第二十一話 棺桶は1LDKで

 成と渚を乗せた飛行機が羽田空港に到着した。着陸時の振動で渚は目を覚ました。

 いつの間に眠っていたのか、と渚は目を擦った。隣を見ると、成はしっかりと起きていたようだ。

 渚は夢を見ていた。それも自分がまだ、頃の夢だ。

 どうして今になって、あの時の出来事を夢に見たんだろう。

 このまましばらくぼんやりと考えていたかったが、成に促され席を立った。


 羽田空港から新宿駅までは電車で移動し、到着する頃にはもう夕方になっていた。成と渚があの駅のホームで出会った日と同じ空の色。成にはあの日のことが随分昔の出来事のように感じられた。

 成と渚は駅を出てコンビニへ向かった。

「この前、来た時さ」

 渚がぽつりと話し始めた。

「うん?」

「旅の前日に成君と新宿で会った時、私カッコつけて『成君と新宿の街を歩くのはこれが最後だから』って言ってたけど、また来ちゃったね。あー恥ずかし」

「まさか、四国から樹海へ行くことになるとは思わなかったもんな」

 成は新宿の街並みや人々を眺めながら言った。

 駅前でみすぼらしい服装の男が、アフリカの紛争に対する各国の対応へ抗議の意を示すプラカードを掲げていた。

「あーいうのってさ、なんで本人達に直接言わないんだろうね。そんなこと、私に言われても困る」

「それこそ本人に言ったらどうだ? そんなこと、俺に言われても困る」

「嫌だよ。面倒臭いし、何かされたら嫌だし……あ」

「そういうことだ」

「そういうことなの?」


 コンビニで買い物を済ませた後、バスターミナルでチケットを買い、河口湖行きの高速バスに乗った。今日は河口湖駅の近くの旅館に泊まり、明日青木ヶ原の樹海に向かうことにした。

 バスが市街地から高速道路に入ると、やがて薄闇の中に小高い山々が見えてきた。渚はずっと窓の外の景色を見ていた。

 暇を持て余した成は試しにキオへメールを送ってみることを思いついた。ただ一言「生きてるか?」とだけメールを送り、返事を待つことにした。もし生きていても、返信ができる状態だとは思えないが。


 バスが河口湖駅前に到着する頃には、時刻は二十時を過ぎていた。この時間でも駅前には観光客の姿が多く見られた。

 タクシーに乗り、河口湖方面へ数分走ると予約していた旅館へ着いた。そこは和風で趣がありながらも、綺麗に整った内装の旅館だった。

 渚はごく当たり前のことのように二人で同じ部屋を借りた。当然のことながら今までは男女で部屋を分けていたので成は一瞬ドキリとしたが、傍から見れば観光に来たカップルにしか見えないし、そうする方が自然だと納得することにした。二人で来て別々の部屋を借りる方がかえって怪しまれてしまうだろう。

 成と渚は宿泊部屋に荷物を置いた後、旅館の外に出て夕飯を食べられる店を探した。何を食べるか二人で散々迷った挙句、吉田うどんを食べることになった。

 最後の晩餐がうどんというのは少々質素な気もするが、まあ人生なんて意外とそういうものなのだろう。

 味わい深い汁に絡む、コシの強い太麺に成は舌鼓を打った。


 旅館に戻り、温泉にでも入ろうかと思っていたら、渚が「お風呂に入る前に一汗かかない?」と成を部屋から引っ張り出した。

 卓球ルームに連れて行かれ、しばらく温泉卓球をした。渚は「私は昔、卓球少女として世間を賑わせた」と豪語したが、元卓球部の成の相手にはならなかった。温泉卓球でも容赦のない成のボールを必死で追いかけていた。

