冬の雪山3

 彼女が起き上がった事を確認した俺は雪の上に敷いたマットをたたみ、防水の袋に入れ、その袋を背負っていたリュックにしまい、彼女に背を向け歩き出………。


「ちょっ! ちょっと待ちなさいよ! 何帰ろうとしてるのよっ!」

 ダウンジャケットのフードを掴まれた俺は大勢を崩しその場に尻餅を着く。


「普通何か一言あるでしょうっ。こんなにかわいい私が突然現れたのよ。求婚やプロポーズ、せめて告白の一つぐらいあるでしょう」


「求婚もプロポーズも告白も大体全部同じ意味ですよ。それと僕はあなたが可愛いから帰るんです。面倒臭い人は苦手です。それに寒いですし」


「なら紳士として私にその暖かそうなの寄越しなさいよ、私だって寒いのよ」


 デザイン性のない白いワンピース1枚の彼女は特に寒がる様子も見せない。

 だがまあ、見ているこちらが寒いので黒いダウンジャケットを彼女の肩にかける。


「あら、優しいのね」

「その優しさに免じて帰してくれませんか。それはあげますから」

「それは聞けない相談ね。私、見ての通り今日寝るベットがないの」

「うちは布団なので」

「寝られるのならどちらでもいいわ」

 変な所で物わかりがいい高飛車な彼女は、はい論破とでも言いたげに腕を組んで未だに尻餅をついたままの俺を見下している。


 俺が諦める様にため息を吐くと彼女はにっこりと笑い……

「さあ、帰るわよ!こんな所居たくないわ」

 そう言って下山の一本道へ足を向ける。

「? ……帰り道知ってるんですか?」

「知る知らないの前に、ここ四方八方崖なんだからこっちしかないじゃない」

 どんな薔薇にもトゲがあるとは言うもののこの高さじゃ痛い目を見るなんてレベルじゃないだろう。

 

 俺は南の銀世界と北の水平線に背を向け彼女を追った。

 樹氷の山道の中は月光が木漏れ日のように差し込んでおり、持ってきていた懐中電灯の出番は無さそうに思えた。

「それでここから家までどれぐらいなのかしら」

「下に自転車がとめてます。それを漕いで1時間ほどです」

「………あのさ、その敬語やめない?なんだかむず痒いんだけど」

「分かった、じゃあ俺からも一つ提案だ。今日は泊めてやるから明日には帰ってくれ」


 するとこれまで饒舌だった彼女の口はとまり、くるりと周り振り返る。

 振り回された金髪はやはり月光に煌めきスカートがふわりと浮く。

 周りの白銀の木々をも舞台装置にしてしまう程に美しい彼女は微笑をうかべ言った。

「ごめんなさいだけど、それも却下よ」


 俺は流石にこんな押し付けがましすぎる願いはノータイムで断ると思っていた。

 だが、この数分彼女が俺に見せてくれた姿は周りの舞台とあいまって美し過ぎた。

 その美は気付かぬうちに俺を虜にし離してくれない。


 昔から綺麗なものが好きだった。太陽に透かしたビー玉や今日みたいにキラキラ光る夜空が好きだった。幼い頃は毎日が輝いて見えていた。

 だが自分や周りが歳をとるにつれこの世界が自分が思っているほど綺麗じゃないことをいやでも知ってしまう。

 すると俺は綺麗なものに縋るようになり、同時に嫌いなものから逃げるようになった。


 残った物は趣味だけだった。

 並べたビー玉に朝日が当たると極彩色の影が部屋を彩る。

 西の窓から差し込む夕焼けは部屋を真っ赤に染める。

 人里離れた山で見る天体は俺の世界をどこまでも広げてくれた。


 だが、彼女は俺がこのカメラで収めてきたどんな自然をも凌駕する。


 俺のアルバムにはこれほどまでに美しいものはない。


 色んな感情が押し寄せる。


 あっさりと自己ベストを越された嫉妬や謎の開放感、世界にはこれほど綺麗なものがあるのかという感動。


 高飛車なのに____いや、高飛車で自由奔放で自分勝手だからこそ彼女は美しい。


 だが、この変な感情にこの時の俺は名前を付けられない。


 そんな綺麗な彼女を自分のアルバムに加えられたらと心のどこかで思ってしまった。



「分かった。好きなだけうちにいてくれ」


 つまり、有り体に、簡略化し、直球で、ナチュラルに、この感情に名前をつけるならば、それは『自覚のない一目惚れ』だったのだ。

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