二十八、不躾な来訪



「追えッ!」


 もうすぐ天の一番上に太陽がたどり着く、というような時間帯。

 一人の足音と、それを追う複数の足音。

 砂利を蹴る慌ただしさに、道々の人は慌てて通路を作る。


「これは殿下の威厳に関わるッ!必ずや捕らえるぞ!」


 大勢の足音を引き連れて歩く男は、朱色の官服に身を包み、帽子には珍しい孔雀の羽が刺されていることから、この集団で一番偉い人物であることが伺える。


「はあっ、はあっ」


 それらから逃げ、肺が切れそうな程に激しい呼吸を繰り返しながら足を出す男もまた、朱色の官服に身を包み、追ってくる男のもののように派手ではないが、同じ帽子、といってもボロボロだが、それを被っていた。


「はあっ、春柳チュンリゥッ、ウッ、はあ、」


 逃げる男は吐息と風をかき混ぜながら、愛しい女の名前を呼ぶ。

 そのあいだにも逃げる男は街中の、ありとあらゆるものを壊しながら障害物を作る。


「春ッ────ッア"ッ!?」


 しかし、男の逃走劇はあまりにも呆気なく終焉が訪れる。

 男は、気がつけば、右半身を打ち付けるような痛みを覚える。

 口の中に入る砂利の不快感と、これ以上前に進むことがなくなった体から、己の身体が地面に伏したのだと理解するのは、その数秒後。

 倒れてしまったことを自覚した後、考えることは、何故倒れてしまったか、である。

 しかし、男がその答えにたどり着くことを待っていられない、はやく気がつけと急かすように、右脹脛が燃えるように熱くなる。


「っ、だぁ、あ、」


 なんとか腕で上半身を起こし、熱源である右脹脛を見れば、一本の矢が刺さっていた。

 この感覚は熱いのではなく、痛みだと目で理解してしまった途端、痛い、という単語が思考を占拠する。

 痛い。痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い。


「よくやった、これで奴を捕え──」


 孔雀の羽を帽子に刺した男は、走る足を止めずに笑う。

 が、その笑顔はすぐに、かの男の足を止めた時と同じように、ヒュン、と空気を割く鳴き声で固まる。


「やめっ、あ、っあ、ッッ!」


 集団から撃ち放たれる矢は、男の足を止めただけでは飽き足らず、さらに何本も、男の肉を喰らう。

 咄嗟に頭を被った腕に、腹に、既に穴の空いた右足に、無防備に体重を支える方の腕に。


「お前達ッ!やめろ、やめろ!ここで殺してしまっては意味が無い!手を止め、捕まえる事に専念しろ!」


 この矢の嵐は、追いかけていた孔雀の羽を帽子に刺した男でさえも想定外の事であったようで、腕を伸ばしてやめるように指示をする。

 すぐさま倒れた男に駆け寄り、身体を起こすが反応は無い。


「まずい、この事が知れたら──」



──────────



蝴蝶フーティエちゃん、傷の具合はどうなの?」


 蝴蝶の病床ベッドに上半身を預け、そう尋ねるのは恵民署に入院して長くなる、柳のような女だ。

 未だに彼女の記憶は戻らず終いだが、術後一層明るくなってきた彼女の様子から診て、蝴蝶の傷が治り、万全に動けるようになり次第、術式を行う運びとなっていた。


「まあまあね。さすがは花精ファジン様といったところかしら」


 素直に褒めるという事が出来ない蝴蝶に、柳のような女は彼女の本心を見透かしたように、くすりと笑う。


「すまないッ!ここに、何でも治す名医が居ると聞いて、やって来た!」


 恵民署ヘミンソの古い木の扉をくぐり、腹の底から出した声は、御座の敷かれた青空診察室だけでなく、蝴蝶の居る病室まで響いた。

 名は呼ばれていないが、誰の事かはすぐに分かる。


「なんでも治せる、というわけではないですけども」


 青空診察室のもと、御座の上で湿疹を訴える幼子に軟膏を塗っていたご指名の名医は、いつものように貼り付けた笑みを浮かべ、立ち上がる。

 立ち上がるだけで、桃源郷に咲く花のような香りを振りまき、桃源郷の河川で衣を干し、水浴びをする天女の戯れ声のような美しい声で話し、頭の頂点でひとつに結われた長い黒髪は風の寵愛を受け、揺蕩う。

 美しいという単語だけでは心が納得いかない程の麗しき名医を前に、門の下で大声を上げた男は同性であるにも関わらず、頬を赤らめてたじろぐ。

 しかし、それもすぐに男自身が首を振って、なんとか妖魔からの誘惑に打ち勝つ。


「何があっても治して欲しい患者が居る。お前達、恵民署の者たちには拒否権が無いと思え」


 何故これ程までに、男の尊大な態度を可能にするかというと、それは着ている官服から察する事が出来る。

 男の官服は、朱色だ。官服の色には青や緑など様々に色分けをされているが、なかでも一番身分の高い色が、朱色である。

 この国の王も、朱色の服に身を包んでいる。

 その朱色の官服からさらに、身分を決定づけるのは胸章の有無。

 有れば偉い、無ければそこそこ。

 有っても一番上の身分、王には麒麟があしらわれている。

 そんなわけで、この朱色に身を包む官服の男、出で立ちと声の大きさ、粗暴さから武官だと察せるが胸章が無い。

 そこそこに偉いので、朱色の官服を着れる人物など居ないであろう恵民署の者達に、こうも粗暴なのだ。

 男は指名した医官服に身を包むこの美丈夫が、実は朱色の官服を着て、胸には例外の花があしらわれた胸章をつける人物などとは、夢にも思っていないだろうが。


「尽力はします」

「失敗すれば、命は無いものと思え」


 絶対に助けろ、と言われた際、花精が返すお決まりの文句を許さぬ勢いで睨みつける男。

 嗚呼、厄介な事に巻き込まれたな、と花精は仮面の裏に思惑を隠した。


「して、肝心の病人は?」


 これ以上何を言っても無駄だと、先に話を進める花精。

 後ろでは何も言わずとも、园丁ヤンディンが控えている。


「これだ」


 男が手に持っていた、三つに枝分かれした刺又の持ち手の方を、地面に突き刺す。

 それを合図に男たちの揃った「はっ!」という声が響くと、数人の男に担がれた、体格の良い、同じ朱色の官服の男が現れた。

 朱色の服で分かりにくいが、所々血で濡れており、ちらりと覗く肌にも血の伝った跡が見える。

 意識があるとも思えない状態の男に、花精は慌てて駆け寄った。


「何故こんな事に!」


「それは教えられない。お前は、こいつを治すだけでよい」


 一瞬、帽子に飾られた孔雀羽を揺らす男と、花精の視線が絡み合う。

 が、すぐに花精はそれを解き、血塗れの男の首筋へ手を宛てがう。


「脈拍確認、しかし弱い──。一刻も争う。急いで術式の準備を!」


 最早花精の慣れたその指示に、医官も医女も迷いなく動く。

 血塗れの男は、园丁と他の医官に担がれて施術室へ連れられて行く時に、花精は蝴蝶を探した。

 しかし、蝴蝶を呼びかけた唇は、何も発すること無く、閉じられた。彼女が病み上がりだったことを、思い出す。


「また、私一人でやらなければな。」



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