六、薬屋



紗莉シャリー様、今日の診察の時間ですよ」


 薄い戸の前で、园司ヤンスーはぶっきらぼうに言い放ち、彼女達が来たことを告げる。

 不思議なことに、园司の口調を叱るような声が飛んでくる事もなく「どうぞ」と細い声がなんとか耳に届いた。

 そして、园司が戸を開いた。

 戸の中はまさに両班ヤンバンの住む部屋だと目で見て分かるほどに、小物アクセサリーが入れられてるであろう小さな棚や、部屋の中央に横たわる長い机、その手前に置かれた来客用の座布団、奥に置かれた大きな箱など全てが、汚れ一つ見当たらず、それでいて時代を感じさせるような優しく洗練された装飾を施されている。

 けばけばしい派手さなど無いが、豪奢さを失わない、気品溢れる雰囲気は、部屋に沢山の窓が用意され、陽の光を部屋いっぱいに集めるように工夫されているからだろうか。

 そんな部屋の主は前髪を綺麗に真ん中で分け、大きめに編んだ三つ編みを後頭部でひとつにまとめ、立派な珊瑚の簪を刺した髪型で、まさに気品のある佇まいだ。


 蝴蝶と秤娘だけ部屋の中へ入り、恭しい礼の儀を行う。二人の礼見届けた後に、紗莉はにっこりと笑った。


「よく来て下さいました。まずは脈を診て頂けますか。」


 まるで急かすように、紗莉は目の前の長机へ、袖をまくって顕にした白い腕を置く。

 蝴蝶が膝をすって前へ出て、親指の真下の手首へ人差し指と中指を置いて目を閉じる。


「───。はい、脈は昨日と同じく、ご懐妊の徴をはっきりと刻んでおります。」


 蝴蝶のその言葉に、紗莉は絵に描いたように胸を撫で下ろす。どうやら、毎日気が気ではないようだ。


「ですが、これから先、お腹に元気な子を宿し、母子共に健康な状態で出産に臨むためには、今のままでは難しいかと。」


 先程まで安堵に頬を綻ばせていた紗莉は、蝴蝶が続けた言葉に顔を強ばらせる。

 そして、机の上に身を乗り出す。


「そっ、それはどういう意味ですか?まさか私の体に何か問題が、病でも──。」


 先程までの落ち着いた美しさなど取り払い、助けを求める雛鳥かのようなか細く情けない声で、蝴蝶を問い詰める。


「私どもが処方したもの以外の生薬を服用されていますね?」


 蝴蝶の冷たい、真実を突き詰めるかのような鋭い言葉に、紗莉はまくし立てていた言葉を引っ込めて飲み込んだ。

 何も言わないということは、肯定でしかない。


「その事を聞きましたので、本日はこちらの秤娘という医女を連れてきました。以前は宮廷でも働いていた、我が西の恵民署が誇る薬学に明るい医女です。」


 そこで秤娘はぱちりと紗莉と目が合う。目だけ伏せて先に挨拶をする。


「はじめまして、紗莉様。この度はご懐妊誠におめでとうございます。」


 袖に顔を埋めながら、まずはじめに当たり障りのないお祝いの言葉を贈る。


「先程も紹介された通り、私は生薬、軟膏の調合を任されている医女の秤娘です。」


 自己紹介を始める秤娘を、紗莉は細い眉どうしを近づけ、ただ黙って見守っている。


「ですので、紗莉様が飲んでおられる生薬が本当にお身体に良いのかどうかが分かります。一度お見せください。」


 秤娘からの懇願に、眉間に皺をよせていた眉を情けなさそうに下げて、白い指は床を這って小さな木箱までたどり着く。

 手のひらには少し余るほどの大きさをもった木箱は、余計な装飾などなく、何かを保存するためだけのものだと分からせる。

 かたり、と音をたてて開けられた木箱から、生薬独特の匂いがぷんと香る。


「─なるほど。」


 誰にも聞かれないような小さな声で、独りごちる秤娘。口の端は少しだけ上がっている。

 その中に入っていたのは、大ぶりの丸薬だった。


「牛のですね?」


 匂いと見た目だけでそれを何かあてた秤娘に、紗莉は驚きのあまり目を大きくさせる。それは蝴蝶も例外なく驚いたが、牛の肝だと聞いて直ぐに青筋をたてて声をあげた。


「牛の肝ですって!?そんなもの──!」


 激情のまま口走ろうとする蝴蝶を、手で制止する秤娘。


