロジェクトリーダーを任されることになったのだ。

 その抜擢は飛び上がるほどうれしかったけれど、同時に大きなプレッシャーもあった。この仕事の成否が今後の仕事に大きく影響するだろうと思う。

 だから絶対に失敗はできない。これまで以上に慎重に丁寧に細心の注意を払って取り組んできた。

 企画自体はなかなかいいモノができたと思う。上司や先輩たちにも上々の評価をもらった。問題はそれをいかにクライアントにプレゼンをするかだ。どんなにいいプランでもプレゼンが失敗すれば受け入れてもらえない。穴はないか、足りない情報はないか、説得力を増すにはどうすればいいのか、プロジェクトチームで何度も打ち合わせをして資料を集め作ってきた。

 先輩たちからは「もっと肩の力を抜いて」とか「いつも通りにやれば大丈夫だから」とか「しっかり休まないといい仕事はできないぞ」なんて言葉を代わる代わる投げかけられていた。

 そのプレゼンを明日に控えてもう少し資料の最終チェックやプレゼンの練習をしておきたかった。けれど先輩から「準備は終わっているんでしょう。もう帰りなさい。しっかり寝て、体調を整えるのも仕事の内だからね」と会社を追い出されたのだ。

 何度確認しても不安が拭えないのだけれど、先輩の言う通り、フラフラの状態でプレゼンに望んでもいい結果が出せないような気がする。

 日付が変わる前に家に帰れるのは何日ぶりだろう。

 家に着いたら熱いお風呂に入って疲れをとろう。そしてキンキンに冷えたビールを飲んでベッドに潜り込むのだ。ぐっすり眠って明日は万全の状態でプレゼンに挑もう。

 私は重い体に鞭打つように足を速めた。

 私の住むマンションが視界に入った。あと数分後には家に着く。お風呂を沸かしている間に先にビールを一本だけ飲んでしまおう。そう考えた途端、急に喉が渇いてくる。

 そのときマンションの入り口近くに人影が見えた。少し目を細めて人影を探る。それはセーラー服を着た小柄な少女だった。

 時刻はもう十時を回っている。塾帰りの中学生か高校生だろうか。そう考えた瞬間、私の体がさらに重くなったように感じた。

 プロジェクトリーダーを任された頃から、毎朝駅で見かける高校生の姿にモヤモヤとした気持ちを抱くようになっていた。

 些細なことで楽しそうに笑い合う彼女たちを見ていると何とも言えない気持ちになってしまうのだ。

 私だって七年前までは女子高生だった。些細なことで笑い合い、毎日楽しく過ごしていた。だけど今になって思うと、何がそんなに楽しかったのだろうと首を捻りたくなる。

 高校生の頃には高校生なりの悩みがあった。だけど大きなプレッシャーがかかっている今は、高校生が悩みもなくキラキラと輝く青春を過ごす異星人に見えてしまう。

 高校生に対して抱いてしまうモヤモヤがただのやっかみで八つ当たりだということは自覚している。自覚しているから余計に気が重くなるのだ。

 私はできるだけその少女を見ないようにして足早に通り過ぎようとした。

「おねえさん」

 少し震えていたけれど、その見た目よりは大人っぽく感じる声がした。自分に掛けられた声だと思わずに辺りを見回したが、そこにいるのは私と少女だけだ。

「おねえさん」

 二度目の声は震えていない。そしてその瞳は真っすぐに私を見据えていた。

「えっと、私?」

「はい。おねえさんです」

 セミロングの髪を二つに結わえた少女はニッコリと笑う。こんな時間のこんな状況でなければ、純粋にかわいい笑顔だと思えただろう。

 この近所で見たことのない制服だったが、薄化粧をした大人びた表情から高校生だろうと推測した。

「何かご用ですか?」

 道にでも迷ったのかもしれない。私は質問をすると同時に頭の中に近隣地図を広げて目印になりそうな建物やお店をざっとリストアップする。

「あ、あの……ひろって……」

「……ヒロッテ? そんな名前の場所知らないけど……」

「いえ、そうじゃなくて、私を拾ってください」

「は?」

「私を拾って欲しいんです」

 少女が何を言っているのか理解した瞬間、私は「お断りします」と即答した。

「少しくらい考えてください」

「考える余地はありません。お断りします」

 それだけ言って立ち去ろうと歩みを進めると、少女は思った以上に強い力で私の腕を引いて引き止めた。

「どうしてですか?」

 その少女の態度に少し恐怖を感じる。いくら仕事でヘロヘロでもこの少女と比べたら私の方が体格はいい。力で押し負けることはないだろう。そう考えたら少し冷静になれた。

「見ず知らずの高校生を拾う理由がありません」

 私はきっぱりと言いながら少女の顔を改めてじっくりと見る。生徒会役員をしていると言われれば「やっぱりね」と素直に思えてしまえるような大人しい真面目な雰囲気がある。とても見ず知らずの大人に「拾ってくれ」なんて要望を突き付けるタイプには見えない。

 もしかしてどこかで会ったことがあるのだろうかと思い記憶を探るが一致する顔は浮かばない。

「どうしてですか? おねえさん、女子高生がお好きですよね?」

 少女の爆弾発言に思わず目を見開いた。

「好きではありません!」

 ここははっきり言っておかなくてはいけないところだ。

「え、うそ……そんなはずは……」

「好きではありません」

 少女は本当に予想外だったという顔で慌てふためいている。どうしてそんな思い込みをしていたのか理解できない。

「え、じゃ、じゃあ、猫だったら拾ってくれますか?」

 意味が分からない。

「猫も拾いません」

「じゃあ、何だったら拾ってくれるんですか!」

 少女はパニックになっているのか、すっかり支離滅裂になっていた。

 そんな少女の様子に何か理由があるのかもしれないと思ったが、私は結論を変える気はなかった。大事なプレゼンを前に厄介ごとを抱え込むのは御免だ。

「何であろうと拾う気はありません」

「そ、それなら、保護してあげようとか、思いませんか?」

「保護と言うのなら、警察に連絡しますけど?」

 すると少女は、途端に顔をこわばらせて首を横に振った。

「いえ、大丈夫です。もう、帰ります」

 そう言うと少女はそそくさと走り去った。私は暗闇の中に少女の背中が消えるまで見送る。

 少女が完全に立ち去ったことを確認してどっと疲れが押し寄せてきた。

 以前、こんな題材のドラマについて同僚と話をしたことがある。そのときは「いいねー、私もかわいい子を拾って癒されたいよ」と気楽に言っていた。だが現実に起きてみると癒しとは程遠いものだった。

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