押しかけ妻1

「写真?別に写真ぐらい何枚でも撮らせて上げてもいいわよっ!」

 あの後下山し、彼女を自転車の後ろに乗せ、ペダルを踏むこと1時間。

 時計は零時を回ったところだった。


 自転車に乗っている間、何度「写真を撮らせてくれ」と頼もうとした事か。

 結局言い出せず、家に帰り、自室に案内し「泊める代わりに」なんて前文句を付けないと頼めなかった。


 なんだか、彼女の弱みにつけ込んだようで少しの罪悪感がのしかかる。


 そんな心配など露知らず、いろんなポーズを試している彼女はふいに、あっ……と言葉を零すと頬を染めた。

「その…………えっちなことに使うのはやめてね?」

「使わねーよ。ほら、ポーズとかしなくていいからそこに立ってくれ」

「ちょっとは動揺しなさいよ」

 そんなことを言いながら右手を腰に当て左手は指先までピンと伸ばして立つ彼女のポーズはさながら女騎士の様に風雅だ。


 彼女をレンズに捉えシャッターをきる。

「どうかしら?やっぱり被写体が被写体だけになかなかのクオリティを保証するわ!」

「…………あんまりだな」

「流石に私も調子乗りすぎたかもしれないけど、素のトーンでそれは酷くない?」

 背景のせいか今の彼女の姿は琴線に触れない。

 一眼レフの画面にはドヤ顔でポージングしている可愛い女の子が映っているだけだった。


 これをどこかの雑誌にでも送れば連絡が帰ってくるであろうその写真を消去しカメラを直す。


「あら、もういいのかしら?」

「ああ、変なことを頼んで悪かった。もう寝よう、そこのベッドを使ってくれ俺はソファで寝る」


 それだけ伝えて部屋を出る。何か言っていたような気がするがこれ以上駄々をこねられても困るから耳は貸さない。

 俺は一階のリビングに降り、ソファに身を預け何も考えず目を閉じた。

 明日から大変そうだ。






「それは悪いわよ、あなたがベッドで寝なさいよ………」

 途中で彼が部屋を出ていき、行く宛の亡くなった私の言葉は尻すぼみになっていく。


 とりあえず、彼への接触には成功した。

 思っていたより冷静、というか大人しく、大人びていた。


 もう私の知っている彼では無いのだ。

「そういえば名前……」

 明日彼に聞けば済むであろう事なのだが、どうしても気になってしまう。


 悪いとは思ったものの机の上に広げられた数学のノートを閉じると、案の定そこには名前が書いてあった。

「延寿《えんじゅ》 すみれ………菫、菫ね」


 口の中で転がすようにつぶやく。

 菫とはまた男の子にしては少し可愛らしい名だ。

 だが、なんとなく彼らしい。

 名は体を表すということわざはこういう時に使うのだろう。

 

 そして私は部屋を出た。特になんの理由も無いが、せっかくこっちに来たのに、すぐ寝てしまうのは勿体なくて。

 この家を探検する事にした。気分はさながら引っ越した直後の男子小学生のそれだ。


 二階には菫の部屋の他に二つの部屋があった。


 一つは彼の部屋よりもう少し広いが家具と呼べるものは一つもなく、生活感なんて全くない。

 だがそのフローリングには埃はみえなかった。


 もう一つの部屋がその理由を物語っていた。

 その部屋は菫の部屋より小さく物置として使えそうだが、ここにも家具と呼べるものは何も無い。


 だけれど家具の代わりに、ぽつんと仏壇が一つおかれていた。

 そこには二人の男女のの写真が立てられていた。

 言われなくとも分かる。写真にうつる人は2人ともどこか菫に似ている。まあ、細かく言えば菫が彼らに似ているのだろうが。


 男の意固地そうな目つきや女の細く長い手足が彼そっくりだ。

 私はしばらく仏壇を見つめた後、手を合わせて部屋を後にした。

 


「…………疲れたな」

 菫の寝顔も見てやろうかと思ったが、彼が両親を失っていた事が自分でもなかなかショックだった様だ。

 口からほろっと零れた言葉を信じ彼のベットに身を預ける。

 

 もちろんなのだが、ベットからは菫の匂いがする。

 男臭いわけでは無いが、柔軟剤がぷんぷん香ってくるわけでもない、人間味の溢れた優しい匂いだ。

 懐かしい匂いに包まれながら私は目を閉じた。

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