「なんか、生きてるって感じだね」

 渚は成にボロ負けして汗だくになっているのに、楽しそうに笑った。

 成も少しだけ息が上がった。心臓が脈打ち、体が汗ばんだ。自分がまだ生きていることを証明しようとしているかのように。


 その後、二人は河口湖の景色が見える露天風呂をそれぞれ満喫し、浴衣に着替えて部屋に戻った。

 化粧を落とした渚はいつもより更にあどけない雰囲気になっていた。これなら別に化粧をしなくてもいいんじゃないかと思ったが、きっとそうはいかないのだろう。女とは面倒な生き物だなと成は同情した。

 もう他にやることがなくなったので、お茶を飲みながらテレビを見ていた。すると、ニュース番組でアナウンサーが芸能人の訃報を伝えた。

「成君」

 渚がテーブルに頬杖を突きながら言った。

「訃報ってなんだかドキドキしない?」

「なんで?」

「今までみんなに愛されていたものが急に消えてしまって、その悲しみをみんなで共有する。人の歴史がほんの少しだけ動く。そんな感じ」

「……よく分かんないけど、ご冥福をお祈りしろよ」

「成君が死んだらご冥福をお祈りするよ」

「棺桶は1LDKで頼む」

「ルームサービスも付けてあげるよ」

「あっそ」

 成はあくびをした。けど、渚は気にせずに続けた。

「明日のことなんだけどさー」

 話があっちこっちに行くな、と成は思った。

「なんだ?」

「どうやって死ぬの?」

 成は渚の方を見て固まってしまった。そういえば、保留にされたまま決めていなかった。

「どうしようか」

「もう、自分の自殺なんだから、他人事にならないでよね」

「すまぬ」

「とりあえず、首が吊れるロープは持って来たけど」

 結局首吊りになるのか。まあ、何事も王道が一番だ。成はそう思うことにした。

「あとは樹海を歩きながら考えるよ」

「そうやって、すぐ後回しにする」

 渚が膨れた。

「なあ」

「何?」

「キオの死亡は確認できないか?」

「報道されてるところは見なかったけど、あの当たり方なら間違いないよ」

「……そうか」

 今日キオに送ったメールの返信は来ていない。渚が何か知っているかと思ったが、やはり結果は分からずじまいだ。

 報道されていないということは、死亡事故ではなくて怪我で済んだのではないだろうか。成はそう推測しようとしたが、すぐにやめた。

 キオが生きていようが死んでいようがもう関係のないことだ、どっちにしろ俺も明日には死んでしまうのだから。


 渚が朝の散歩をしたいと言い出し、明日は朝八時に旅館を出ることになった。成と渚は明日に備えて早めに寝ることに決め、布団を並べて敷いた。渚は成の布団から五センチメートル離して自分の布団を敷いた。離れたいのか離れたくないのかよく分からない距離だった。二人は薄手の布団に潜って消灯した。

 成は横になってもなかなか寝付けなかった。エアコンは効いているのに妙に蒸し暑く、何度も寝返りを打った。

 渚は成に背を向けて静かに眠っている。

 寝付きが良くて羨ましい。その代わり寝起きは悪いようだが。もしかして、もうミチコがいないから俺が起こさなくちゃいけないのか?

 消灯してからしばらく経ったが、どう足掻いても眠れそうにないのでスマホをいじることにした。

 隣でスマホをいじっていても、渚はやはり何も言わない。寝息も立てず、そこにいるのに気配すら感じられなかった。極端に言えば、死んでいるようにさえ見えた。

 そんな渚を横目にスマホをいじりながら、明日のことについて考えてみたが、自分が明日死ぬということが上手くイメージできなかった。それはまるで別の世界の出来事のように思える。渚の言う通り、他人事になっていた。

 もう一度、眠っている渚を眺めてみる。

 明日死ぬんだから餞別に渚が一発やらせてくれる展開を期待しなかったわけではないが、何も起こらなかった。いや、こういうのは男の方から誘わなきゃいけないのか。しかし、当然のごとく成にはそんな度胸はなかった。

 スマホで掲示板サイトやニュースサイトを巡回していると、メールが一通届いた。

 妙だと思った。時刻は午後十一時。メールマガジンが届く時間帯ではない。それに、自慢ではないが成には連絡をよこしてくれる友達などはほとんどいない。

 まさか。

 もしかして、キオだろうか。やっぱりあいつは生きていたのか?