「こちらの丸薬は、どういった経緯で手に入れましたか?」


 効能や、服用して正しいかどうかの話をするのはまだ早いと言うかのように、秤娘はまず入手経路について尋ねた。

 だが、紗莉は申し訳なさそうにまごついたあと、口を開いた。


「すみません───こちらの薬、入手経路やお薬屋さんのことを他言しないという条件で売っていただいたので」


 彼女はそのまま目を逸らし、言葉を止める。

 これ以上の詮索は無駄だと察すると共に、秤娘は頭の中である事柄と結びつけていた。

 近年、間王国の国民で流行している"健康意識"。永らく平和の続いたこの王国では、趣味や道楽の幅が広がり、幸せが多様化している。

 その幸せを永く感じるために、国民達は健康を意識することで寿命の延伸を測おり、大きな健康流行ブームが広がっていた。

 なかでも健康になることへ金銭を惜しまないのが貴族階級の両班達であり、彼らを対象ターゲットとした商品も多い。

 そして、健康流行が広がり始めた時から、かなり精度の高い生薬を売り捌く正体の掴めないが存在していた。

 秤娘が王宮へ呼ばれた件も、この薬屋の正体を暴くために呼ばれたのだが、ついぞその尻尾すら掴むことも出来ず、解散となったのだ。


 その薬屋は決まって、自身の正体を絶対に話さないことと、民間人が調合するにしてはかなり質のいい生薬になっていることと、深い生薬の知識がある事が伺える。

 此度の丸薬である牛の肝とは、本来ならば目に良いものとして飲む事が薦められる代物だ。しかし、牛の肝に含まれる成分として、造血を助ける働きをするものもある。

 こうした、本来の目的とは隠れた部分にある効能を理解している処方から、かなり薬学の知識に長けている事が伺えるのだ。

 正しく服用すれば、妊婦の助けになる丸薬には違いない。

 正しく服用すれば、だが────。


「では、こちらを処方された方は、この丸薬をどれ程の頻度で飲むように仰いましたか?」


 ここからが、が王宮で捜索される理由となったところ。


「特に、指定はされませんでした。こういうものは飲めば飲むほど効くと仰っていたので、一日に五、六錠ほど飲んでいます。」


 薬屋は多く生薬を売るためか、かなりの頻度で飲むように、必ず薦める事が分かっている。

 生薬とは飲み方一つで、毒にも薬にもなってしまう。

 過剰な服薬オーバードラッグは、限りなく人体の健康を蝕むことになってしまう。

 そのため、かなり精度の高い生薬を売っているというのに、服用方法だけをわざと過剰にしている薬屋の正体を、王宮は知りたがった。


「───紗莉様、こちらの丸薬ですが、確かに子供を身ごもっておられる婦人の助けとなります。選択は間違っていません。」


 王宮にて働いたことがあり、さらに現役で恵民署の薬庫の管理責任者を任されている彼女に太鼓判を押され、紗莉は顔を綻ばせた。


「正しく飲むことが出来れば、ですが。」


 一歩後ろへ下がり、腰を落ち着けた秤娘は袖に顔を埋めたままだが、その鋭い瞳は紗莉を貫いた。


「紗莉様が利用された薬屋は、こちらの界隈ではかなり有名でして。質が高く、効能も確かで、薬学の知識に明るい者が売っている。」


 秤娘は薬屋を褒めているはずなのに、えも言えぬ緊張感が部屋の中を漂う。

 彼女に制止されてから、後ろでただ控えているだけになった蝴蝶も、緊張感に喉を鳴らして唾を飲む。


「そして、我が利益のために過剰な服薬を薦める者として───。」


 産まれてから恵民署で生きてきた蝴蝶は、そのような薬屋の正体など聞いたことも無かったが、過剰な服薬を薦めると聞いて、いつもは冷静でどのような感情も出さない秤娘が、言葉に怒りをはらませている理由を理解した。


「こちらの丸薬、身篭っておられる方が過剰に服用された場合」



 秤娘は自身の感情を冷めさせるために、一息吐く。



「異形の赤子が産まれるということが報告されています。」





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