「あれがターラ様のお墓です」


 中庭の隅にあるそれに向かって、老人は指を指した。注意深く見ないと分からないくらいの盛り上がりには、苔の生えた小さな石柱が立てられていた。


 朝日は、鬱蒼とした森の木々たちを越え、神殿の中にもちゃんと届いている。ちょうど、その石柱に陽が当たって、幻想的に緑に輝いていた。


「お世話になりました」

「いえいえ。私も、久しぶりに思い出話ができて良かったです」


 左の口角だけを上げて笑う老人。

 兵士フィルも、どこかすっきりしたような顔で笑みを返した。


「子どもたちは帰ってきたのですか?」

「いいえ。子どもたちが連れられてどうなるのか、聞かされておりませんでした」

「それからは、ずっとひとりでここに?」

「いえいえ、ここにはたくさんの者がおりますよ。雄大な木々たち。可愛らしい鳥たち。たまには恵みの雨もやってきてくれます」


 実に賑やかですよ、と老人は付け加えた。


 2人は荒れ果てた中庭の廊下に並んで腰かけていた。思い出話の中にあった、クオとベルンのように。


「そろそろ行きます」


 兵士フィルは立ち上がった。傷はひと晩で塞がった。あれほど深く、一度は生と死の境まで行ったのに。これも、隣の老人のなのだろう。


「もう少し、ゆっくりされないのですか?」

「いえ、やることは山積みですから」


 老人も立ち上がる。遠くから、鳥たちの囀りが聞こえてきた。


「これからどちらに?」

「自国――カンタゼへ向かいます」


 世界は渦巻いているだ。戦争の火種を鎮火させるには、時間がいくらあっても足りやしない。



 老人は少しの食料を兵士フィルに渡してやった。彼は「ありがとう」と受けとると、それからしばらく、じっと老人を見つめた。


「貴方が、ベルンなのですね」


 旅立ちの時。兵士フィルは耐えきれず、そう投げ掛けてしまった。言ってから「まずい」と思ったが、目の前の老人は、笑顔を浮かべてかれた。左の口角を上げた、温かくも優しい笑みだった。


「さぁ……? しかし、確かなことは、かつてここには、心優しき少年がいて、彼が私に笑うことを教えてくれた、ということです」


 もちろん、ターラ様や他の子どもたちからも、たくさんのことを学びました。


 兵士フィルはそれ以上言及しなかった。それで良かった。彼はもう一度「ありがとう」と礼を言ってから、今度こそ「クオ」と名乗る老人を――神殿を背中に歩き始めた。


 静かな森の中に、落ち枝を踏む音だけが、心地よく聞こえる。傷は癒えた。不思議と心の傷までも。


 目指すは、自国カンタゼ。私はカンタゼ国の王子――フィル・キルトゴイル。


 帰ったら、世界に向かって叫ぼう。争いをやめましょう、と。勇気を出して、手を上げよう。たとえ、滅びた国の王子であろうとも、聞く耳を持ってくれる人は、この混沌とした世界には大勢いるはずなのだから。




(『クオの神殿』おわり――)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クオの神殿 和団子 @nigita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