 ようやく訪れようとしていた眠気が、一気に吹き飛んだ。成はゆっくり呼吸し、落ち着いた動作でそのメールを開いた。

 すると、そこには予想外の世界から送られてきた、思いがけない便りがあった。


【川端渓人】

 どうやら賭けは僕の勝ちのようですね


 その文面を見た途端、息を呑んだ。

 ケイトは生きていたのか。

 成は、自分が素直に喜んでいることをひしひしと感じていた。

 自分は他人に無関心だと思っていた。ケイトの死は受け入れたつもりだった。それなのに、その死が不確かなものだったとはいえ、死んでいたと思っていた人間が今でも存在していて、話ができるということは嬉しく思った。

 ケイトが生きていたことは嬉しい。それは良い。しかし、だ。

 成は、ケイトが死んだと聞かされた時、渚はそれを目撃したのではなく殺害していた、あるいはそこまでいかなくともケイトの死に大きく関与していたと疑っていた。しかし、このメールによってその疑いが晴れたことが、喜びとしてじわりじわりとこみ上げてきた。

 渚は殺人者ではなかったんだ。

 成は、心の綻びが綺麗に縫い合わされていくような気がした。

 居ても立っても居られなくなり、返信ではなくケイトに電話することにした。渚を起こさないようにそっと部屋を抜け出し、旅館のロビーに行った。

 この時間なのでロビーには受付カウンターの従業員の他には誰もいなかった。成はロビーの窓際にあるソファーに腰掛け、深呼吸をした。そして、スマホの画面でケイトの電話番号をタップし、発信した。

「もしもし」

 ケイトはすぐに電話に出た。

「もしもし」

「こんばんは、成さん」

「お前、生きていたのか」

「どうでしょう? 僕が今いるのは、もしかしたら死後の世界かもしれませんよ」

「アホか」

 数日ぶりにケイトの減らず口を聞いて安堵した。ケイトが生きていることを実感した。

 しかし、ケイトには聞きたいことが山ほどあった。

「お前は橋から飛び降りて自殺したと聞いたんだが?」

「成さん、質問に答えるのは賭けに負けた方ですよ。キオさんが自殺したそうじゃないですか」

 ケイトは得意気に言った。すっかり忘れていたが「誰が最初に自殺するか」を当てるという賭けで、負けた方は勝った方の質問に正直に答えるという約束をしていた。

「そんなのは無効だね。キオの死亡は確定していないし、ミチコはもう帰ってしまった」

「また屁理屈を……。最初から言うこと聞く気なんてなかったんじゃないですかい?」

「かもな」

 成はニヤリと笑った。

「まあ、ややこしいんで賭けの話は一旦置いておきましょう」

「ところで、なんでキオのこと知ってんだ?」

 何がどうなっているのか分からないが、少なくともキオが車に飛び込んだ時、ケイトはあの場にいなかった。

「ああ、やなはるに聞いたんですよ」

「……やなはる?」

 その名をどこかで聞いたことがあるような気もしたが、すぐには思い出せなかった。

「渚さんの本名です」

「渚のこと、何か知っているのか?」

 成が驚いて訊くと、ケイトはで目を伏せ、「何かなんてもんじゃないさ」と自虐的に笑った。

「それが最初の質問の答えにもなります。積もる話はありますが、まずはやなはるのことについて話さなくてはなりません」

 ケイトは少し間を置いた。そして、静かな口調で語り始めた。

「聞いてください、蒼井やなはるという女について。そして、この旅が一体何だったのかを」

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