第2話

 昌也が外に出たところ、人の数はいつもと同じ、もしくはやや多いか、といった程度であった。もっとパニックでごった返しているのでは、と想像していたため少し拍子抜けしたが、この異常事態に外出を控えている人もあろう事は理解できた。何せ昌也自身、外には出てみたものの、なんとなく足が覚束ない感覚はあった。サングラスで視界がレンズの色に染まって見えるのとそれほど変わらないのでは、とも思ったが、裸眼であらゆる色がおかしいというのは、これほどまでに強烈な違和感のあることであったか、と痛感した。周りの人間もみな、恐る恐るこの見慣れぬ世界を歩いていた。

 昌也は信号を見て、青になるのを待って渡ったのだが、点灯している場所は違っていた。どうやら信号の青は赤に、赤は青に見えているようなのだが、その状態であっても、車も人も、赤で止まり、青で進む、ということをしていた。これだけあらゆるものがおかしな色に見えても、人は見慣れたものに従うのだと思うと、妙に合点がいった。

 紫とピンクのロゴのセブンイレブンに辿り着くと、商品はまばらであった。地震の時と同様に、買い占める人が多少はいたのか、それとも輸送のトラックがまともに運行できていないのか。なんともわからないが、先行きの不安を感じた昌也は、缶詰やバックの白米といった食料、それといくつかの飲料を、詰められるだけ買い物カゴに詰め込み、レジで煙草を2ダース頼み、緑色の顔をした店員に代金を支払った。

 コンビニを出て、店の脇で腰を下ろし、買ったものをバックパックに収めた。それから煙草に火を点けて、鮮やかな紫の炎をしげしげと見つめ、ペットボトルのコーヒーを飲みながら、改めて街の様子を眺めた。

 赤い葉の街路樹、ピンクの空、ブルーのアスファルトに緑の顔の人々。はっきりとはわからないが、青が赤に、赤が青に、といった単純なズレでもないように思えた。信号については確かにそれらが綺麗に逆転した状態ではあったが、そもそも信号の青、というのは緑色である。

 スマートフォンのカメラをインカメラに切り替えて自分の顔を見る。やはり緑色の顔をしていて、気色悪いことこの上なかった。昌也は自分の面構えについて、それほど不細工でもなかろうという認識だったのだが、今の顔色では、顔の造作の悪いところが、余計に悪く見えるように感じられた。

 やがて多少は落ち着きと余裕を取り戻した昌也は、明日のことが気になり始めたので、会社の上司である藤井康之にメールを送ってみようと思った。会社役員でもない一課長たる藤井に、明日以降どうなるか、なんてことがわかるわけもないだろうと思いつつ、一応は直属の上司であるし、ひとまず意見を聞いてみようと思い、短い文面のメールを送信した。

“月形です。こんな状況ですが、藤井さん明日どうします。”

 昌也は大手出版社の、雑誌を編集する部署に属している。明日は担当する月刊誌の次号の、記事の文面およびページのレイアウトを確認して、入稿しなくてはいけない日であった。文字を読むのはともかく、写真などはどう考えても、まともにチェック出来る気がしない。とはいえ読者の方もまともに見れないのは一緒なのだから、適当でも問題ないか。そもそも締切に間に合わせたとして、この状況で雑誌など見ようという人がいるのだろうか。

 そんなことを考えているとすぐさま藤井から折り返しの着信があった。昌也は慌てて電話に出た。

「ああ月形。藤井です。」

「お疲れさまです。大変なことになっちゃいましたね。」

「そうね。ただまあ、どうなるかはわからないけど、明日は可能な限り、普通に出勤してもらえるかな。さっき書籍部の北原課長から連絡あって、そっちのヘルプに回される可能性もあるみたいだから。」

「というと。」

「雑誌はともかく、実用書なんかだとさ、色に関する説明文が重要な本ってあるだろ。それをどうするか、この事態が長引くのであれば直さないといけないかどうか、みたいなことを今、中堅クラスが緊急ウェブ会議してるみたいでさ。」

「なるほど。」

「ウチ、子供がパニクっちゃってさ。俺、明日の朝学校まで送って行って、少し遅れて出勤するから、月形、その間宜しく頼むよ。」

「わかりました。電話ありがとうございました。」

 この事態が長引くかどうか、か。考えたくないな。明日起きたらまたすっかり元通り、って事はないんだろうか。考えながら、また歩き始めた。

(続く)

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