第七話 オズの魔法使い

「ミチコちゃん、よく来てくれたわ。さ、座って、座って」

 渚が吉高美知子を空いている席に座らせた。彼女のこともミチコと親しげに下の名前で呼んでいるようだ。

 まずは再度自己紹介をした。ミチコは高校二年生で現在は十六歳だ。なぜ日曜日に制服を着ているのかは分からない。おそらく学校の部活動でもあったのだろう。

 小柄であどけない容姿のせいか、成は最初、中学生が入って来たと思って少し焦った。高校生なら死んでもいいというわけではないが、罪の錘が一個だけ減ったような気がした。

 一同はこれまでの話の流れを説明し、ついでに渚が考案したドラマチックな自殺方法についても話した。

「それ、なんだか素敵ですね」

 意外にもミチコには好評だった。

「そうでしょ? やっぱり、おなごには分かるもんだね~」

 渚は喜んでいたが、きっと一般的で善良で常識があるおなごには理解できまいと成は確信していた。

「それと、キオさんが言ってた、一緒に死ぬ人の件、私がやってもいいです!」 ミチコが息巻いた。

「気持ちは有難いが、うーん」キオは唸った。

 さすがに未成年を自殺に巻き込むのは抵抗があるのだろう、キオは躊躇していた。それに対してミチコはよほど辛いことがあったのか、自殺に対して、仕事を欲しがる新入社員のように積極的だった。その様にはフレッシュさすら感じられた。

 ミチコは渚とキオの自殺に関して自分の意見をいろいろと述べた。成はあまり話をしたくないので聞き手に徹した。過去を詮索してはいけないということなので、自分以外のメンバーがどういう経緯で渚と出会ったのか質問することもできない。

 ケイトは会話の潤滑剤の役割を担っていた。しかし、彼もまた自分の話は一切しなかった。自分の意見を聞かれそうになると、巧みに話題を掏り替えていった。

 渚が先ほどから黙って何かを考えているのが不気味だった。前回の話し合いの時もそうであったが、こういう時、渚は何かを考えているような雰囲気がある。

「うーん、このメンバーなら行けるかも……」

 成は脇の下に冷や汗が流れるのを感じた。

 絶対に何かろくでもないことだ。ひょっとして、例の素敵な自殺の方法とやらだろうか……。

「成君」

「はい」

 渚が切り出したので、努めて冷静に答える。

「旅に出よう」

「いってらっしゃい。車に気を付けて行くんだぞ」

「シャラップ!」

 渚は成のアイスココアにフライドポテトを投げ入れた。なんてことをしやがるんだこの女は、とポテトを救出しようとする成をよそに、渚は皆の顔を見渡して言った。

「皆で人生の最期の思い出に、旅行しよう。それで、良い思い出作って満足したら自殺すればいい」

「それは、お前が嫌がっていた集団自殺じゃないのか?」

 成はそう良いながら、ココア漬けにされたフライドポテトを食べてみた。意外と悪くなかった。

「私は誰かと死ぬことはないけど、皆は自由にしていいよ。死ぬのが嫌になったら、そのまま帰ってくれてもいい」

 成は渚の提案に少し驚いていたが、他のメンバーにはそんな様子は見られなかった。

 キオが平然と質問を投げかける。

「旅行は何日間行くんだ? 行き先は?」

「さすがに海外は無理だから国内だね。福引でハワイ旅行でも当たれば良いんだけど。日数はきっかり一週間、六泊七日でどう?」

「それなら、私もバイトで貯めたお金を全部使えば行けそうです。それに……もうお金は必要なくなりますし」

 ミチコの言葉には妙な重みがあった。心には決めていたことだったが、自殺をするということがいよいよ現実味を帯びてきたような気がした。

「国内に行くのは良いとして、具体的にどこか行きたい所はあるんですかい?」ケイトが訊いた。

「うーん、そうだねぇ。例えば、自殺の名所を巡るっていうのはどう?」

「名所っていうと、やっぱり樹海とか清水の舞台とかか?」

 成がフライドポテトを頬張りながら訊く。

「あっ、京都は私、修学旅行では行けなかったので行きたいです!」

 ミチコが顔をパアッと輝かせる。それを見て渚がうんうん、と満足そうに言う。

「京都も良いね。樹海はやっぱり一番楽しみだから、最後にしようか。ほら、私って好きな食べ物は最後まで取っておくタイプでしょ?」

「知らん」成が即答した。

「そしたら、最初は東尋坊に行こうよ」

「とうじんぼう?」成の知らない場所だった。

「福井県の一番の観光名所である崖でさ、自殺の名所でもあるの。平安時代の末期に東尋坊っていうお坊さんが何かいろいろやらかして、崖に落とされたことからその名が付いたんだけど、地質学的にも何かが貴重で国の天然記念物に指定されているんだよ」

 渚がスマホで何かのサイトを見ながら、微妙に雑な説明をした。

 要するに、こいつも詳しくはないが面白そうだから行ってみようってことか。

 成はやれやれ、という風に頭を下げた。

「崖に着いたら、ご自由にお飛びくださいってことか?」

「それは皆に任せる。あと、東尋坊の後にどこに行くかは、旅しながら考えよう」渚が言った。

「福井の宿くらいは調べておくよ」キオが心配そうに言う。

「ということは、キオさんは行くんですか?」ミチコが意外そうに尋ねた。

「ああ、お前らが人様に迷惑掛けないか心配なんだよ。どうせ休職中だから、死ぬか旅でもしようか考えていたところだ。それに、怖くなったら別に死ななくてもいいんだろ? 案外、誰も死なずに『あー、楽しかったね』で終わるかもしれない」

 キオがそう言うと、室内が得体の知れない沈黙に包まれた。それに気付いたキオもばつが悪そうにしていたが、やがて、ミチコが申し訳なさそうに口を開いた。

「あの、私、キオさんの期待には副えないと思いますけど……」

 やはり、ミチコだけは死ぬ決意が固いらしい。

「それで良いよ。ま、初めは気楽に行こうや」

 成から見たキオの印象が、いつの間に頼りがいのある兄貴のようになっていた。渚の無茶苦茶な言動に飲まれて、場に打ち解けたのかもしれない。

「それじゃあ、渚さんとキオさんとミチコちゃんは決まりとして……」

 ケイトが切り出した。

「僕も行きます。そうすると残りは……?」

 全員の視線が成に集まり、成は窮地に立たされた。どうして俺はこんな状況に置かれているんだろう、と成は思った。

 俺は元々、この大して面白くもない人生の残りを、だらだらとゲームをしたり風俗で散財したりしながら過ごしていた。しかし、渚という春の嵐のような女と出会い、全てが変わってしまった。最初は、自殺小説を書いている彼女を自殺に立ち会わせるだけのつもりが、いつの間に渚が集めた知らない人達と旅をすることになっている。渚の奴、まさかこんなことを企んでいたとは……。この企みに乗っかれば、どこかの国の老いた富豪のような少し贅沢で静かな余生は失われ、自分探しという小っ恥ずかしい終着点を目指すバックパッカーのように旅立たなければならないのだ。それにしても……。自殺旅行に行くなんてことをこんな簡単に決断できるものなのか。キオもミチコもケイトも覚悟してここへ来たということなのだろうか。ほとんど思いつきみたいに決めて、死ぬという実感が未だに湧かないのは俺だけなのだろうか。

 渚がキラキラと目を輝かせながら成を見ている。ケイトはニヤニヤと嫌らしく笑っている。キオとミチコは、成の身を案じて心配そうにしてくれていた。

 まあ、キオが言っていたみたいに本当に死ぬかどうかは旅をしながら決めるしかないか、と成は観念したように目を閉じた。

「分かったよ、行くよ」

「やった!」渚が小さくバンザイした。

「そうそう、どうせ自殺するなら最後に楽しいことした方が良いですって」ケイトも面白そうに言う。

 キオが「本当に大丈夫なのか?」と訊いてくれたが、「大丈夫だよ」と小さく手を上げて答えた。

「着替えは沢山持って来ると大変だから、なるべくコインランドリーとかホテルの洗濯機を使おうね。あと、おやつは三百円までだからね」

 渚がウインクまでしてきた。

「そんなどうでもいいことより、肝心なことを忘れてるぞ」成が言った。

「肝心なことって?」

「旅行にはいつ行くんだ?」

「ああ、まだ言ってなかったっけ。それはね……」

 渚が勿体振って言った。

「一週間後の、八月八日から八月十四日までです!」

 それを聞いて、成は目を見開いた。、と思った。成の方こそ重要なことを忘れていた。

「最後の方がお盆と重なるな。移動が大変だぞ」キオが顎をさすりながら言った。

「その頃には、全員死んでいるじゃないですかねぇ」

 ケイトの冗談とも言えない冗談にキオは困った顔をしていた。

「初日は福井までの移動日にして、二日目に東尋坊に行こう。八月八日はお昼の十二時に東京駅の新幹線改札口に集合でいい? きっと良い旅になるよ」

 渚はそう言いながら成と視線を合わせ、互いにニヤリと笑った。

 旅の最終日の八月十四日は、成の二十六歳の誕生日でもあった。

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